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第7話 見えざる首輪

7-1


 十二月下旬。街全体がクリスマスから一気に年末の慌ただしさへと移り変わる時期、オレたち特総課の執務室にも、一年を締めくくる仕事納めの「空気」だけが漂っていた。

 「空気」だけ、と表現せざるを得ないのは、実際に仕事が納まっているわけではないからだ。


 「いやー、今年は本当にお疲れ様! 色々あったけど、特総課も形になってきたよね!」

 「ねー! 打ち合わせもいっぱい入って超充実してた! 残ったタスクは……まあ、来年また心機一転頑張ればいっか!」


 デスクのあちこちから、そんな呑気な会話が聞こえてくる。

 オレはパソコンの画面に表示された自分のタスク一覧を確認した。本日分のデータ入力、および指定されていた定例報告書の作成とシステムへの格納は、すべて「完了」になっている。

 視線を少し横に送ると、工藤が凄まじい速度でキーボードを叩き、猛烈な勢いで画面上の数字を処理していた。彼女のデスクの脇には、先月あたりから他部署から回されてきた処理待ちの書類が、未だに小さな山のまま残されている。


 「……工藤、お疲れ。オレは予定の作業が終わったから帰るが」


 声をかけると、工藤はキーボードを叩く手を一切止めず、画面を見つめたまま冷淡な声で言った。


 「お疲れ様。自分の割り当てが終わっているなら引き止めないわ。私はこの不透明な支出項目の付け替え処理を、年内に少しでも照合しておきたいから」

 「そうか。無理しないようにな」


 オレはカバンを持ち上げ、執務室をあとにした。 背後では、田辺や飯田たちが「今夜どこ飲みに行くー?」と盛り上がっている声が響いていた。彼らのデスクの上に積み上がったままの「未処理」のクリアファイル群は、まるで最初から存在しないかのようにスルーされている。


 庁舎を出て、冷たい冬の風に身をすくめながら駅へと向かう。 帰りの電車内は、仕事納めを終えたサラリーマンや学生たちで混み合っていた。つり革に捕まりながら、オレはスマートフォンを取り出し、SNSのタイムラインを流し読みする。

 年末のニュース速報が、画面の上部を次々と流れていく。


 『12月臨時国会、注目の法案が強行採決にて成立』

 『新与党、財政健全化のための二法案を押し切る』


 スマホの画面をタップし、ニュースの要約記事を開く。 与党が大敗を喫したあとの十二月臨時国会において、新政権が強引に成立させたという二つの法案についての解説が並んでいた。


 一つ目は、『GPCI連動型予算ルール』。 全国のメガロポリス候補都市において、翌年度の予算配分を「前年度の実績スコア(GPCI)」に基づいて厳格に分配するというものだ。これまでの「一律支給」から、完全な成果主義・実績評価への移行を意味していた。


 二つ目は、『自治破綻処理特例法』。 もし地方自治体や特別行政区域が財政破綻に陥った場合、その赤字補填の連帯債務を、当該地域の「特別総合課」の組織および職員へ直接的に付与・連帯債務化できるという、異例の特例措置だった。


 (……連帯債務、か)


 画面のテキストを指でスクロールしながら、オレは淡々とその文字を追う。


 「自治体の赤字を、末端の特総課が背負う?」


 一瞬、首をかしげた。行政の仕組みとして、そんなことが可能なのだろうか。普通なら自治体の負債は国費の投入や地方交付税の調整で処理されるはずだ。だが、画面の中の専門家コメンテーターは「前政権による野放図なバラマキと地方の肥大化した赤字を国に付け回しさせないための、画期的な責任明確化法案である」と熱弁を振るっていた。

 画面を閉じ、スマホをポケットに仕舞う。 電車がトンネルに入り、窓ガラスに自分のぼんやりとした顔が映り込んだ。

 特総課には潤沢な予算がある。今期も何百億、何千億という金が動いていると聞く。だから、どこか遠い国の法律のように思えた。オレはただ与えられた事務作業をこなし、毎月提示された給与を受け取るだけだ。

