第22話 田辺電治郎の行方3
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「だ、だから出勤すらしてなかったんじゃないのかよ!?」
「もう何が何だか意味分かんないんだけど! 5時3分に来た田辺と、今消えてる田辺は別の人間なんじゃないの!?」
飯田くんや志葉さんを筆頭に、執務室全体が半ば狂乱めいたパニックと混乱に飲み込まれつつあった。論理も整合性もない、支離滅裂な疑心暗鬼と妄想の言葉が飛び交い、特別総合課の空間が急速に荒んでいく。
「みんな、落ち着いて! 一度冷静になろう!」
柊くんが必死に両手を広げて宥めようとしているが、一度感情に火がついた人間たちを止めるのは容易ではない。
(……はあ。一度パニックを起こせば、簡単には収拾がつかない。これが澪標の特別総合課の致命的な欠陥ね)
私は頭を痛めながら、こめかみを強く指で押さえた。田辺電治郎という一人の人間が、監視カメラの探知を潜り抜けて庁舎内から跡形もなく姿を消した。そんな物理法則を無視した事象が起きるはずがない。だが――今まで集めた情報を照らし合わせれば合わせるほど、消去法によって田辺くんの存在そのものが闇の中へと隠れていく。
(……こんなあり得ない状況を認めろとでもいうの? 幽霊だの神隠しだの、そんな非科学的なおとぎ話を受け入れろというの……!?)
答えの出ない自問自答を繰り返し、私は自分の無力さに固く歯噛みした。国宮さんも「みんな、私語はやめよう? ね?」と柔らかい声で周囲を回って落ち着かせようとしていたが、もはや個人の宥めなど焼け石に水で、騒ぎはとどまる気配を見せなかった。
その時だった。
『……フフッ。いやはや、見苦しい限りですね』
嘲笑を含んだ甲高い声が、騒音を切り裂いて響いた。室内の中央、棚の上にちょこんと鎮座していたサバキネコが、喉を鳴らしながら冷ややかな視線を私たちに向けていた。
『身内の足抜けどころか、状況の整理すらできずに身内で騒ぎ立てるだけとは……澪標市の特別総合課も、今後の運営が思いやられますねぇ』
「……あんだと、コラぁっ!?」
サバキネコの煽り文句に、真っ先に導火線へ火がついたのは駿河屋くんだった。彼は顔を真っ赤にして血圧を上げ、地鳴りのような怒号を響かせると、サバキネコに向かって一直線に飛びかかった。
「ふざけた口叩いてんじゃねえぞクソ猫がぁッ!!」
「やめるんだ、駿河屋くん――!」
柊くんが叫び、制止のために素早く前へ踏み出そうとした。しかし――その直後、柊くんの動きが不自然に止まった。
(……え?)
私の視界の端で、一瞬の違和感があった。桜律くんが後ろから手を伸ばし、柊くんの手首をぐっと強い力で引っ張って制止していたのだ。
ほんのコンマ数秒のタイムラグ。だが、その瞬間に全員の視線はサバキネコへと飛びかかった駿河屋くんに集中していたため、桜律くんが柊くんを止めたという事実を認知したのは、当事者である柊くんと桜律くん、そして偶然にも角度的にそれを見ていた私だけだった。
『ほいっと』
サバキネコは軽い身のこなしで、ひらりと上空へ跳躍し、駿河屋くんの突進を難なく回避した。目標を失い、勢い余った駿河屋くんは、そのままの速度で壁際に設置されていた大型の金属ラックへと猛スピードで激突した。
――ガシャアァァァンッ!!
凄まじい金属音と衝撃音が執務室全体に轟き渡った。書類や備品が崩れ落ち、駿河屋くんが派手に床へ倒れ込む。そのあまりにも唐突で暴力的な物理音によって、さっきまで騒がしかった執務室は、まるで水を打ったかのように一気に静まり返った。
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重苦しい静寂が室内を支配する中、床で痛そうに呻く駿河屋くんを誰も助け起こそうとはしなかった。あまりの静けさに、誰かの生唾を飲み込む音すら聞こえそうなほどだった。
その静寂を、淡々とした男の声が破った。
「……なあ」
声を上げたのは、桜律くんだった。
(……桜律くん? 彼が……?)
