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第16話 搾取

16-1


 出張から戻った翌朝の執務室は、相変わらず独特の重苦しい空気と、どこか浮足立った不穏な静寂が混ざり合っていた。

 自分のデスクの前に立った瞬間、オレは思わず小さく息を吐いた。PCの画面横に整然と積み上げられた未処理書類の山。出張に出かける前から溜め込んでいた案件に加えて、この四日間の不在中に容赦なく追加された新規のタスクが、見事なタワーを形成していた。


 (……なんだこれは)


 志手津、九井、縦ヶ崎や治牧で突きつけられた莫大な負債と強奪の全貌という重苦しい現実の余韻に浸る暇すら、このデスクは与えてくれない。溜息を殺しながら椅子を引き、PCの電源ボタンを押した。


 『やあ、お帰り。無事に帰還できたみたいで何よりだね、桜律くん』


 甲高い、どこか機械的で愛想のない声がすぐ耳元で聞こえた。振り返ると、オレのデスクのパーテーションのフチに、サバキネコがちょこんと腰を下ろしていた。ディスプレイの光を受けて、その無機質な顔がぬらりと反射している。


 「……サバキネコか。いつからそこにいた」

 『君が重い足取りでドアを潜った時から、ですかね。出張、ご苦労様。志手津、九井、縦ヶ崎、そして治牧……四つの都市を巡る長旅はどうでしたか? 率直な感想を聞かせてほしいですね』


 サバキネコは尾をパタパタと揺らしながら、オレの顔を覗き込んできた。オレはキーボードに指を置き、起動処理を待ちながら淡々と答えた。


 「感想も何も……志手津は現場の人間がギリギリで正気を保ってたが、他は壊滅的だ。縦ヶ崎は不気味だな。九井は身ぐるみを剥がされていた。で、肝心の治牧は、発展しすぎてて素直に500億の借金を抱えてでも移籍したくなった」

 「ふむ、なるほどね」


 サバキネコは頷き、ひげをひくつかせた。


 『概ね、ワタシの予測の範囲内ではありますかね……当事者の生の声としては実に興味深い。それぞれの都市が歩んだ選択の結末であり、GPCI連動型予算という制度がもたらした必然の淘汰。正義か悪かではなく、ルールに適応した者が生き残り、無知な者が食い物にされる。ただそれだけのシンプルなシステムというわけですね』


 冷酷なシステム論を語るサバキネコに対し、オレは深く追及する気にもなれず、画面に表示されたメールの未読件数に視線を送った。


 「で? わざわざ出迎えてくれたのは、世間話をするためじゃないだろ」

 『おっと、察しが良くて助かります。他の方達は察しの悪い方ばかりで話すと喧嘩になるか世間話が終わらないものですから。……君たちが不在だったこの数日間、この特総課がどう回っていたか、教えてあげようと思いまして』


 サバキネコは両手を広げるような仕草をした。


 『君たちが他都市の惨状を検分している間、この澪標の特総課も相変わらず綱渡り状態だったんですよ。本来なら先輩たちが担っていたはずのコアな役職、特別総合課長、特別総合課長補佐、財政・予算担当係長、広報・PR担当係長、そして産業振興・企業誘致係長。この不在となった5つの重要ポストの実務ですが……』


 サバキネコは視線を執務室の中央付近へ向けた。


 『世良くんが、たった一人で完璧に回してくれていましたよ。書類の承認フローの代替から、各部署からの突撃に対する指示出し、現場の優先順位の整理までね。彼の卓越した処理能力がなければ、君たちが戻ってくる前にこの部署は完全に機能停止していたことでしょう』

 「……世良が一人で?」


 オレも視線を動かした。離れた席で、眼鏡の奥の目を鋭く光らせながら、淡々と複数のディスプレイを操作している世良の姿が見えた。彼が優秀なのは知っていたが、あの莫大な負荷を一人で処理しきっていたとは恐れ入る。


 『そう。だからね、近いうちにこの空いた5つのポストを誰に割り振るか、正式に決める予定なんだ。君もそのつもりで心していてほしい』


 サバキネコはそう言うと、デスクの上でくるりと一回転した。


 『それと、この『ポスト決定の件』だけど……桜律くんから工藤さんに伝えておいてくれないかい?』

 「……は? なんでオレが工藤に伝えるんだよ。お前が直接工藤に言えばいいだろ」

 『ワタシが言うより、出張を共にした君から伝えた方が角が立たないでしょう? それに、彼女は今、出張報告書の作成に全神経を注いでいる。話しかけるタイミングとしては君の方が適しているということですよ。それでは、頼みましたよ』