 ガタゴトと揺れる電車の中で、オレは深く考えるのをやめ、目を閉じた。


7-2


 正月休みに入り、特総課のトークグループは連日連夜、凄まじい勢いで画像や動画が投稿されていた。

 海外リゾートの海、高級料亭の料理、一晩で数十万を使い果たしたというクラブリポート。 莫大な初任給と夏のボーナス、そして冬の給与を手にした同期たちは、まるで一生分の金を手に入れたかのように豪遊し、SNSやグループチャットでその散財ぶりを競い合っていた。


 こたつに入り、ミカンを剥きながらそれらの通知を眺めていたオレのスマホに、山彦から個別のメッセージが入ってきたのは正月の二日だった。


 『桜律ー! 今からでも遅くないから東部エリアの高級温泉旅館来いよ! 俺と田辺で離れ一棟貸し切ったからさ! 女子たちも後から合流するぜ!』


 添付されていた写真には、絢爛豪華な部屋で高い酒の瓶を掲げて笑う山彦と田辺の姿が映っていた。


 『誘ってくれて悪いが、オレは家でゆっくりするよ』


 そう返信すると、すぐに『ノリ悪いな〜! 一生に一度の正月だぞ! 金なら余るほどあるんだから使わなきゃ損だって!』と威勢の良い返信が返ってきた。


 そういえば、と思い出す。 十二月の半ば頃、山彦たちが言っていた「冬の特別プロジェクト」の件だ。

 特総課が主導している「アミューズメント施設建設予定地」や、田辺たちが打ち出していた「サーキット・会員制施設」の建設現場。正月期間中ということもあり、工事自体はすべてストップしているはずだ。重機も止まり、作業員も休みに入っている。


 しかし――オレは以前、書類のチェック業務の際に目にした警備計画書を思い出していた。大規模な開発予定地であり、高価な機材や資材が放置されているという理由から、年末年始の期間中も最高レベルの民間警備会社が二十四時間体制で動員されている。現場が動いていなくても、警備費用や機材の維持費、レンタル料といった「固定費」だけは、一秒刻みで特総課の予算から数千万円単位で削り取られ続けている計算になる。


 (工事は進んでいないのに、予算だけは膨らみ続けているんじゃないか……?)


 ふとそんな疑問が頭をよぎり、オレは山彦への返信画面に指を走らせた。


 『なあ山彦。工事止まってる期間も警備費とか維持費って特総課の予算から出続けてるよな? 一応、予算の消化ペース、気にした方がいいんじゃないか?』


 我ながら余計なお節介かと思ったが、一応送信ボタンを押した。


 しかし――。


 画面の「既読」の文字は、何時間経ってもつかなかった。

 翌日になっても、その翌日になっても、山彦からの返答はなかった。それどころか、あれほど頻繁にグループチャットへ豪華な写真を投下していた山彦や田辺、飯田たちの投稿が、ぴたりと途絶えた。


 個別に『大丈夫か?』と追撃のメッセージを送ってみたが、やはり既読すらつかない。完全な音信不通だった。


 「……まあ、羽を伸ばしすぎてスマホを落としたか、飲み潰れてるんだろうな」


 オレはスマホを畳の上に置き、ミカンの皮をゴミ箱へ投げ入れた。 ニュース番組に画面を切り替えると、新しく就任した首相がテレビ画面の中で朗々と演説を行っていた。


 『――我が新政権は、前政権の怠慢で不透明な政治から完全に脱却いたします!』


 新首相は強い口調でカメラを見つめ、フリップを掲げた。


 『国民の皆様に約束いたします。本年度の予算は年内に必ず成立させ、さらに! 我が国の成長の鍵を握る「特総課スコアボード法案」を、本年三月までに必ず可決・成立させます! 透明性のないバラマキ行政を排し、真に成果を上げる都市だけに集中投資を行う! これこそが我が国の目指す未来であります!』


