第21話 田辺電治郎の行方2
21-1
あらゆる説が提示され、そしてそのすべてが冷徹な事実によって否定された。特別総合課の執務室を包み込んでいるのは、重苦しく、それでいて出口の見えない停滞感だった。
誰もが沈黙し、次の言葉を探しかねていたその時――。
「――フッ」
唐突に、静寂を切り裂くような短い鼻笑いが響いた。見れば、部屋の中央付近に立っていた男が、ビシッと右手の人差し指を天高く掲げている。雪森くんだ。 彼は天を指さしたまま、人差し指をチッチッチと左右に振り、芝居がかった大げさな身振りでゆったりと前へ躍り出た。その顔には、まるで劇場の主役にでも躍り出たかのような、胡散臭い余裕の笑みが貼りついている。
(……何をやっているのかしら、彼は)
私は内心で深く溜め息をついた。この切迫した状況において、パフォーマンスに終始する人間の心理構造が理解できない。ただの自己顕示欲のあらわれか、それとも現実逃避の一種か。いずれにせよ、無駄な時間を費やすことだけは避けたかった。
私が不快感を眉根に寄せたその時、柊くんが柔らかい、諭すような声をかけた。
「雪森くん……何か、考えがあるなら教えてほしいな」
柊くんのどこまでも優しい対応に助けられた雪森くんは、待ってましたと言わんばかりにポーズを決めた。片足を斜め前に突き出し、片手を腰に当て、もう一方の手を斜め上に掲げるようなポーズのまま、自信満々に語り始める。
「よくぞ聞いてくれたぜ、柊! 俺はずっと……そう、最初から気づいていたんだよ。田辺は『いなくなった』んじゃねえ。『脱走した』ってな!」
雪森くんが溜めに溜めて言い放った言葉に、周囲の空気が一瞬だけ引き締まりかけた。しかし、最後まで言い切るより早く、志葉さんが冷ややかな声を浴びせた。
「ちょっと待ちなさいよ」
志葉さんは腕を組み、不機嫌そうに雪森くんを睨みつける。
「それ、最初にサバキネコが否定していたじゃない。田辺くんが最後に監視カメラに映っていたのは、今朝5時3分に出勤してきた時でしょ。正面玄関からも裏口からも、彼が出て行った記録なんて一切ないんだから。話を聞く前だけど、その仮説は最初から破綻してんのよ」
至極真っ当な指摘だった。論理的根拠に基づかない推論は、入り口の段階で排除されるべきだ。だが、雪森くんはその徹底的な否定にも一切怯むことなく、「ノンノン」と指を振りながら笑顔で返した。
「甘いよ、志葉さん。田舎のばあちゃんの手作り菓子よりも甘いぜ。あまりにも考えが浅直だ。俺が言いたいのはね……田辺は『正面から脱出していなかった』ってことだ!」
もったいぶったその物言いに、駿河屋くんが苛立ちを露わにして食ってかかった。
「だったらどこから出たっていうんだよ!」
「そうだぞ!」
山彦くんも乗っかるように声を上げる。
「まさか、窓から出たとかいうのか? 田辺って結構バカだけど……そんなことするやつか? いや……あいつならするか……?」
肯定とも否定とも取れない山彦くんの支離滅裂な独り言に対し、雪森くんはまたしても「ノンノン」と否定してみせた。
(……はあ)
私は頭痛を覚える心地でこめかみを押さえた。もし彼が、考え得る限りの仮説をあえて引っ張り出させて順番に否定させるためにやっているのだとすれば……百歩譲って認めてあげてもいい。だが、もし単に「目立ちたいだけ」という浅薄な理由でこの場の時間を取らせているのなら――私は彼の説を完全論破した上で、時間を取らせたことを謝らせようと決意する。
「で……結局、雪森くんは何が言いたいの?」
酒井さんが呆れたように先を促した。雪森くんは待っていましたとばかりに胸を張り、自論を展開し始めた。
21-2
「いいか、みんな。俺は普段から、食堂のおばちゃんたちとコミュニケーションを取っているんだ」
