第6話 白樺の道
兄は、ブナの生い茂る深い森を縫うが如くに走り出していた。
何という速さだろうか。シダの群れが野分の後のように踏み倒されている。私は、苔むした足元で、滑って転びそうだと言うのに。
肩で息をする。これ以上、離されてたまるものか。急いで靴を脱ぎ捨てた。
感覚を研ぎ澄ませる。もう、足裏そのもので地面を捉えたほうが良い。これ以上は、ユハルを見失ってしまう。
――追跡が気づかれたのは、火を見るより明らかだった。
――常人ならざる鍛錬を積んでいることもまた。
「何が文官の道を選ぶよ。全く」
急がねばならない。それも可及的速やかに。だが、この暗黒の森で喜びを噛み締めてしまう。
だって「覚知」した自分と、対等に張り合っているのだ。
その能力が自分と同じかどうかなんて、些細なこと。
シダを躱し、苔を飛び、最短経路で兄のもとへ、仄暗い巨大な森の中を疾走した。
絶対に追いついてみせる。視線の遥か先に、ユハルを捉えた瞬間のことだった。
「「ア リ シ ャ !! だ め だ !!」」
大きな法螺貝だった。何故、そんなもので、言葉が伝わるのか分からない。
ゆっくりと五感が平常になっていく。兄の姿は見えなくなった。
「「そ れ 使 わ な い な ら。 連 れ て 行 く。良 い か ?」」
私は小さく頷いてみせた。すると、突然背後から目隠しをされた。温かい手だった。
「さて、私は誰でしょうか?」
「からかわないで下さい。お兄様。どうやって間を詰めたのですか……」
困惑した。何故なら私と兄の間には、全力疾走しても追いつけない程の距離があったはずなのに。
「魔道具さ。この法螺貝もそう。魔法の道具だよ」
「な! 幻滅しました! 厳しい鍛錬の末に、会得したものではないのですね?」
「……一応、扱いには、それなりの修練がいる。お前は見たことが有るはずだ」
すぐには思い当たらない。何故なら、剣士の気風が色濃いこの国は、そういった事に関心が薄いのだ。だがふと心中に閃くものがあった。もしかすると、それは。
「……ルシアの香炉ですか? 水神を奪った、あの卑劣な?」
「そう。神封じの香炉だ。七百年以上前に失われた禁忌の代物だ」
「どうして、そんな物を、ルシアが持っているんです?」
「いま大切なことは、あいつを止めることだ。それ以外は後回しだ」
そうだ。私は、ルシアを助けたい。その他は余分だ。
ユハルに手を引かれ、暗い森を抜けた先に、懐かしい道があった。
幼い日、冬の勾配を彼女と駆けた、あの白樺の道が。




