被害と恐怖による更正
友香と結愛は月明かりの射し込む廊下を、ただただ走る。だが、結愛が恐怖のあまり、足がもつれて転んでしまった。
「あっ・・・」
「結愛?!」
結愛が転んだことに気が付いた友香が、慌てて結愛の方に駆け寄る。
──ヒタ、ヒタ
結愛は腰を抜かしていて、立てなくなっている。なんとか結愛を立たせようと、友香がしゃがむ。このままでは結愛だけでなく、友香も一緒に殺されてしまうだろう。
「ゆ、友香は先に・・・行って、逃げて!」
「やだよ!なんで・・・?!だって、結愛は何も悪くないのに」
そうこうしている内に、ぬいぐるみはジリジリとゆっくり二人に近づいてくる。二人はもうダメだと思いながら叫ぶ。
「いやぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
すぐ側まで来たぬいぐるみは、二人に向かって包丁を振り下ろす。思わず二人は目を閉じて、顔を背けた。
──ガッ
「全く・・・僕は『来るな』って意味を込めて、忠告はしたはずなんだけどなぁ?」
何かがぶつかる音と頭上からの声で、二人が顔を上げると、そこには一人の青年がいた。白い髪を紫苑色のリボンで一つに結わえた、紫苑色の眼を持つ青年。白い上着とシャツにグレーのズボン。友香と結愛は一瞬、何が起きたのかが解らなかったが、どうやら今、目の前にいる青年が手に持っていた真っ白い大きな平筆で、ぬいぐるみの持つ包丁を振り払ったようだ。それだけでなく、ぬいぐるみを二人から遠ざけるために、一撃を加えて吹っ飛ばしていた。
「おい!?麻白、大丈夫か?」
「え・・・?麻白・・・?っていうことは、貴方は、一色・・・さん?」
後から来た、栗色の髪に翡翠色の眼の青年が、彼の名を呼んだことで、二人は今、目の前にいる青年が、麻白であることに気が付いた。
「護、ここから二人を連れて今すぐに逃げられますか?」
「さすがに俺でも、女子高校生二人は抱えられないぜ?なんとかして離れればいいんだろうけど」
「それなら、このまま僕がしぃが来るまでの時間を稼ぎますよ」
一瞬のことではあったが、助かったことで、友香も安心したのか、座り込んだまま、立てなくなっていた。
「──カラーパレット展開、僕が描くのは凍てつく薄氷色」
麻白の詠唱と共に、一色ずつ光る球体が彼の周りに表れ、そのうちの薄氷色に平筆でパレットから色を取るように触れる。すると、平筆の先に薄氷色が滲んでいく。麻白によって廊下の端まで飛ばされたぬいぐるみは、機械的に四人の方へゆっくりと向かってきた。
「あの・・・」
「大丈夫だよ、あれでも麻白は腕のある魔術師なんだから」
「え?・・・どうして魔術師さんがここにいるの?」
「その前に、一色さんって・・・男の子なんですか?」
友香と結愛は、麻白のことでも混乱しているらしい。それもそのはずで、今の麻白は声も格好も本来の、素で男性の状態なのだ。さすがに今回は女装していては動きにくいという事らしい。女性だと思っていたら、驚くのは無理もない。
──結愛と友香が校舎に入る少し前の事。
護と麻白が校舎の中にいた。途中までは《窓口》も一緒にいたのだが、用意するモノがあるからと言って、一人、別行動をしていた。そして階段を上がった時、麻白と護は二人の悲鳴を聞いて、急いで駆け付けたのだ。
「──穿て《氷柱の雨》」
白い平筆を麻白が振るう。すると、空中で描かれた薄氷色の魔法陣から氷柱がいくつか出現して、ぬいぐるみに向かって飛び出し、刺さる。
──ズルリ
氷柱が刺さった場所から、赤い糸が大量の触手のように出てきて、うねる。護は少しずつではあったが、友香と結愛を連れて、ぬいぐるみの様子を見ながらその場を離れようとしていた。
「あーあ・・・コレはもう、ぬいぐるみというよりは、ただの化物ですね」
「麻白、このままで大丈夫なのかよ?」
「正直、キツいけど・・・しぃが来るまで、僕がやるだけやらなきゃ」
赤い糸が四人に向かって伸びる。麻白は平筆で氷の壁を描く。だが、糸だけなら壁で防げているが、ぬいぐるみがその壁を破ろうとしてくる。少しずつ間合いを取りながら、小さくも魔法陣を描いていく。壁が破られたのを見た護も拳銃で応戦するが、あまり効果がない。それどころか、糸の量だけが増していく。
「うぐっ・・・あ・・・」
もう一度壁を張る隙をついて、赤い糸が麻白の首に絡み付く。それは容赦なく、上へと彼を締め上げていく。
「麻白っ?!」
「──切り裂け《血染めの黒鋏》」
──チョキン
突然、護達の後ろから声がし、それと同時に、首に絡まる糸が切れて麻白が解放された。ドサッと麻白が床に倒れたものの、すぐに起き上がった。
「ケホッ、ゲホッ・・・結構、準備に時間がかかったんじゃないかい?しぃ」
「すみませんね、麻白・・・ですが、さすがは《色神家》の魔術師ですね、苦手な相手に対しても、ここまで時間稼ぎができていれば、本当に上出来ですよ」