 画面の中の新首相が力強く拳を握りしめ、周囲の議員たちが一斉に割れんばかりの拍手を送る。


 「……スコアボード法案、か」


 こたつの中で足を伸ばしながら、オレはぼんやりとその画面を眺めていた。前政権が作ったメガロポリス計画。そして新政権が次々と打ち出す、それを締め上げるための新しい法律やルール。

 テレビの向こう側で起きている政治のドラマは、オレの日常からは遠く離れた場所にあるように思えた。ミカンの甘酸っぱさが口の中に広がり、オレはそのままこたつの温もりに身を任せて浅い眠りについた。


7-3


 一月の上旬。正月休みが明け、新年度へ向けた準備期間となる執務室へ出勤したオレは、ドアを開けた瞬間、その異様な光景に足を止めた。


 「……誰もいないな」


 広大な執務室。いつもなら四十人の新人たちと先輩たちが入り乱れ、能天気な雑談や賑やかな笑い声が響いているはずの空間が、静まり返っていた。

 ぽつん、と自分のデスクに座っていたのは工藤だった。彼女はすでにパソコンを立ち上げ、鬼のような気迫で画面に向かっている。


 他には――真面目な性格で知られる同期が十人ほど、整然と自分の席で作業をしているだけだった。 そして部屋の奥のデスクエリアに、出張から戻ってきたはずの先輩職員たちが五人。

 四十人いたはずの新人たちの姿が、ほとんどない。


 「おはよう、工藤」


 オレが自分の席に着きながら声をかけると、工藤は画面から目を離さずに短く応じた。


 「おはよう、桜律くん」

 「……他のやつらはどうしたんだ? 今日から通常勤務だと思ってたんだが」

 「有給消化よ」


 工藤はキーボードを叩く手を止めず、淡々と、しかしどこか底冷えするような声で言った。


 「昨年末までに溜まっていた有給休暇と、今回の正月休みを連結させて、全員揃って長期休暇を延長したそうよ。田辺くんも、山彦くんも、国宮さんたちもね。……新人がこの時期に一斉に有給を消化して権利を行使すること自体は労働法上問題ないけれど、新年度に向けた引継ぎや整理期間に誰もいないなんて、組織として正気の沙汰ではないわ」

 「そうか。……だから山彦から返事がなかったんだな」


 音信不通だった理由が分かり、オレは納得した。単に休みを満喫していて、仕事用の連絡ツールを完全に放置しているだけだったのだ。


 「まったく……残された人間の負担など一切考慮していないのね」


 工藤が小さく舌打ちをする。オレは自分のパソコンの電源を入れ、指示されていたデータ整理の作業を開始した。新人たちの大部分が不在の執務室は、不気味なほど静かだった。


 ――それから数日後のことだ。


 オレはデスクの上に溜まっていた「他課への回覧書類」の束をファイルにまとめ、立ち上がった。都市整備課や財政課へ直接持って行き、受領印をもらってくるという、いわゆる雑務の一環だ。


 「よし、行ってくるか」


 ファイルを持って執務室のドアへ向かおうとした、その時だった。


 「あ、桜律くん! ちょっと待って!」


 奥のデスクから、先輩職員の一人が慌てた様子で飛んできた。普段は爽やかな笑顔を絶やさない先輩だが、なぜかその表情は切迫しており、どこか必死さが漂っている。


 「その書類、他課へ持っていくところでしょ? いいよいいよ! 僕たちがやっておくから!」

 「え? いや、オレの今日の分の業務ですし、ただ届けてサインをもらうだけですが」

 「いいからいいから! 新人君にそんな雑務をやらせるわけにはいかないよ。君たちは特総課のメインプロジェクトに集中するのが仕事なんだから!」


 先輩は半ば強引にオレの手からファイルの束を奪い取ると、「じゃあ行ってくるね!」と言い残し、風のように執務室を飛び出していった。


 (……なんだ?)