 サバキネコはそれだけ言い残すと、煙のようにすっと姿を消した。後味の悪い頼み事を押し付けられたオレは、小さく溜息をついた。


 (工藤に伝える……はぁ)


 チラリと斜め前の席に視線をやると、工藤は鬼気迫る表情でキーボードを高速打鍵していた。治牧で収集したデータと不正の構造を、寸分違わぬ精度で報告書に落とし込んでいる最中なのだろう。


 (わざわざ今割り込んで機嫌を損ねる必要もないか)


 事前に取り決めがあった通り、彼女はこの出張の成果をまとめて、柊や国宮と情報共有や意見交換を行うはずだ。話をするならそのタイミングでいい。オレはキーボードに手を戻し、まずは自分の前に立ちはだかる莫大な未処理書類の山と格闘し始めた。


16-2


 時計の針が十二時を指した頃、ようやく午前中の書類の山を三分の一ほど削り終えた。重い肩を回していると、背後から急に声をかけられた。


 「よっ、桜律! 久しぶりだな! 昼飯、一緒に行こうぜ!」


 振り向くと、そこに立っていたのは山彦だった。両手をポケットに突っ込み、ニヤニヤと不自然な笑みを浮かべている。


 (……山彦が、オレをメシに誘う?)


 普段なら挨拶すらろくに交わさず、田辺や飯田たちとバカ騒ぎをしているような男だ。そんなやつがわざわざオレを誘いに来るなど、天変地異でも起きない限りあり得ない。間違いなく裏で何か企んでいるか、面倒な企みに巻き込もうとしているに決まっていた。


 「……いや、オレはカフェテリアで軽く済ませるから――」

 「まあまあ! 固いこと言うなよ桜律!」


 山彦は揉み手をするようにゴマすりポーズを取りながら、グイグイとオレの肩を押して庁舎の外へ連れ出そうとする。


 「出張の苦労話とかさ、いろいろ聞きたいわけよ! な? 行こうぜ!」


 周囲の目が鬱陶しい。オレは咄嗟に近くの席で立ち上がろうとしていた工藤の姿をとらえ、助けを求めるように声をかけた。


 「工藤。ちょうど昼飯だろ。一緒にどうだ?」


 SOSのつもりだった。工藤が同席すれば、山彦の不審な企みも正論で粉砕してくれるだろうという意図もあった。

 しかし、工藤は氷のように冷ややかな視線をオレに向け、バッグを持ち上げながら即座に言い放った。


 「お断りするわ。これから柊くんと国宮さんと、出張で得たデータの共有と今後の対策について重要な協議があるの。あなたのように無計画なランチに費やす時間はないわ」


 一蹴。


 完璧な正論による主砲の着弾。工藤はオレの引きつった顔を一瞥することもなく、スタスタと速足で執務室を出て行ってしまった。


 「あはは……工藤のやつは相変わらず厳しい〜。じゃ、俺たちで行こうぜ!」


 結局、逃げ場を失ったオレは、山彦に強引に腕を引かれる形で庁舎を出ることになった。


 連れてこられたのは、庁舎から少し離れた落ち着いた雰囲気の洋食店だった。普段、貧窮している特総課の新人たちが日常使いするような場所ではなく、そこそこお高いランチメニューが並ぶ店だ。


 「ここ、落ち着いてていいだろ?」


 山彦が扉を開けると、奥のボックス席から手が上がった。


 「おう、山彦! 遅かったじゃねえか!」


 そこに座っていたのは、飯田、田辺、駿河屋の三人だった。 オレは思わず足を止めそうになった。


 「お、桜律も一緒か! 奇遇だなあ! 折角だし同じテーブルで食おうぜ!」


 (今、遅かったって言わなかったか)


 飯田が不自然極まりない大げさなトーンで言い、席を詰めた。

 今の彼らに、こんな高価な店で飯を食うような金銭的余裕があるはずがない。疑問を抱きつつも、ここで引き返すのも面倒だったため、オレは諦めて彼らの対面の席に腰を下ろした。