私は内心で驚きを禁じ得なかった。普段の彼は、周囲のバカ騒ぎや議論に対して常に距離を置き、自分から積極的に発言することなど滅多にないからだ。だが、私自身も今のところ思考がまとまっておらず、何か明確な打開策を提示できるわけでもなかったため、黙って彼の行動を注視することしかできなかった。
桜律くんは口を固く縛った一袋の透明なビニール袋を取り出し、全員に見えるよう中央の机の上にポンと置いた。
私はそのゴミ袋に見覚えがあった。つい先ほど、佐川くんが非常階段の途中で昼寝をしているのを発見して叩き起こした際、途中経路に転がっていたゴミだ。
「話の本筋と関係ないから言うか迷ってたんだが……」
桜律くんは淡々と前置きをし、周囲を見回した。
「これ……食べたのって誰なんだ?」
執務室にいた38人の視線が、一斉に机の上のゴミ袋へと注がれた。一瞬、全員がぽかんとした表情を浮かべたが、すぐに口々に答え始めた。
「さあ……? 知らないけど」
「そんなのどこにあったのよ」
「え、何それ? コンビニのパンの袋?」
誰一人として心当たりがない様子だった。飯田くんが呆れたように鼻で笑い、ツッコミを入れる。
「なんでそんなゴミ持ち歩いてんだよ、桜律。汚ねえな」
「いや……ポイ捨てはダメだって注意しようと思ってな」
桜律くんは表情一つ変えずに淡々と答えた。その言葉に、山彦くんが鼻を鳴らして切り返す。
「他の課のやつが食ったんじゃねえの? 俺たちに関係ねえだろ」
世良くんも眼鏡の位置を直しながら、苦言を呈するように頷いた。
「まあ、確かにポイ捨てはいただけないが……今話すようなことでもないよね」
世良くんの指摘は至極合理的だった。田辺くんの失踪という未曾有の事態において、誰かが捨てたゴミの犯人捜しなど優先順位が最下位であるはずだ。
だが――ただ一人、そのゴミ袋を凝視したまま絶句している人物がいた。
柊くんだ。柊くんは目を見開き、顔色を変えて桜律くんに問いかけた。
「これをどこで見つけたんだい?」
普段の穏やかな柊くんからは考えられない真剣な問い詰めに、その場にいた全員の頭の上に「?」が浮かんだ。桜律くんは気にした様子もなく口を開く。
「非常階段で見かけたんだよ」
「……間違いない、それは調理員さんたちが探してた『廃棄予定の備蓄』だよ。紛失してたっていう……」
柊くんが搾り出すように呟いた言葉に、室内が一変した。
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「じ、じゃあ……他の課の職員さんが間違って食べちゃったのかな……?」
国宮さんが不安そうに小首を傾げ、ぽつりと呟いた。しかし、世良くんが即座にそれを否定した。
「それはないよ」
世良くんは人差し指を立て、論理的に分析を進める。
「もし誰かが手に取るなら、それは昼食の時だろう? その時間に間違って手に取ってたら流石に調理員さんが指摘するんじゃないのか。……まして、並べられているとはいえそれを無料の支給品だと認識するとは思えない。どこで買えるのか、なんて会話が必ず生まれるはずなんだ。そうすれば、調理員さんは必ず『それは商品じゃなく、廃棄予定のものだ』と伝えるはずだよ」
世良くんの論理的な推論を聞きながら、私の頭の中で、バラバラだったパズルのピースが一気に組み合わさっていく感覚があった。
(――ッ!? そうか……そういうこと……!?)