雪森くんは朗々と語る。
「そのおかげもあり、俺はさっき、無理を言って調理場の中に入れてもらうことができたんだよ。調理場の中は至って普通だった。だが……俺は見逃さなかったんだ。1箇所だけ、人ひとりが通れそうな場所が存在してたってことを!」
雪森くんは劇的なトーンで一拍置き、バッと手を広げた。
「それが食品廃棄路……そう、ダストシュートだ!!」
「な……!?」
「田辺はそこを通って外に脱出して、借金から高跳びしたんだよ!!」
高らかに宣言し、熱弁を振るう雪森くん。しかし、その仮説を聞いた女子たちの反応は、あまりにも冷酷だった。
「……うわぁ……」
「ドン引きなんだけど……」
女子グループから湧き起こったのは、感心ではなく強烈な拒絶反応だった。
「ちょっと、仮にそれが本当だとして……ダストシュートを通って逃げたってこと!?」
「田辺の衛生観念どうなってんの!?」
「最悪……汚すぎるでしょ……」
まだ確定したわけでもないのに、田辺くんの衛生観念を酷評しまくり叩いていた。だが雪森くんはどこ吹く風で、さらに付け加えた。
「普段ダストシュートが開いているのかおばちゃんに確認したんだが、今日は食品廃棄の日だから鍵を開けていたそうなんだよ! つまり田辺は、計画的に脱走するつもりだったんだよ!」
雪森が高らかに宣言すると、単純な男子たちが反応した。
「マジかよ……田辺最低じゃん!」
飯田くんや山彦くんが本気でキレ始め、それを見た雪森くんはすこぶる気持ちよさそうにしている。そして、ふと私と雪森くんの目が合うと、彼はバチッとウィンクをして饒舌に語り続けていた。
(……カチン、ときたわね)
そのあまりに調子に乗った行動にカチンときて、私は内心で呆れつつ、隣の国宮さんの方を見た。だが、彼女はどうやら反論する気がないらしい……ということが表情からわかった。
(……さっきから私ばかりが嫌われ役をやっている気がするのだけれど)
損な役割だと思いつつも、放っておくわけにもいかない。私は深呼吸をし、雪森くんの仮説を明確に否定するために口を開いた。
21-3
「――雪森くん。あなたのその説、根本から間違っているわ」
私の介入に、雪森くんはぎょっとしつつも、すぐに余裕を見せるように挑発的な笑みを貼り付けた。
「なんだよ工藤、なにが違うのか教えてくれよ?」
「そうだ、田辺はゴミなんだよ!」
駿河屋くんから意味不明な擁護が飛ばされたが無視し、私は地下のバックヤードに行った時のことを回想しながら語り始めた。
「パントリーの壁にあった張り紙に、清掃シフト表と端に『4月20日、廃棄物処理日、カフェテリア調理室裏食料廃棄区分に運搬予定』と書かれていたわ」
私が事実を伝えると、それに乗っかる形で、一緒に調べていた国宮さんがすかさずスマホの画面を見せた。
「うん、証拠として写真を撮っておいたよ」
国宮さんが提示した写真の証拠を見せられ、雪森は若干気圧されつつも、なおも弁を振るう。
「だ、だが田辺はそれを把握して計画したなら別に間違ってなくない!?」
悪あがきを続ける雪森くんだったが、ここで柊くんが静かに「待った」をかけた。柊くんの待ったに、雪森くんはさらにだらだらと冷や汗を流しつつ、なんとか余裕の笑みを貼り付けたまま話を促した。
「な、なんだよ柊……?」
「僕も雪森くんと同じように、調理員さんに話を聞いていたんだ」
柊くんは落ち着いた声で語り始める。
「床にビニールテープで区画分けされていたものを見つけて、何なのか尋ねた時に返ってきたのが『食料廃棄区分』という単語だったんだ。詳しく話を聞くと、有事に備えて市が備蓄している保存食の中に期限切れのものがあるから、廃棄するためにダストシュートのあるカフェテリアの方まで運んでいたそうなんだよ。……そして、ダストシュートは誤って使うと危険なため直前まで鍵は閉めていたらしく、実際に使用したのは『13時20分』だったんだ」
