第1話 血染めの舞姫
朱い舞衣が月明かりに翻り、艶やかな黒髪が肩を撫でる。
銀白の切っ先が、繊細な弧を描く。
女はそれを追うように、優雅に身を捻った。
一拍置いた。
ゆっくりと刀身を鞘に納める。
すると、細い脚が、幾度も虚空に半円を描いた。
まるで円舞曲を奏でるように、彼女は舞った。
その瞳は三日月を宿し、指先を淡く見つめていた。
――何故、この舞姫がルシアなのか分からない。
――ここがどこなのか分からない。
――何よりも、あの朱い衣は血染めの花に染め抜かれていた――
◇
「……うなされていたぞ」
重たい瞼を微かに開けると、兄が私を覗き込んでいた。
檜の香りが清々しく漂っている。
虫の音がひんやりとした空気に心地よかった。
けれど、天井には、いつか数えたのと同じ木目が並んでいる。
ここは城の薬師の間だ。
「兄様、ルシアはどこに?」
「分からない。俺達が王都に戻る前日に、牢は破られた」
「一体誰が? 内からは破れないはずです」
「爆発を聞きつけた時は、もう誰もいなかったそうだ」
地下牢は、王宮の裏門の墓石の下に設けられている。
だが、どの墓石が入口なのかは、ごく一部の人間しか知らない。
「――まさか」
「ジェイル様はないよ。あの人ならもっと賢明な方法を取る」
「心当たりがあるのですか? お兄様」
「昔、父上を追い出した連中がいただろう?」
「ジルーフ家ですか? お取り潰しになったと聞きました」
身体中に熱が走る。
玉のような汗が噴き出してしまった。
彼らには、忌まわしい思い出しかない。
父の心痛は如何ほどだったろうか。
奪われた城で下男の真似事をさせられたと聞いた。
「もし彼らが、イスファの旧王家だったとしたらどうする?」
「それは、初代様への冒涜です! 兄様でも許しませんわ」
――その時、兄の瞳が潤んだ気がした。
掠れた声で低く呟いた。
「この史書を見て欲しいんだ……」
くすんだ鼠色の装丁で、少しばかり埃を被っている。
辞書のように分厚い本であった。
「イスファは魔道の国なり。神の慈しみ深き土地なり……」
――嘘だ!
床へ放り投げた。
イスファは剣士の国だ。
少なくとも王家の人間は。
「列伝という形式があってな、アリシャ……」
「なんですか、それは!」
「個々の人物の伝記なんだ。王、アガトを北の地に封ずとある」
「アガト……! 初代様ですか?」
「後に王号として受け継がれた、初代アガト・イスファ様その人だ」
「紛い物よ! そんなの!」
「父上が枕元に隠していた物でもか? コイツはどうやっても焼けないぜ……」
「――兄様、体調が優れませんの。話は、後日聞きます」
話を遮り、部屋から退出を促した。
病み上がりにするような話ではないだろう。
前々から思っていたことではあるが、兄はどこか常識に欠ける部分がある気がしてならない。
◇
「姫様、お身体の加減は如何ですかえ?」
薬師カルラは、大婆様と渾名されている。
白い御髪を腰まで伸ばし、背中で組紐の房飾りを結んでいる。
グツグツと鍋が煮立つ音がする。
今、夢見草を煎じてもらっているところだ。
「毎晩、同じ夢を見るの……。とてもとても怖い夢を」
「変ですねぇ? 夢見草は眠りを良くするのじゃがねぇ」
「例えば、貴女はどうなの? カルラ」
「同じ夢ですかい? ありますよぉ」
皺が刻まれた三白眼が私をじっと見つめている。
「どんな奴なの?」
老婆の口角が吊り上がった。
「それはそれは、めんこいおなごが、こぉーんな刀で踊る夢じゃよ」
――カルラが、刀を私に向けた。




