お願いの実行
図書館を出た直後。ネロの携帯が、タイミングを計ったかのように鳴る。確認すると《窓口》からのメール。内容は、心夜がこの後の予定が空いているらしく、亜星からの情報を渡してほしいということだった。ついでに受け渡しの場所も、ご丁寧に書いてある。
「また、珍しい場所の指定ですね」
一通り内容を流し読みして、携帯をポケットに戻した。これだけでもネロは内容を全部覚えられる。人格が分かれた時の副作用だと《窓口》は言っていたが、何故そうなったのかは彼女も自分自身でもわからない。
「なってしまったことは仕方ない、か⋯⋯」
ネロは烏に姿を変えて指定された場所に向かった。
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指定された場所は『夢見市』の西側にある、とある雑居ビル。そこにあるバーだった。
「えっと『Edel Traum』⋯⋯ここか」
『準備中』とプレートが掛かっていたが、ドアを開けて店の中へ。カウンター席の奥に心夜がいた。その目の前には、桃色の髪と珊瑚色の眼を持つ男性。彼はネロが入ってきたことに気付いて、グラスを磨きながらニッコリと微笑んだ。
「やぁ、ネロくん、いらっしゃい、キミも何か飲むかい?」
「アルコール以外で何かあれば」
「了解」
「悪いね、君を呼び出すような形になってしまって」
「いえ、本来なら僕もこの後は家に帰るだけでしたから」
心夜の隣に座り、早速ネロは預かった封筒を渡す。すぐに心夜はその中身を確認している。
「どうぞ、烏龍茶だけど」
「ありがとうございます」
「そうそう、料金は今回は気にしなくていいよ」
「え?何でですか?」
「いつも娘達がお世話になっているからね、サービス」
ネロの目の前に烏龍茶の入ったグラスを置き、男性は再び開店の準備に戻ってしまう。そして資料から視線を外さずに、心夜が口を開いた。
「ネロくん⋯⋯これに関して、あの《情報屋》は何か言ってたかい?」
「厄介な相手だとは」
「そうか⋯⋯で、義父さん」
資料から顔を上げた心夜が、グラスを磨いていた男性に声をかける。彼は絋夢。ネロと同じ、《窓口》の同居人の亜夢の実父。見た目は結構若いが、これでも数百年は余裕で生きているらしい。
「何だい?心夜くん」
「この資料の、この名前に義父さんは聞き覚え、というか見覚えはありますか?」
心夜が渡した資料を見て、絋夢は静かに頷き、心配そうに口を開いた。血の繋がりはなくとも、息子は息子ということか。
「心夜くん、もしも彼らに直接何かをするのなら、ウチの若いのを誰か一緒に連れて行きなさい、私から言っておくから」
「え、あ、ありがとうございます」
「いつもの事だけど、私に対して、そんなにかしこまらなくてもいいんだよ?」
「今回は仕事ですから」
いくら親だとしても、公私は別のようだ。それは紘夢も同じ。紘夢がこのバーのバーテンダー兼オーナーとしての顔は、表向きのモノだ。裏では『幻中組』という組織の組長だというのだから驚きだ。だからこそ、この辺りの裏社会の事に詳しいのだが。
「別に組長だからといって、君や《窓口》ちゃん、表側の人間達に危害や迷惑をかけるようなことは、何一つしないさ」
確かに紘夢の言葉に嘘はない。『幻中組』は裏社会の組織では珍しい、裏社会を取り締まる自警団のような活動をしているのだ。ただし、やり方は・・・お察しください。
「どうしても私達だけでは揉み消せない時だけ、《窓口》ちゃんに協力してもらってるけどね」
「基本的に『噂』として物事を隠蔽しますからね、僕らの主は」
「便利な能力を持っているよね」
『便利』と言っていいのかは、ネロはわからない。ただ、その能力の使い方を間違うと、大変な事になりかねないのだけは解っている。今回の使い方が正しいとは一概には言えないが。
「そろそろ僕は帰りますね、今回は情報を渡すだけだったので」
「そうか、それなら《窓口》ちゃんに、よろしくと伝えておいてくれるかい?」
「ええ、伝えておきます」
軽く一礼をして、ネロはバーを後にする。雑居ビルを出ると、ちょうど見回りをしていたのか、護と鉢合わせた。何とタイミングの悪いことか。
「ネロ、こんな所で何してるんだ?」