 それぞれが注文を済ませると、案の定、彼らは口々に喋り始めた。話題はオレが不在だった期間の特総課の出来事や、オレたちの出張についてだった。


 「いや〜、桜律がいない間もさ、国宮ちゃんがマジで可愛くてさ。あの笑顔見てるだけで仕事頑張れるわ」


 田辺がデレデレとした顔でハンバーグを口に運ぶ。


 「わかる。柊が女子たちのメンタルケアやってるのとか、ぶっちゃけ超羨ましかったけどな。なんであいつだけあんなモテポジションなんだよ」


 駿河屋が悔しそうにスープを啜る。


 「まあでも、ウザかったのは世良だな」


 飯田が不機嫌そうに眉をひそめた。


 「あいつ、先輩気取りで『この書類の精査が遅れてるよ』とか『優先順位を考えてくれないかい?』とか、上から目線で指示出してきてさ。マジでムカついたわ」


 「お前が仕事遅いからだろ」と喉まで出かかったが、面倒なので飲み込んだ。


 「そういえばさ、飯田と志葉が揉めてたのも酷かったよな」


 山彦が思い出したように笑う。志葉(しば)あかりといえば男子嫌いで芯の強い女子職員だ。


 「笑い事じゃねえよ!」


 飯田が顔を真っ赤にして怒りを露わにした。


 「志葉のやつ、俺が女子の私物盗んだとか勝手な偏見で濡れ衣着せてきやがってさ! 周りの女子職員全員から軽蔑の目で見られかけたんだぞ!?」

 「まあ、真犯人は田辺だったんだけどな」


 駿河屋が田辺を小突く。


 「悪気はなかったんだよ! 誤解だって!」


 田辺が焦って弁明する。


 「俺がうっかり持ち帰ってたのがバレて、俺自身は女子グループから死ぬほど絞られたけどさ……問題は志葉ちゃんだよ。犯人が俺だって分かったのに、飯田に頑なに謝ろうとしないんだもん」

 「そうだぞ! 濡れ衣着せといて『日頃の行いが悪いから誤解されるのよ』とか言い放ちやがって! だから俺と二人で猛烈な口論になったんだよ!」


 飯田が激昂してテーブルを叩いた。


 「あとさ、寒川ちゃんがずっと工藤の悪口言ってたな」


 山彦が付け加える。


 「『あいつは冷酷だ』とか『心がない』とか。まあ、工藤がいないおかげで現場に嫌な張り詰めた空気がなくて、全体的な雰囲気は悪くなかったけどな」


 一通り自分たちの愚痴を吐き出すと、飯田がニヤニヤしながらオレに顔を近づけてきた。


 「で? 桜律の方はどうだったんだよ。工藤と二人きりで何泊も出張だろ? なんか甘いイベントとか無かったわけ?」

 「……は?」


 オレは冷めた目で飯田を見た。


 「そんなこと、あの工藤に限ってあると思うか?」


 オレが即答すると、四人は一瞬ポカンとした後、全員で深く頷いた。


 「「「「……だよな。あるわけねぇわ」」」」


 満場一致。


 工藤という人間に対する共通認識だけは、妙に強固だった。やがて食事が終わり、伝票がテーブルに置かれた。すると、それまで元気に喋っていた4人が、急に胸ポケットや鞄をガサゴソと漁り始めた。


 「……あれ? やべっ、財布が見当たらない……!」


 田辺が青ざめた声を出す。


 「マジかよ!? 俺も鞄入れ替えたから財布入ってねえ……!」


 飯田が頭を抱える。


 「俺も……ポケットにあると思ってたのに……」


 駿河屋までが白々しく冷や汗を流してみせた。


(……誘われた瞬間から、こうなるだろうとは思ってたがな)


 山彦を含め、最初からオレに奢らせるつもりでこの店に連れ込んできたのだ。オレは内心で重い溜息をついた。ここで怒って揉めるのも労力の無駄だ。それに、ここで奢れば今後こいつらから食事の誘いを受けた時に「前回の奢り事件」を口実にして、永遠に断る強力な大義名分ができる。今後の必要経費だと割り切ることにした。


 「……はあ……ここはオレがまとめて払っておくさ」

 「えっ!? マジで!? 桜律、神かよ!!」

 「すまん桜律! 今度絶対返すから!」

 

 (絶対返ってこないだろ……)


 現金な態度で感謝してくる四人を横目に、オレはレジで四人分の高額な会計を済ませた。財布から飛んでいった千円札たちの枚数を思い返し、戻る道中で流石にドッと疲労が押し寄せてきた。