ハッとして息を飲む私を余所に、桜律くんが再び冷静に言葉を重ねた。
「うちの課の職員でもない。他の課の職員でもない。手に取っても指摘されず、まして支払いする気もなかったやつが食べたことになるわけか。一体どこの誰が食べたんだろうな」
桜律くんの投げかけた問い。その「誰か」に該当する人物は――この庁舎内にただ一人しか存在し得なかった。
「……田辺くんよ」
私の口から、小さく言葉が漏れた。周囲の視線が私に集まる。私は確信を込めて、はっきりと宣言した。
「田辺くんは……廃棄予定の備蓄品に手をつけた……ということで間違いなさそうね」
私のその一言によって、執務室はより一層の混沌へと包み込まれた。しかし、周囲の狂乱とは対照的に、私の思考回路だけは驚くほどクリアに、鮮明に澄み渡っていった。
「工藤さん」
私の思考に呼応するように、世良くんが真剣な面持ちで語りかけてきた。
「パントリーで見た清掃シフトをもう一度見せてもらえないかな」
「ええ」
私は頷き、隣の国宮さんに向き直った。国宮さんは一瞬何事かと不思議そうな顔を浮かべていたが、私が「写真を出してほしい」と言うと、すぐに端末を操作して手渡してくれた。
一連のやり取りを見ていた男子や女子たちが、耐えかねたように声を上げる。
「何か分かったのか!?」
「何が起きてるんだよ! 解説してくれ!」
私はゆっくりと全員の前に一歩踏み出し、私の頭の中で完成した【唯一の論理的仮説】を展開し始めた。
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「落ち着いて聞いてちょうだい。事の顛末はこうよ」
私は静かに言葉を紡ぎ出した。
「昨日、頼まれていた仕事を終わらせていないことに気がついた田辺くんは、世良くんからの叱責もあったことで少し早く出勤した。その時刻は5時3分。他のどの職員も出勤してきてはいなかったわ。言われた通り仕事をこなし始めた田辺くんだったけれど、途中で小腹が空き、カフェテリアに向かったの」
私の語る物語に、誰もが言葉を失って聞き入っている。
「けれど、当然そんな朝早くからカフェテリアがやってるはずもない。ただ……たまたま近くを通りかかった田辺くんは見つけてしまったのよ。廃棄処分待ちとして区画に整然と並ぶ備蓄品を。腹を空かせた田辺くんは、人目がないのをいいことに、備蓄されていた食料の一つを拝借。そのまま非常階段で食べ終え、ゴミをポイ捨てしたのちに執務室に戻ることになった」
私は一気に核心へ向かって畳みかけた。
「ただ……廃棄予定の期限切れ食料を食べた田辺くんは、腹を壊すことになるのよ。その時刻はおそらく、6時33分。そう……世良くんが確認した、田辺くんが最後にパソコンを操作したログのある時間よ。そのタイミングでトイレに行った田辺くんは、下痢でトイレに篭ったまま……気がつくと連日の残業と朝出勤、それに休日返上で働いたツケが祟って、個室の中で今も眠りについているわ」
言い終えると同時に、私は腕を組んで周囲を見回した。これが私の打ち立てた仮説だ。周囲からは「なるほど……」と納得しかける勢力も現れたが、当然のようにイキリ立って反対する者もいた。
「ハッ! んなバカな話があるかよ!」
激突事故から立ち上がった駿河屋くんが、顔を歪めて反論してくる。
「田辺がトイレで居眠りするわけねえだろ! ボケ老人かよ! ちょっとトイレで座ってた程度で眠るか普通!? それこそ再現性がねえんじゃねえのか!?」
それに乗っかるように、飯田くんも声を荒らげた。
「そうだぞ! もし本当に田辺が廃棄待ちの備蓄品食べて下痢になってるなら、証拠でもあるのかよ!」
矢継ぎ早に飛んでくる反論。しかし、私の冷徹な思考は揺るがない。一つ一つ破綻させてあげるまでだ。
「まず、駿河屋くんの反論に対してだけれど」
私はすっと片手を挙げ、ある人物を一直線に指さした。
「少し座っていた程度で居眠りする人なら……そこにいるじゃない」
指さされた先にいたのは、佐川くんだった。
「は? 俺……!?」
佐川くんは突然指名され、心底困惑した表情を浮かべた。山彦くんが訝しむように私を見つめて口を挟む。
「佐川は身に覚えがないみたいだけど? 工藤、言いがかりか?」
「言いがかりではないわ。田辺くんが行方不明になってから、佐川くんは捜索そっちのけで、非常階段の踊り場にて壁にもたれかかって居眠りをしていたわ」