柊くんは事実を告げた後、補足のように柔らかく微笑んだ。
「どうやら、一部行方がわからなくなった保存食もあるみたいで、調理員さんたちが困っていたから、みんなも見つけたら教えてあげてほしいな」
話を最後まで聞いていた世良くんが、メガネを押し上げながら雪森くんに対し、冷徹に幕を引いた。
「そういうことだね、雪森くん。田辺くんが失踪した時刻と、ダストシュートが使用できるようになる時間には明確な食い違いがある」
完璧なロジックによって、雪森くんの仮説は自然と幕引きに持っていかれた。雪森くんは恥ずかしそうに下を向いていたが、最後にカッコつけるとばかりにバッと手を挙げた。
「で、でもっ! 窓から出たとかはないからね! 低層階の窓は基本はめ殺しだったし、上層階なら骨折するからすぐに見つけられるはずだしさ!」
誰にも言われていない言い訳を口にして、彼は強引に話を締めくくった。
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ここまで話し合ってわかったことはただ一つ。田辺くんは出勤した後に外出することはなく、この庁舎内で行方不明になったということだった。
「……ねえ」
南野さんがぽつりと呟いた。
「田辺くんは……幽霊だったんじゃないかな……?」
オカルトめいた発言に、霞さんが即座に声を荒げる。
「だったらなんですの!? 壁でもすり抜けたって言うんですの!?」
「いや、透明になって……」
南野さんは話を続けようとするが、周囲がそれを許さなかった。
「たとえ冗談でも仲間を幽霊だって扱うのはよくないよ」と柊くんが諭し、「たとえ幽霊だとしても、それを証明できなければ議論に値しないよ」と世良くんが冷たく切り捨てる。真智さんだけが「なかなかユニークな視点で私は嫌いじゃありませんよ!」とフォローを入れていたが、私は容赦なく現実を突きつけた。
「田辺くんが幽霊であれ神隠しにあったという話であれ、科学的でない以上、それが真相であっても私たちに再現性はなく、発見は不可能よ」
私の切り捨てにより、オカルト説もあっけなく消滅した。
「じゃあ……本当に田辺のやつはどこにいったんだよ……」
佐川くんが諦念のような声音で愚痴をこぼす。その時、項垂れていた山彦くんが、ハッと顔を上げて鼻高々に声を張り上げた。
「――閃いた!!」
私はそれを見た瞬間、反射的に言い放った。
「却下よ」
話を聞く前から、どうせ正しくないだろうと決めつけて遮る。
「なんでだよ!?」
山彦くんは当然の反応を示して怒ったが、国宮さんが間に入った。
「まあまあ、山彦くんの話も聞こ?」
国宮さんは私を優しく諭すように言う。
「もしかしたら合ってるかもしれないし、間違っていたなら工藤さんが正しい方向に導いてあげればいいんじゃないかな?」
国宮さんが微笑むと、山彦くんは「国宮ちゃんまじ最高ーっ!!」と鼻の下を伸ばして大興奮し出した。そして、いそいそと皆の前に立ち、自論を展開し始めた。
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「いいかみんな! 灯台下暗しだったんだよ!」
山彦くんは自信満々に語る。
「実はさ、カーテンの裏とか非常階段の踊り場とか地下駐車場とかで、あいつは今も爆睡してるんだって!」
(……あり得ないわね)
この時点で私は論破しようと思ったが、国宮さんに手でそっと制されたため、一言言うのを思いとどまった。
山彦くんは私の沈黙を気に留めず、調子に乗って喋り続ける。
「田辺みたいなバカなら、横になって3秒もすればどんな格好、どんな姿勢でも寝られるはずだろ? 今も呑気に寝てんじゃねーの!?」