 執務室に戻り、自分のデスクでガックリと肩を落としていると、打ち合わせを終えて戻ってきた工藤が、オレの様子に気づいて足を止めた。


 「どうしたの、桜律くん。そんな幽鬼のような顔をして」

 「……いや、別に」


 工藤はオレの顔と、さっきまで一緒にいた山彦たちの席を交互に見やると、ふっと呆れたような息を漏らした。

 「……大方、山彦くんにランチを奢らされたのでしょう?」

 「……なんで分かるんだよ」

 「目を見れば分かるわ。最初から関わるべきではない人間から不当な搾取を受けた顔をしているもの。いい勉強になったわね。関わる人間を適切に選ばないからそうなるのよ。無駄な同情はしないわ。午後の業務に移りなさい」


 相変わらず容赦のない正論による一蹴。だが、オレも黙っていられず、ぼやくように言った。


 「……まさか、四人分も奢らされるとは思ってなかったんだよ」


 その瞬間、工藤の手がぴたりと止まった。彼女はゆっくりと首をこちらに向け、怪訝な顔で眉をひそめた。


 「……四人分? 山彦くん以外に、誰に奢ったというの?」

 「飯田と田辺と駿河屋だ。店に行ったら待ち伏せされててな」


 工藤の目が、これまでに見たことがないほど冷たく、そして本気で呆れ果てた光を帯びた。


 「……本気のバカなの、あなたは?」


 さっきの正論よりもはるかに鋭く、切れ味の鋭い言葉が叩きつけられた。


 「一人に騙されるだけでも愚かなのに、わざわざカモにされるために四人分のタダ飯を振る舞うなんて……思考力というものが存在していないのかしら。あなたのその底なしの甘さは、優しさではなくただの害悪よ。二度と私の視界でその間抜けな失敗を報告しないで」


 バッサリと切り捨てられ、工藤は自分の席に着くと、二度とこちらを見ようともせずに強烈なタイピング音を響かせ始めた。オレはただ、自業自得の疲労感に包まれながら、静かに画面に向かい直すしかなかった。


16-3


 時計の針は19時を回っていた。執務室の灯りは半数が消落され、残業をする僅かな職員のタイピング音だけが虚しく響いている。デスクの上に山積みされた書類の山は、どれだけ高速で処理しても減る気配を見せない。


 (……ここで終わらせようとしたら、朝が来てしまうわね)


 私はキーボードから手を放し、軽く眉間を揉んだ。出張報告書の精度には妥協していない。

 治牧でのあの不当な「自己取引」のロジック、志手津の徹底した現場管理、縦ヶ崎の破綻した構造――すべてを完璧に文章化し、記録として残す作業は一通り区切りがついた。

 私は立ち上がり、整えた資料をバインダーに挟むと、執務室を出た。向かったのは、庁舎の奥にある使われていない古い会議室だった。照明を点けると、埃っぽい空気が薄暗い室内に漂う。


 パイプ椅子を引き、静かに腰を下ろして待つこと数分。重いドアが開き、柊優(ひいらぎゆう)が姿を見せた。


 「ごめんね、工藤さん。待たせちゃったかな」


 爽やかな笑みを浮かべ、申し訳なさそうに頭を下げる柊くん。彼の手にも、いくつかの資料が握られていた。


 「いいえ。私も今区切りがついたところよ。座りなさい」


 柊くんは私の対面の椅子を引き、静かに腰を下ろした。私たちがここで二人きりで話す理由――それは、今後のこの澪標市、そして特総課の運営に関する「現実的な対応」についてだった。


 「昼間に国宮さんを含めて話した通りよ」


 私はバインダーをテーブル中央に置いた。


 「私たちが4つの都市で見てきた真実……治牧による陰謀と、先輩たちによる意図的な負債の押し付け。あれらはすべて事実であり、制度上、法的に対抗する術は現時点で見つかっていないわ。だからこそ、今私たちにできる選択肢は極めて限定的よ」


 私は指を三本立てた。


 「第一に、休日を返上し、無給・自腹労働を受け入れてでも行政業務を滞りなく進めること。第二に、現在進められていた浮ついた大型プロジェクト……テーマパークやサーキット建設といった無駄な構想をすべて即座に凍結・破棄すること。そして第三に、契約違反で訴えられないよう、関係各所に頭を下げ続けて時間を稼ぐこと。これ以外に生き残る道はないわ」