 残されたオレは、空になった自分の両手をポカンと見つめた。書類を届けるだけの雑務だ。わざわざ先輩職員が奪い取ってまでやりたがるような仕事ではないはずだ。

 困惑しながら執務室の渡り廊下側の出入口へ向かうと、向こうから見知った顔が歩いてきた。同期の飯田だった。有給消化が終わったのか、私服にジャケットを羽織った軽い身なりをしている。


 「お、桜律じゃん。お疲れ〜」

 「飯田か。有給明けたのか」

 「おう! 最高だったわマジで! でさ、今なんか先輩に書類奪われてなかった?」

 「ああ。他課に届け物をしようとしたら、急に飛んできて持っていかれたんだ。なんでわざわざ雑務を奪うのか意味が分からん」


 オレが首をかしげると、飯田はヘラヘラと笑いながら手を振った。


 「いいじゃんラッキーだろ! 実はさ、俺も昨日同じことあったんだよね。他課の担当者に確認したいことがあって行こうとしたら、別の先輩に『あ、そこは俺が話通しておくから君は部屋にいて!』って止められてさ。雑務やらなくて済むんだから儲けものだって!」

 「……お前もか?」

 「そうそう。なんかさ、俺たち今年に入ってから他課の職員とほとんど面識持ててないよな〜。まあ、俺たちは特総課っていう特別な部署なんだし、下の雑用は先輩たちが気を使ってやってくれてんだろ!」


 飯田が能天気に鼻を鳴らしていると、廊下の奥から田辺と山彦がやってきた。二人とも日焼けした顔で、ブランド物の服を身にまとっている。


 「おう飯田、桜律! なにしてんだよこんなところで」

 「あ、田辺! 今さ、先輩たちが雑事全部やってくれるからラッキーって話をしてたんだよ」


 飯田が言うと、田辺は大げさに頷いて胸を張った。


 「当たり前だろ! 俺たちは澪標を変える超大型プロジェクトを動かしてんだぞ? 他課の細かい事務作業なんかに時間使ってられるかっての! 先輩たちもそこらへん、俺たちの『価値』をちゃんと分かってくれてるんだよ」


 山彦も嬉しそうに追従する。


 「そうそう。新人が率先してやるような下働きをしなくていいなんて、最高の部署だよな。おかげで俺たちの大型計画に全力投球できるわ!」

 「だろ!? よーし、じゃあ飯田、山彦、このあと例の『テーマパーク誘致&会員制施設』の追加打ち合わせ行くぞ! 予算の増額申請書も作っとかなきゃな!」

 「おう! どんどん豪華にしようぜ!」


 三人はハイタッチを交わし、楽しそうに笑い合いながら、執務室を通り抜けて会議室の方へと歩いて行った。

 オレはその背中を黙って見送った。


 (他課との面識を一切持たせない……?)


 違和感が、胸の奥で小さな澱のように溜まっていく。 先輩たちが「親切」で雑務を肩代わりしてくれている。新人たちに大型プロジェクトへ専念させるため。田辺たちの解釈はそうだった。


 だが、もしそれが――新人を他部署の人間と接触させないための「隔離」だとしたら?


 なぜ他課の人間と話させてはいけないのか。 なぜ特総課の外の情報を、オレたちに触れさせようとしないのか。


 「……考えても分かるわけないか」


 オレは頭を振った。 観測できる事実以上のことを推測しても意味はない。確証のない不気味さを追いかけるより、目の前の自分の仕事を行うだけだ。

 自席に戻ると、隣の工藤が相変わらず氷のような表情でキーボードを叩いていた。彼女の画面には、特総課の予算執行状況を示す複雑なグラフと数値の列が並んでいる。

 オレは自分の席に腰を下ろし、静かにパソコンの電源を入れた。 何事もなかったかのように、自分の割り当てられた業務を開始するために。


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