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死神の隠し子  作者: 沖延龍弥


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第86話 鳥居の向こうへ

 〈七つの鳥居〉ーーその言葉を聞いた途端、夏冊は目を見開いたままで固まった。時の流れに押しやられ、奥へ奥へとにしまい忘れていた記憶の箱が、音をたてて開け放たれたようだった。

「カグツチーー」

 そう、あのときも、決して忘れまいとつぶやいた神の名だ。


「なんだ、知ってたのか」魂喰夜叉が、目をきょとんとさせている。

 その瞬間、耳の奥で蘇ったのは、仲睦まじい親子のようだったころの、煌侍郎と夏冊自身の声だった。


 ーーその神様にお願いすりゃあ、きっと連れてってくれるだろうさ。


 そうだ、むかし煌侍郎がそう言っていた。二人が初めて出会った公園に行って、お父さん以外の死神に、一度でいいから会ってみたいと、駄々をこねた夜だった。


 ーーお父さんの友達のところに!?


 ーー友達っていうか……まあ、同業者ってやつだ。俺たちは、互いに馴れ合ったりなんかしねえし、あんな粗暴な奴らのところに、おまえが会いにいくなんて、考えただけでも気が揉めるぜ。


 そう言って、苦笑いを浮かべる煌侍郎の顔までもが瞼の裏に蘇る。胸に込み上げてくるようなものを感じて、それ振り払おうと慌てて二度、三度とかぶりを振った。

「けど、死神の居所を知っているカグツチを攫うにしても、そもそも七つの鳥居をすべて見つけ出さなくちゃならないだろう。どうやって探しつもりだ?」


 問われて、魂喰夜叉が得意げに笑った。

「そりゃあ、おまえたち人間じゃあ七つすべてを見つけ出すなんて、とうてい無理な話だろうな。なぜならおまえたちは、あの鳥居ってやつに平気で近づくことができるし、くぐることだって容易にできる。けど、俺たちにはそれができない。あれは、()わば結界なんだ。俺たちのような闇の中でしか生きられない存在は、あれに触れることなんて到底できないし、そばにあるだけで身を削られるような苦しみに襲われちまう。けど、逆に言えば、そんな忌々しい存在だからこそ、おまえたち人間よりも、敏感に鳥居を察知することが俺たちにはできる」

「デきル」


 ほう、と夏冊は素直に感心した。


「それに、俺たちには数えきれないほどの仲間がいる。そのうえ、人間には潜り込めない場所にだって潜り込める。草の根一本残さずに掻き分けて、この国をつぶさに探してみせる」

「ミせル」

 なかなかの力説に夏冊は、すっかり聞き入っていた。

 それを見て、ニヤリと笑った魂喰夜叉がさらに続ける。

「そのあいだ、あんたは神通術を磨くんだ。今のままじゃあ、とうていどの死神にも勝てやしない。けど、死神九人分の術を使いこなせるあんたが、今よりもっともっと強くなれば、死神討滅は夢じゃない。必ず天瑞鏡は、手に入る」

 母親を生き返らせることができるんだよーーそう囁く声が、夏冊の耳にこびりついた。


 静寂が満ちる。夏冊は黙り込んで宙を睨み、魂喰夜叉は石のようになって、ひたすら相手の答えを待っていた。

 やがて、魂喰夜叉の瞳のすぐ前に据えられていた四本の長槍が、音をたてて床へと落ちた。

 それは、神通術を駆使すべき矛先が、真逆に転換した瞬間だった。

 