 私の淡々とした提示に対し、柊くんは困ったような、どこか寂しげな苦笑いを浮かべた。


 「……そうだよね。やっぱり、盤面をひっくり返すような魔法みたいな打開策は、簡単には出てこないよね……」


 柊くんは自分の手元を見つめ、小さく息を吐いた。


 「でも、工藤さんがこうして状況を冷静に分析してくれたおかげで、僕たちがどこに向かうべきかははっきりしたよ。……これからも、工藤さんを頼ってもいいかな?」


 まっすぐな瞳で私を見つめてくる柊くん。 だが、私はその視線を一切の感情を交えず受け止め、即座に拒絶の意思を明確にした。


 「頼り切られるのは迷惑よ。言っておくけれど、私は私にできる範囲でやるべきことをするだけ。足を引っ張る無能の面倒まで見るつもりは一切ないわ。あなたの仲良しごっこに付き合う気もない」

 「……はは、相変わらず手厳しいな。でも、そうやってハッキリ言ってくれる方が助かるよ」


 柊くんは嫌な顔一つせず、穏やかに微笑んだ。


 (……不気味だわ)


 私は内心で冷ややかな視線を彼に向けた。ここまで徹頭徹尾、他人に対して善意と理解を示し続ける人間。もしこれが計算された演技でなく、本心からの「偽善」なのだとすれば――むしろ途中で裏切る心配がない分、扱いやすいのかもしれない。だが、その底知れぬあり方は、どうしても私の計算から外れる不気味さを孕んでいた。


 「……ところで柊くん。あなたに具体的な目標はあるの?」


 私の問いに対し、柊くんは少し考える素振りを見せた後、真剣な表情で答えた。


 「一番の目標は、やっぱり全員がまとまることだよ。この40人の同期がバラバラにならず、協力し合ってこの危機を乗り越えること。それが最優先だと僕は思っている」

 「……甘いわ」


 私は即座に切って捨てた。


 「そんな情緒的な目標では、この危機は100%乗り越えられないわ。現実的な数値を見て話しなさい。せめて来年度の予算が決まるまでに、我が都市のGPCIスコアを最低でも『120』まで引き上げなければ、来年度も予算は赤字のままよ。最低限の予算しか降りなければ、市政の維持が優先され、特総課への予算配分はゼロ。プロジェクトの一つも起動できず、私たち40人の背負う負債がただ膨らみ続けるだけよ」


 正論の刃。


 柊くんの「仲間」という抽象的な概念を、数値と制度のロジックで粉砕する。


 しかし、柊くんは譲らなかった。


 「……もちろん、GPCIを上げる努力が必要なのは分かっているよ、工藤さん。でもね、その過程で落ちこぼれそうな仲間を切り捨てるような真似は、絶対にできないんだ」

 「切り捨てるつもりはないわ」


 私は冷ややかに返した。


 「けれど、やる気のない人間や能力のない人間の面倒を見て、共倒れになるつもりもないと言っているのよ」

 「じゃあ、こういうのはどうかな?」


 柊くんは身を乗り出した。


 「できる人間がより多くの仕事を請け負って、できない人間をカバーする。そうやって成功体験を共有していけば、チームの結束はもっと強くなると思うんだ」

 「当然、却下よ」


 私は食い気味に突っぱねた。


 「そんな不平等な運用をすれば、いずれ自分がやらなくても誰かがやってくれると考え、完全に仕事を放棄する人間が出てくるわ。結果として、真面目に仕事をしている人間と、不真面目な人間との間で溝が深まり、組織は内部から崩壊する。あなたの提案は優しさではなく、構造的な破綻を招く毒でしかないわ」


 論理対論理。いや、論理対感情。私と柊くんの話し合いは、平行線をたどるどころか、まったく噛み合う兆しすら見せなかった。時計を見る。無駄な議論に費やす時間は一分たりとも存在しない。


 「……これ以上話をしても、時間の無駄ね」


 私はバインダーを抱え、立ち上がった。


 「あなたの考えを否定はしないけれど、私は私のやり方で合理的に動かせてもらうわ。失礼」


 私は一度も振り返ることなく、会議室のドアを開けて外へ出た。背後で、柊くんが静かにパイプ椅子に座ったまま、見送る気配だけが残されていた。執務室へ戻ると、室内はさらに暗くなっていた。 自分のデスクにつき、PCの画面を立ち上げる。画面に映し出される無数の数値とタスク。

 私はキーボードに指を置き、再び終わりのない残業へと意識を没入させていった。

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