私は怯むことなく告発した。
(……まあ、これが事実と少し異なる偽証だと理解しているけれどね。本当はスーツを枕代わりにして床に横になり、盛大にいびきをかいて爆睡していたのだから。でも『寝ていた』という点においては何一つ嘘はないわ)
「うぇあ……!? あ、いや……あの……」
佐川くんは顔を青ざめさせ、しどろもどろになって冷や汗を流し始めた。そこへ追い打ちをかけるように、国宮さんも微笑みながら同調してくれた。
「うん、私も工藤さんと一緒にそれを見たよ。ねえ……その場にはサバキネコちゃんもいたよね?」
国宮さんが巧みに外堀を埋めにかかる。話を振られたサバキネコは、小さくため息をつきながら言った。
『……まあ、居ましたね』
サバキネコはあくまで「その場にいたこと」だけを肯定した。佐川くんが壁にもたれて寝ていたかどうかまでは明言させず、第三者の客観的証言として信ぴょう性を補強する。
「さらに続けて……田辺くんの次に早く出勤したのは佐川くんだったわね。佐川くんは7時10分出勤だったはずよね?」
私が再び尋ねると、サバキネコは『そうですね』と頷いた。私は振り返り、駿河屋くんを直視する。
「田辺くんよりも後に出勤してきた佐川くんが、少し座っていただけで眠っていたこと。そして目撃者と第三者の証言。これによって『座った状態で眠りに落ちる』という事象の再現性は十分に証明されたわ」
「くっ……!」
駿河屋くんが絶句する。続いて私は飯田くんへ向き直った。
「それから飯田くん。証拠なら簡単よ。さっき桜律くんが取り出したゴミ袋の封を解き、消費期限を確認した上で商品名で検索をかけるの。そして期限を超過した日数分で食した際の健康被害ケースを調べれば、下痢を引き起こすかどうかは一発で確定させられるわ」
「ぐ……ぬぬ……」
完璧な反論を受け、二人は流石にこれ以上言えることがなくなり、歯噛みしながら下がっていった。
「ちょっと待ってくれよ」
だがその時、一人の男が静かに立ち上がった。伏里くんだ。
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「俺が調べた内容を、もう一度説明する」
伏里くんは卑屈な雰囲気を消し、淡々と口を開いた。
「俺は男子トイレを虱潰しに、全階の全個室を確認して回った。その上で、田辺はいなかった。工藤の仮説を通すなら、俺が集めた証拠とは真っ向から食い違う。……仮説と、実際に目視した証拠。比べるまでもないんじゃないのか?」
伏里くんの理路整然とした反論を聞き、撃沈していた男子たちが一斉に息を吹き返した。
「そうだ! 伏里が全部見たんだよ!」
「工藤の仮説は崩れたな!」
山彦くんや飯田くん、果ては佐川くんや雪森くんまでが、「流石に工藤ちゃんでも押し切られるか?」 「伏里って案外切れ者なのか!?」「工藤を言い負かすのすげー!」となぜか急に元気を取り戻し、伏里くんを持ち上げ始める。
私は一通り全員の意見に耳を傾けたのち、静かに口を開いた。
「確かに……私の仮説はあくまで仮説であり、伏里くんが実際に足を運んで目視した情報には劣るわ」
「だろ!?」と山彦くんがドヤ顔を浮かべた。しかし、私は言葉を続けた。
「――ただし。それはあくまで『男子トイレ』の話よ」
「……は?」
一瞬で、執務室全体が氷漬けになったかのように凍りついた。
山彦くんが頬を引き攣らせ、引きつった声を漏らす。
「おいおい……それって、犯罪じゃ……」
女子連中からも、「嘘でしょ……あり得ない……」「嫌すぎるんだけど……」という悲鳴のような声が漏れ始める。
私はそれらの動揺に一切怯むことなく、断固とした口調で言い切った。
「田辺くんは……女子トイレに入ったわ」
言葉にした瞬間、溜め込まれていた空気が一気に決壊した。
「ふざけんな!!」
「田辺をそこまでの変態扱いすんのかよ!」
男子たちからの怒号。
「キャーッ! 気持ち悪い!!」
「最悪! 最低なんだけど!!」
女子たちからの発狂に近い罵声。
嵐のような怒号と暴言が執務室を飛び交い、私の声など掻き消されていく。だが、私はただ黙ってそれらを聞いていた。あまりの混迷ぶりに、全く収まる気配がない。
「そんな無茶苦茶な話通るかよ!!」