山彦くんの意見に対し、笹坂さんや飯田くんが「そういやカーテンの裏とかは見てなかったな……」と同意を示し始める。山彦くんは我が意を得たりと、「だろ!? 捜索が杜撰だったからもっかい探せば見つかるって!」と軽い調子で笑い飛ばしていた。
私が反論しかけた、そのとき。反対側にいた女子が冷たく言い放った。寒川さんだ。
「……あのさ」
寒川さんは山彦くんの言っていることの中の『地下駐車場』の方を明確に否定できると言い、ビシッと伏里くんを指差した。
指名された伏里くんは「は? 俺かよ……」と嫌そうに言いながら、卑屈そうな声で口を開いた。
「……確かにぐるっと見て回ったよ。車内もくまなくな。見終わってから寒川に会ったんだから、間違いない」
山彦くんは「んな……」と一瞬口を閉ざしかけたが、勢いだけで切り込んだ。
「伏里1人のチェックならそれこそ杜撰かもしれねえだろ!」
それに対して伏里くんは「桜律が保証してくれる」と言い、後ろにいた桜律くんも「確かにオレも見て回った」と証言して後ろ盾になった。さらに山彦くんは「桜律と伏里だけだろ!」と、さっきまで自分が言っていた「誰も見ていない」という前提を翻し、チェックした人数以上であることが証明されているにもかかわらず食い下がった。
流石に酷すぎる論理展開に、私も身を乗り出しかけたが――それより早く、寒川さんが動いた。
「ねえ山彦くん?」
冷たい声が場を支配する。寒川さんはそこから、山彦くんの人格否定を容赦なく始め出した。
「自分が適当だからって、ちゃんと探した人を『杜撰だ』とか言って貶めるわけ?」
それに乗っかる形で、他の女子たちも一斉に山彦くんを酷評する流れが生まれた。
「寒川さんが言ってるんだから正しいに決まってるでしょ」
「自分が何もしてないくせに文句ばっかり言って最低」
「本当、山彦くんってそういうところあるよね」
大量の女子に囲まれ、徹底的にこき下ろされた山彦くんは、次第にしょんぼりとしていき、ついに意見を取り下げて引き下がった。
(…………)
目の前で繰り広げられた、およそ論理的とは言えない「感情と過半数による圧迫」のやりとり。私の望む「山彦くんの説の排除」という展開にはなったものの、若干の納得いかなさを覚える。しかし、国宮さんが私を止めた理由――わざわざ私が直接反論して感情的な摩擦を起こさずとも、山彦くん自らの暴走で勝手に自滅させるという立ち回り――が見えてきて、私は強引に自分を納得させることにした。
21-6
しょげかえる山彦くんを不憫に思ったのか、飯田くんが控えめに言った。
「なら……非常階段の方は……?」
それに対しては、私が直接事実を伝えた。
「1階から最上階まで見て回ったけれど、誰もいなかったわ」
「ですよねー……」と山彦くんは諦めたように言いながら、力なく椅子に座った。そこで、今まで静かに聞いていた柊くんが、検証した話を整理してまとめていく。
「宿直室、他課の部屋、更衣室、天井、ロッカー、トイレ、ダストシュートからの脱出、地下、カーテン裏、非常階段……」
柊くんが指を折りながら挙げていく。
「どこを見ても、田辺くんの手がかりが一つもないんだ……」
しかし世良くんは、「手がかりが一つもない」という見方を否定した。
「いや、手がかりがないわけじゃない。……少なくとも田辺くんは、まだ『この庁舎内にいる』ということだけは確実だ」
その言葉が、室内に重く響いた。出勤してきた。外に出ていない。しかし、ありとあらゆる場所を捜索しても、どこにも存在しない。男子も女子も、あきらかにこの失踪が不自然極まりない異質な事態であることに気づき、執務室の中にじわじわとパニックの空気が広がりつつあった。




