理想に値する現実をつくれ
深夜の政庁塔。街灯もまばらな公都の夜を見下ろしながら、加賀谷は一人コーヒーを啜っていた。
先の演説では“国を率いる者”として語ったが、その言葉のひとつひとつは、喉を焼くように重かった。
人を動かすのは言葉でなく、信じさせる技術――その重さを、今さらながら噛みしめている。
ノックの音。振り返ると、制服姿のまま、リィナが控えめに扉の前に立っていた。
「……こんな時間に?」
「眠れなくて。というか、あなたが起きてる気がしてたから」
遠慮がちに入ってきたリィナは、軽く息をついてソファに腰を下ろす。
しばしの沈黙のあと、ふいに尋ねる声が落ちた。
「ねえ、カガヤ」
「ん?」
「……あなたは、どうしてここまで公国に尽くしてくれるの?」
加賀谷はコーヒーのカップを傾け、ひと呼吸置いてから、片眉を上げて言った。
「へえ……その質問、まさか“召喚した張本人”から聞くとはな」
リィナは言葉を失い、少しだけ目を伏せた。
「……あのときのこと、いまでも悔いてる。巻き込んでしまったことも、無力だった自分も」
「気にするな。あれがなきゃ、俺はずっと別の椅子で数字だけ追ってただけだ。──ま、当時の俺からすれば“地獄に落とされた”気分だったけどな」
少しだけ口調を砕いて言う加賀谷に、リィナは小さく笑った。
「でも、落ちた先で……自分で立ち上がって、ここまで来てくれた」
「……そうだな」
加賀谷は窓の外を見やる。静かな街の灯が、まるで星のように遠くに揺れている。
「俺がここで動いてる理由は……たぶん、借りを返してるんだ。あの日、自分の選択で公国を変えてしまった、その責任にな」
「責任、って……」
「選ばれたからとか、正義だからじゃない。ただ――“選べる場所に立ってしまった”からには、選ばなきゃならない。選ばず逃げた結果を、もう二度と見たくないから」
「……それは、自分への罰?」
「罰って言えばカッコつくな。でも俺はたぶん、ちゃんと“この国が良くなるのを見たい”と思ってるんだと思う」
リィナは、黙って頷いた。
「じゃあ、私は──」
リィナは、長いまつげを伏せた。
その横顔には、彼の言葉を真正面から受け止める気概が宿っていた。
「じゃあ、私は――その“理想の現実”を一緒に作る役、ってことでいい?」
「……お前はもう、十分すぎるほどそうしてるよ。迷っても、走っても、必ず意味を残してきた」
加賀谷の言葉に、リィナは微笑みを返した。
と、そのとき。控えめなノック音が室内の空気を切るように響く。
「失礼いたします」
姿を見せたのは、ヴァルド・レヴァンティスだった。相変わらずの丁寧な物腰に、場が少し引き締まる。
「この時間に……なにか急ぎの報告か?」
「いえ、正式な会議の場でお話しする予定だった件ですが、よろしければ今、少しだけ」
「構わない。話せ」
ヴァルドは一礼し、携えていた資料の一部を机に差し出した。
「先月、ヴェステラ学院で実施した実務選抜講義ですが──予想以上に、才覚のある若者たちが結果を出しました。なかには政商レベルの資質を持つ者もいます」
「へえ……期待以上か」
「そこで、加賀谷閣下にお願いがございます」
加賀谷は眉を上げる。
「お願い?」
「臨時でも構いません。次の講義にて、“実務家としての統治戦略”をテーマに、ご登壇いただけませんか?」
「俺が、教師役か?」
「貴方のような実例を持つ方の語りは、何よりの教材です。加えて──その中から“次に仕える者”を選ぶ準備も必要でしょう」
ヴァルドの言葉は、単なる教育論ではない。
その奥にあるのは、次世代を育て──いずれ資本と権限を委ねるという、国家の構造改革そのものだった。
しばらく無言で資料に目を通していた加賀谷は、やがて息をひとつ、深く吐く。
「……ただの“学びの場”にとどめるつもりはないってわけだな」
「その通りです。適切な器が育てば──“任せられる事業”のひとつやふたつ、興すことも可能かと」
「……ファンドか。人も金も、意志の通るところへ流せる仕組みが要る。そういう目論見だな」
ヴァルドは沈黙をもって肯定した。
加賀谷は、静かに頷く。
「わかった。柄じゃないが──必要ならやる」
立ち上がった加賀谷の横顔に、夜の灯が差す。
◆あとがき◆
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