飯田くんが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「工藤さんの仮説が今日一番あり得ないんですけど!!」
女子たちからも不満が爆発する。
(……まあ、無理もないわね。女子トイレへの侵入なんて、普通に考えれば異常事態だもの)
私は内心で理解しつつも、息を深く吸い込み、声を張り上げた。
「静かにしなさい!!」
凛とした一喝が部屋に響き渡り、全員の注目が私に集まる。
「証拠なら、あるわ」
私は世良くんを指さした。指名された世良くんは、国宮さんの端末を食い入るように見つめながら、静かに数値を読み上げた。
「9階 男子トイレ:06:31 - 06:39、清掃中・利用不可」
世良くんの提示したデータを受け、私が言葉を繋ぐ。
「特別総合課の執務室があるのは9階。そして田辺くんが席を離れたのは6時33分だとログが示している。……つまり田辺くんは、腹を下して飛び出したはいいものの、9階の男子トイレが清掃中で使用できず……たまらず目と鼻の先にある『女子トイレ』に駆け込んだ。……これが真実よ」
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「ギャアァァァァッ―――!!」
真実を突きつけられた瞬間、女子グループから耳をつんざくような絶叫が上がった。
「うわあああ! 田辺のやつ、マジで女子トイレにいやがるのか!?」
「引っ張り出せ! 今すぐ引っ張り出せぇ!!」
さっきまで田辺くんを庇っていた男子たちが、一転して怒りのパニックに陥り、一斉に9階の女子トイレに向かって駆け出そうとした。
「待つんだみんな! もし中に他の女性職員さんがいたらどうするんだい!?」
柊くんが慌てて立ちはだかり、必死に止めに入ろうとする。しかし、激高した山彦くんが怒号を上げた。
「そんなこと言ってられるかよ!!」
「柊くん! 女子はみんな『早く引っ張り出してきて』って言ってるのよ!!」
もはや収拾がつかない。どれだけ柊くんが説得しようとしても、頭に血が上った駿河屋くんが「どけぇッ!」と柊くんを力任せに投げ飛ばし、男子たちはゾロゾロと9階の女子トイレへと雪崩れ込んでいった。
「ちょっと、あなたたち……!」
私も国宮さんたちと共に女子トイレへ向かった。女子トイレに入ると、奥に並ぶ個室のうち、一番手前の扉だけが固く閉ざされたままになっていた。
「起きろ田辺ぇッ!!」
「出てこいこの変態野郎がぁッ!!」
男子たちが扉をガンガンとド突いて蹴り飛ばし、激しい音で揺さぶる。山彦くんが隙間から中を覗き込もうとしたため、私はすかさず前に出た。
「待ちなさい!」
私の静止に、山彦くんが「な、なんなんだよ!?」と振り返る。
「もし中に他の女性職員がいたらどうする気なの? やめなさい」
冷徹に言い放つと、山彦くんは「あ……」と顔を青ざめさせ、コソコソと後ろへ引っ込んでいった。
やがて――ガタガタと揺さぶられ続けた一番手前の個室から、
『……んぁ? ……え? 何……?』
という、寝ぼけた野太い男の声が響いてきた。
――田辺くんの声だった。
その声を聞いた瞬間、男子たちの怒りは頂点に達した。
「田辺ぇぇぇぇッッ!!」
山彦くんと飯田くんが即座に屈んで足場を作り、そこへ勢いよく駆け乗った駿河屋くんが、個室のドアの上から中へと飛び込んだ。
「なっ、何!? 駿河屋!? ギャアァァァァッ―――!?」
驚愕した田辺くんの声が、一瞬で絶望の悲鳴へと変わり、直後に生々しい打撃音が個室の中から幾重にも響き渡った。
「痛い! 痛い! やめてくれぇぇッ!」
「この変態野郎! ぶっ殺してやる!!」
田辺くんの絶叫と、駿河屋くんの容赦ない罵詈雑言。やがて暴行の音が静まり、ガチャンと中から鍵が外された。
その直後――。
(……え?)
いつの間にか私の後ろに立っていた桜律くんが、無言でスッと左手を伸ばし、私の目を優しく覆い隠した。視界が真っ暗になる。同時に、彼の右手によって肩を抱かれ、女子トイレの外へと静かに引っ張り出された。
後ろの女子トイレからは、佐川くんの絶望的な叫びが響き渡っていた。
「は……? た、田辺……フルチンじゃん……!!」
「「「キャアァァァァァァッ―――!!」」」
次の瞬間、女子トイレ内は田辺くんに対する信じられない数の罵声と、男子・女子入り乱れた未曾有の暴動と怒号で完全に埋め尽くされることとなったのだった。