麻白は護達の向こうを振り返る。三人も声のする方を向くと、真っ黒な鋏を右手に、透明な液体の入った、大きめのペットボトルを左手に持った《窓口》が立っていた。その格好は白いブラウスに緋色のスカート、上にはフリルや緋色のリボンがあしらわれた着物を羽織っている。昼間のヘアピンとは違い、その髪には丸い石の下がった四つ葉の髪飾りが着いていた。
「え・・・?なんで夢原さんもここに?」
「ここから先、アレの相手はわたしがしますから、麻白と護くんは二人を連れて今すぐにここから逃げてください」
呆然としている結愛と友香をよそに、スタスタと彼女は横を通り過ぎる。その顔は余裕の色を浮かべていた。
「あ、あと護くん、一つ相談なんですけど・・・校舎で火を使うのは、やはりダメですかね?」
「それで校舎が全焼したり、何かあったらここの生徒達が困るだろ」
「そうですよね」
護にニコッと笑いかけてから、《窓口》はぬいぐるみと対峙する。ぬいぐるみは、今も赤い糸を床に這わせたり、うねうねとくねらせ、こちらに向かって歩いてくる。
「だとしても、どうするんだい?しぃ」
「一度、アレを外に出さないとなりませんね、廊下では何をするにしても狭すぎる」
「焼くのか?」
「最終的にはね」
「おい、来るぞ!!しぃ」
「わかってる──《氷壁》」
赤い糸は容赦なく、襲いかかる。《窓口》が鋏の切っ先をぬいぐるみに向け、首を落とすかのように横へと動かすと糸は纏めて切り落とされ、同時に麻白が張ったように氷の壁を出現させる。その間に護は結愛を、麻白は友香を抱き上げて廊下を走る。
「え?あ、あのっ、彼女を一人にするんですか?!」
「大丈夫だ、アイツなら、心配ない」
「心配ないって、そんな?!」
「今のこの状況では、僕らがいる方が彼女の邪魔になる」
振り返ることもせずに《窓口》は、ぬいぐるみに鋏を向けたまま、氷壁にヒビが入るのを見ていた。足音と声が遠く小さくなる頃、この時を待っていたとばかりに笑みを浮かべ、口を開く。
「・・・行きましたね」
《窓口》が指をパチンと鳴らして、ペットボトルの蓋を勢いよく開けた。音と同時に壁は崩れる。
「さて、まずは全てを水で流しましょうか」
《窓口》を捕らえようと迫り来る糸をかわして、ペットボトルの中身をぬいぐるみに向けて撒いた。
「──大水を起こす、水精の清水《水葬の牢獄》」
撒かれた水は彼女の言葉で渦を描く激流となって、ぬいぐるみに襲いかかる。そして、水は勢いはそのままにぬいぐるみを包み、球体のようになった。その水に触れたぬいぐるみの糸や身体は、まるで酸に触れた様に溶けていく。
「それでは・・・このまま、外に出しましょうかね」
ポケットから札を出して、ぬいぐるみに向かって放る。
「──《空間転移》」
彼女の目の前にあったぬいぐるみは、その場から一瞬にして消えた。
「さて、わたしも移動しないとね」
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護と麻白は、結愛と友香と共に昇降口まで来ていた。結愛が昇降口のドアに手をかける。
「あれ?ウソ・・・開かない・・・?!なんで?!」
「ちょっとごめんな」
あのぬいぐるみのせいなのか、それとも空間が歪んでいたのか、昇降口のドアは何をしても開かなかった。だが、護がポケットから金色のクローバーの鍵を出す。鍵穴に鍵を差し込み、回す。不思議な事に、カチャリと音がしてドアは開いた。四人は急いで外に出る。
「護、どうやら向こうも外に、それも校庭の方に移動をしたみたいですよ?」
「そうか・・・このまま一気に、あのぬいぐるみを焼くつもりなんだろうな」
護の言葉に、麻白はただ頷く。
「あ、あの・・・」
「君達は寮に戻りな」
「でもっ・・・」
どうやら友香は様子を見に行きたそうだったが、護はなんとなくそれを察したようだ。ただ、護が何かを言う前に麻白が口を開いた。
「二人が死にたいと言うのなら、別に僕達についてきてもいいんですけどね?まぁ・・・あれほどのモノを見て、二人が何も思わないとは考えられませんけれど」
にっこり笑って麻白は友香にそう言うと、校庭の方へ歩いていく。その言葉で、友香は先程の恐怖を思い出したのか、立っている事しかできないでいる。
「護、行こう」
「あぁ、わかった」
麻白に呼ばれて護は頷き、なんとなく、友香と結愛の方を気にしたようだったが、すぐに麻白の後を追った。
✡
校庭の真ん中には、水で包まれたぬいぐるみ。そして、ふわりと少し離れた場所に現れた《窓口》はソレと再び対峙する。彼女が指をパチンと鳴らすと、ぬいぐるみの周りにあった水が弾けた。
「さぁて、一気に焼いて人形供養といきましょうか?」
ポケットから出した札を、ぬいぐるみに向かって放る。
「──《火葬》」
札は火を纏い、ぬいぐるみを焼きはじめる。それでも尚、ぬいぐるみは、もがくように赤い糸を《窓口》へと伸ばす。しかし、その糸はすぐに燃えて彼女には届かない。
「この炎は貴方の全てを焼き尽くすまで、絶対に消えることはないんですよ」
火の勢いはさらに増し、ぬいぐるみを包み込む。《窓口》はぬいぐるみが燃えるのを、ただ眺めていた。




