乾坤一擲の大返し
一方その頃、レーナ連邦官邸の一角。
夕暮れの影が静かに床を這うなか、仄暗い回廊を数人の黒衣の影が滑るように進んでいた。
「……もうすぐだ。間もなく女王の執務室だ」
影のひとりが囁く。
獣のように目を光らせた別の男が、低く笑った。
「ふん、拍子抜けだな。公女の護衛程度であのレベルなら、女王本人も高が知れてるな。連邦ごときが、帝国に歯向かうとは……」
扉が視界に入る。誰もいない。
兵の姿も、気配すらない。
まるで歓迎しているようだった。
「──このまま突入する」
ナイフのような声が、暗殺者たちの神経を研ぎ澄ませる。
そして、扉が静かに開かれた。
しかし──
「ようこそ、遅かったわね」
中にいたのは、堂々とした姿で椅子に腰掛けるイーリス女王。
隣には、腰に手を置いたヴァネッサが立っていた。
「な……」
その瞬間、窓の外から殺気が迫る。
兵士たちが四方からなだれ込み、背後の廊下からも一斉に足音が響いた。
「な、なんで──ッ!」
「……公国の公女たちが、わたしたちの安全を心配して知らせてくれたのよ。ありがたいことにね」
イーリスの口元が皮肉気に笑った。
「その子たち、ただの姫様じゃなかったってわけ」
「クソッ……!」
刃を抜こうとした刺客がいたが、それより早く、ヴァネッサが制止の合図を出す。
「全員、武器を捨てなさい。ここはもう包囲されているわ」
兵士たちの弓が、彼らに狙いを定めていた。
数で、速度で、そして“準備”で、完全に上回っていた。
「……終わり、か」
刺客の一人が、ひとつ嘆息をこぼした。
イーリスは静かに立ち上がり、彼らを見下ろした。
その瞳には怒りではなく、冷たい慈悲の色が宿っていた。
「帝国に尻尾を振るのは勝手だけど……その愚かさの代償は、払ってもらうわよ」
その言葉とともに、制圧の合図が下された。
常駐部隊が一斉に動き、刺客たちは瞬く間に地に伏す。
と、その直後――
扉の向こう、廊下の先から駆けこむ足音が鳴り響いた。
ほこりを蹴り上げ、全身に疲労の色を浮かべた少女が飛び込んでくる。
「ご無事ですか、イーリスさん!」
リィナ・ミティアの声が、場の空気を裂いた。
続いてミロ、ノアの姿も現れる。
イーリスは目を見開き、しかしすぐに表情を緩めた。
「……間に合わなくても、ちゃんと始末はついてたわよ?」
背後には、すでに取り押さえられた刺客たち。
その中の一人が呻きながら地面に伏せている。
「まさか……詰所の部隊が、先に?」
リィナが混乱気味に呟いたとき、背後からヴァネッサが現れた。
「転移門よ。……あなたたちが街道で捕らえた刺客から情報を引き出した直後、ミロが官邸の警戒石板に“座標付き警告信”を打ってくれた。公国の技術ね。すぐに詰所の部隊を移送できた」
「それで、先に……」
リィナは言葉を失い、安堵で膝をつきそうになった。
「ミロが簡易転移門の発信だけ、持ち出してて……」
「……非常時用に、こっそり許可をいただいてました。叱られる覚悟でしたけど……」
ミロが縮こまりながら言う。
「叱らないわよ。むしろ、よくやってくれました」
イーリスの言葉に、ミロはほっと息を吐いた。
そしてリィナの肩をそっと抱き寄せながら、女王は静かに告げた。
「あなたが信じたものが、わたしを救ったの。ありがとう、リィナ・ミティア」
リィナはきゅっと唇を結び、イーリスの背中に目をやる。
――あの時、即座に馬を駆ったのは、無駄じゃなかった。
例え手が届かずとも、信頼が繋がっていた。
自分たちは、選ばれたのではない。“歩み寄る”ことで信頼を築けたのだ。
その証として、確かに命が守られた――。
◆あとがき◆
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