「ちょっとだけ用事が、ね」
「用事?」
心夜達の仕事の事なので、ネロは言葉を濁すが、それが護には不審に思ったらしい。怪訝そうな表情でネロを見ている。今回は《窓口》が殆んど関わらないとはいえ、下手に口に出す訳にはいかない。
「また、アイツは何かをしようとしてるのか?」
「そういう事ではないんだけど」
「なら、何でネロはここにいる?」
「簡単に言うと、ご主人様からのお使い、かな?」
嘘は言っていないが、それとなく理由を言ってやり過ごしたい所ではあったのだが、護は追及の手を緩めてはくれない。
「内容の言えないお使いって、どんなお使いだよ?」
「そういう事もあるさ」
「⋯⋯やっぱ何かするつもりなんだな?」
「ただ、今回は彼女『が』じゃないからね」
「それはどういう意味だ?」
「ははっ、さあね?」
「あ、おい⋯⋯ネロ?!」
後をついてくる護に、ネロは楽しそうに笑いながら、烏に姿を変えて街の上空を飛ぶ。最初から、こうしておけば良かったのかもしれない。
「ったく、仕方ないな」
日も傾き、ネロの姿の見えなくなった空を見上げ、護はため息をついて、その場を後にした。
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珍しく早起きをした《窓口》は神社の境内を掃き掃除をしていた。彼女が早起きをして神社にいる理由は、ただ、この後に縁切りの依頼があったから。そうでもなければ早起きをすることも、神社にいることもほとんどない。
「そろそろ来ますかね?」
箒を戻し、賽銭箱の隣に腰を下ろす。待っている間というのは、何もないと時が長く感じる。
「本当に不思議ですよね?時というのは誰にでも、どこでも平等に、流れる速さはいつでも変わらないというのに」
《窓口》の言葉はまるで誰かに話しているようだ。だが、境内には今、彼女以外には誰もいない。特に返事がある訳ではないが、彼女は言葉を続ける。
「それだけ、物事に集中しているということなのでしょうけれどね?」
《窓口》の言葉の後、それに対して答えるように風が吹く。そして石段を上ってくる、心夜と縁の姿が見えた。
「お早うございます、お待ちしておりました」
「⋯⋯こうして見ると、本当に君はここの巫女さんなんだなって思うよ」
「そうですか?まぁ、とりあえず⋯⋯こちらにどうぞ」
《窓口》は二人に背を向けて社の中へと入る。それに心夜と縁もついてくる。
「急に悪いね」
「ちょうど今日はあと一組、縁切りと縁結びの依頼がありますからね」
「君には都合が良かったってことか」
「お二人だけだったなら、わたしはこの格好もしてないかもしれないですね」
《窓口》にとっては、特に時間がかかる呪術ではないらしい。本当ならその場で出来るのだという。一応、彼女なりにプライバシーとか色々考慮した上で、社の中に招き入れたようだ。
「縁切りはコレだけで充分⋯⋯」
《窓口》は、持ち手から何から真っ黒の鋏を出す。彼女が《血染めの黒鋏》と呼ぶ鋏だ。使い方を少しでも間違うと最凶の武器になる鋏。彼女達はこの鋏で色々なモノを切る。それも、切り方を自由にできるというのだから、怖いものがある。
──チョキン
縁に刃先を向けて、空中で切る。縁も心夜も、これで縁切りが出来てるのかはわからない。《窓口》と違って、二人には『縁』というモノは見えないからだ。
「悪縁を切ったら、そのあとは良縁を結ばなくては、ね?」
その後は如何にも呪術を実行していた。それでも、何となくできているんだろうなぁ、としか思わないが。それを実感するのは何時になるかは、結んだ本人も縁もわからない。
「とりあえずは、これで大丈夫でしょう」
「あ、ありがとうございました⋯⋯」
「わたしの仕事はこれだけですけど、心夜さん」
「何だい?」
「必要ならコレも持っていってください」
《窓口》が心夜に渡したモノ。見た目は真っ赤な石だ。
「もしかして、コレ⋯⋯」
「俗に言う『賢者の石』です」
「何で、君がこんな代物を持っているのかは聞かないが、有りがたく必要になったら使わせてもらうよ」
《窓口》から受け取った石を、上着の内ポケットにしまい、心夜と縁は神社を後にした。それを《窓口》はただ黙って見送った。




