第87話 再会へ
「じ、地震!?」
なんで、こんなときにーーと、内心でいらいらと舌打ちした。立ち上がろうとしても、地についた両手に、まったく力が込もらない。
そこへ、またしても赤ん坊の声が、頭に直接響いてきた。
返せ! 返せ! その魂を私に返せ!
頭蓋骨を直接揺さぶられるような衝撃に、目が回る。
次いで、大地がさらに大きく揺れた。
そこで、夏冊は気がついた。この地震は、カグツチが起こしているものなんだ、と。というよりも、カグツチの怒りに大地が慄き、身震いしているかしているかのようだった。
どちらにしても、目の前の赤ん坊をなんとかしなくては、地震も頭の中に直接訴えてくる声も止まりそうにない。けれど、自分の魂を差し出すなんて、できるわけがない。そんなことのために、わざわざ七つの鳥居をすべてくぐったわけじゃない。
(僕は死神どもを殺すために、ここまできたんだぞ……)
そう胸の内につぶやいた自分の言葉に、はっとした。目を見開き、顔を上げると、いまだ睨みつけてくるカグツチの眼差しを真っ向から受け止め、
「カグツチよ」
と、神妙な声で呼びかけた。
「僕の魂は、返してやれない。けど、安心しろ。死神をすべてぶっ殺して、その魂をおまえに返してやる」
言うや、満身に力が漲り、武者震いにも似た昂りを覚えた。
だからーーと続けて、震える大地の上に立つと、なんならカグツチからの燃えるような視線を押し返さんばかりにぐっと見据えて、言い放った。
「僕を、死神のところへ案内しろ!」
一息、二息の間を置いて、もがくカグツチの動きが止まり、また頭の中で声がした。
いいだろう。
案内してやる。
その代わり、必ずや死神どもから私の炎を取り戻せ。
「わかった、約束する」夏冊は、力強くうなずいた。
すると、地震がぴたりと止まった。
カグツチが、夏冊の足許のすぐ隣を指差している。鬼灯だ。そういば、尻餅をついた拍子に地面に転がっていたんだった。ヘタの反対側が上を向いて、そこから皮が花弁のように捲れて開いていた。
それに乗せろと言ってるのか? と鬼灯を持ち上げ、おずおずカグツチの前に差し出すと、首のない赤ん坊は四つん這いの態勢で進み出て、中へとすっぽりと収まってしまった。それからすぐに、鬼灯は蕾のように固く閉じられ、包み込まれたカグツチは横になって背中を丸め、また穏やかに胸を上下させて、眠りに入ったようだった。
安堵の息を一つつくと、夏冊はもと来た鳥居へ踵を返した。
いまだ気を失っている半獣の狛犬が目に留まって、放っておこうかとも思ったが、人質か何かにでも使えるかもしれないと、首根っこを掴んで連れて帰ってみることにした。
元の世界へとようやく戻ると、鳥居をくぐれない魂喰夜叉が、ちゃんと夏冊を待っていた。確かめてはいないから定かではないが、きっと早苗が亡くなった十七年前に、家まで押しかけてきた二つの意思を持つ魂喰夜叉だ。その泥塊が、鳥居から出てくる夏冊を見つけるや、待ってましたとばかりに這い寄ってきた。
「どうだった?」
「ダった?」
夏冊が、鬼灯の中で眠るカグツチを見せてやると、二つの口が、にんまりと笑う。そのうえ、
「こいつらはどうする?」と、乱暴に地面へ放り投げた狛犬を見るや、その笑みがさらに妖しく深くなった。
「こいつら、噂で聞いたことがあるぞ。確か、祠の守護を任されている狛犬の姉弟だ。こりゃあ、最高の土産だぜ」
「ミやゲだゼ」
言うや、魂喰夜叉が二つに分かれた。それぞれ一対の双眸と一つの口を持って、一塊は少女の見た目をした狛犬の方へ、もう一塊は少年の見た目をした方へと近づいていって、口内のさらに奥へと潜り込み、幼い半獣の身体の中へと完全に消えた。
夏冊はそんな気味の悪い光景に、うっと呻いて顔を顰めた。
そこへ、狛犬姉弟が、同時にぱちりと目を開けた。
それからすぐに、上から引っ張られているかのような動きで身を起こし、夏冊に向かって双眸を鎌のように細めて、にたりと笑った。
「どうですの? わっちゃらは、こうやってほかの種族の身体に寄生して、操ることもできるんですの」
「ですぞ」
二匹から発せられたのは、見た目どおりの愛らしい声だった。記憶にまで介入することができるのか、遭遇したときにちらっとだけ聞いた特徴ある口調もよく似ている。
「この身体なら妖魔としての気配を消せるうえに、死神どもに襲われそうになっても、人質として使えるやもしれぬ。丁度いい化けの皮を手に入れたですの」
「ですぞ」
夏冊は、思わず目を剥いた。危うくおお、と声をあげそうになったが、邪悪な妖魔を称賛するような真似はしたくなくて、その声はすんでのところで呑みこんだ。とはいえこちらとしても、あの煤黒い泥の塊に付きまとわれるよりはずっといい。虫ケラよりも下等な存在と手を組んでいるという現実から、寸時でも自分自身を欺ける。
狛犬少女に寄生した魂喰夜叉が、「瀬城」と巧みに邪悪さを拭い、あどけない表情で夏冊を見上げた。
「約束どおり七つの鳥居をすべて見つけ出してやったはものの、ずいぶん時間がかかってしまって申し訳なかったですの」
けどーーと目の奥にだけは妖しい光をちらつかせ、
「これでようやく死神殺しの準備が整った。さあ、まずはどの死神から血祭りにあげてやるですの?」
「ですぞ?」
問われて、夏冊は即座に答えた。
「僕が、いちばん最初に殺したい死神なんて、もうとっくに決まってる」
狛犬姉弟から〈天の逆手〉を教わると、カグツチから飛び出した火の玉を先立て、一人と二匹は長槍に乗って空を飛んだ。
胸が高鳴るなんて、幼少期以来だ。十七年ものあいだおあずけをくらって、身ぶるいするほどの昂まりを覚える。
そうして最初に辿り着いた死神の塒は、正鹿神社という名の廃神社だった。




