第2話 双極の星、白き妖精
「いつから人を辞めたの? ベルグ卿」
「君に破談にされた頃かな。酷く傷ついたよ。女性に袖にされたのは初めてだったのでね」
眼前の幽鬼は黒曜の外套を翻していた。
おかしい。つい先程まで白い襟詰めの上衣だったはずだ。
「あのお話は父王の勇み足でした。そもそも今日の要件はそのお詫びだったはずですわ」
くつくつと笑っている。
ベルグだったモノが、指先ですっと紅い光で輪を描くと、鈍い光を放つ硬質な儀仗が現れた。
仕込み杖を抜いた兄が斬りかかる。だが。
――暗黒転移
黒い太陽で焼かれたような熱い痛みが眼窩に走った。
途方もない空白が押し寄せる。永遠に自分自身を延伸させられているかの如く。
そして気づけば、私たちは宮殿の屋根にいた。
月を浴びて青く光る花崗岩で造られている。
さぞ神秘的であっただろう。こんな異常事態でなければ。
何故ならそこには、無数のゴシックの尖塔がそびえていたのだから。
ここはディルガ城ではない。明らかに別のどこかだった。
夜空の星が張り付いた模型のようだ。
「この異界が君たちの墓場となる。楽には死なせない」
ベルグは遥か天頂の月を背負っていた。
奴が儀仗を軽やかに回すと、漆黒の夜を切り裂く稲妻をこれでもかと落としてくる。
爆音と共に無数の破片が夜空に飛び散る。
雷撃の全てを紙一重で躱した。
文字通り命がけで、全神経を研ぎ澄ます。
高低さまざまな尖塔の群れを屋根から屋根へ飛び移る。
右へ左へ。上へ下へ。何度も何度も。
雷撃の威力は加速度的に上昇していった。
一体これはいつまでも続くのだろうか。
足がつりそうだ。肩で息をしている。
肺が新鮮な空気を渇望している。
――ユハルは?
彼の安否が脳裏を過ぎったその時だった。
私の眼の前で、他の誰でもない兄ユハルその人が倒れていた。
「兄さん、兄さん! ユハル兄さん!」
冷たい。
生きた人間ではおよそあり得ないほどに。
虹彩の色は失われ、瞳孔は開きかけている。
――最初から、標的はユハル!
自分の迂闊さを呪った。
上空から哄笑が反響する。
「この血を使えば、分身を操るのも容易い。実にあっけない最後だったよ」
「私の心を読んだな、この卑劣漢!」
「そう、そうだ、アリシャ姫。その顔を見たかった」
心の裡に凍りつくような風が吹き荒ぶ。
世界の時間が止まっていく気がした。
刀を鞘に納める。
敵を睨み低く屈み、上半身を素早く後ろに捻った。
――瞬光・斬――
奥義が偽りの夜空を切り裂く。
居合いの真空波は、瞬く間に鬼を真っ二つにした。
そのはずだった。
――なんだ?
突如、双極の星が現れた。
蒼の父星と、紅の母星が。
この世界の主星。
あの虎の星座が煌めいて見える。
現実に帰ったのか? いや――
「ハハハッ、イスファの奥義とやらもそんなモノか」
天球儀が、猛烈な勢いで回転している。
速い。この世界のどんな駿馬よりもずっと。
「お兄ちゃん……」
兄を腕に抱きしめ、敗北を受け入れたその時だった。
……ズドォォン!
凄まじい轟音と共に、白く光り輝く妖精が現れた。