 魂喰夜叉が、黄色い歯を剥いて、にんまりと笑う。

「待っててくれ。俺たちが、必ず七つの鳥居を見つけてみせる。俺たちはもう、運命共同体の最強の仲間だ!」

「ナかマだ!」

 言って、床を這い、壁を伝い、窓の隙間から出てゆく影を夏冊はただ見送った。


 「本当に、会いに行くことになるとはなーー」

ぽつりとつぶやくと、またあの幼かったころの自分の声が蘇った。

 ーーどんな死神なんだろう。




◇◆◇◆




 それからなんと、十七年の月日が経った。一人前の外科医となってからは、三年目の春である。

 最年少の准教授候補と噂され、そんな手放しの称賛にも甘んじることなく、ひたすら仕事に没頭する日々だった。

 

 魂喰夜叉からの音沙汰は、あの日以来なに一つない。あれだけ大口を叩いておいて、結局は七つの鳥居を見つけ出すことはできなかったようである。

 そもそもそんなもの、本当にあるのかすら、今となっては疑わしい。七つの鳥居も天瑞鏡も、愚鈍ぐどんな魂喰夜叉が信じた根も葉もない噂話で、奴らも探し求めている途中で気がついたのかもしれない。

 

 だったらとうに諦めるべきだと、夏冊にだってわかっていた。なのに、なぜかいまだに一日も欠かすことなく、独りで神通術の錬磨れんまを重ねていた。

 研修医のころなんて、長時間勤務や夜勤が続いて、それだけでも息切れするような日々だったのに、わずかな睡眠時間をも削って修練を続ける自分自身に、今となってはよく過労死しなかったものだと、心底感心するほどである。

 正直に言えば、母親である早苗をうしなった悲しみなんて、もうとっくにえていた。けれど、いまだくすぶりつづける煌侍郎への憎しみと、孤独を忘れるためには、人気のない山の中で、身体も神経もへとへとになるまで修行にあけくれるのが一番だった。目の前に自分にしか見えない煌侍郎を作り出し、力のあらんかぎで斬り刻めば、わずかではあるが鬱屈うっくつも晴れて、優秀な医者としての顔を保つことができた。


 そんな日々を過ごすなか、突如として魂喰夜叉は現れた。

 今さらすぎて、その場で殺してやろうかとも思ったが、連れていかれた鳥居の場所は、確かにそれだけの時間を要するほどの場所だった。

 地中深くに埋められていたり、干潮時かんちょうじにだけ現れる崖下がけした洞窟どうくつの奥底にひそんでいたり、底深い沼の中に沈んだ鳥居にいたっては、くぐるどころか、その中へ潜るだけでも命懸けだった。

 それでも七つすべての鳥居をくぐると、とうとう夏冊は秘奥ひおうほこらへと辿り着いた。

 魂喰夜叉は、もちろん鳥居はくぐれない。だから夏冊ひとりで歩を進めた。

 驚いたのは、祠をまも半獣姿はんじゅうすがたの狛犬である。カグツチに不届ふとどものを近づけさせぬよう二匹でおどりかかるも、夏冊にあっという間にねじ伏せられ、気を失って地面に転がる破目になった。


 魂喰夜叉から手渡された大きな鬼灯を抱えて、夏冊は祠へとさらに歩み寄る。

 古めかしい石造りの祠であった。中にあったのは、蜃気楼のように淡く儚い炎を纏った、首のない赤ん坊だ。顔がないから定かではないが、胸を穏やかに上下させているのを見るに、ぐっすりと眠っているようだった。

 

 ところが突然、その上下する胸が、ぴたりと止まって、けいとした眼差しに射すくめられた。

 目などない。そもそも顔がないのだから当然だ。

 なのに、間違いなく目の前にいる赤ん坊からの視線であると確信できた。その眼差しでもって灰にしてやろうかというほどの睨まれように、夏冊は冷や汗でびっしょりになって、奥歯が鳴るほどに震えあがった。


 

 ……せ……えせ……


 声がした。赤ん坊の声だ。けれど、耳から聞こえくる声ではなかった。頭の中へと直接囁きかけてくるかのような声である。


「え?」と、夏冊は聞き返した。

 すると今度は、はっきりと訴えかけてくる声が、頭に直接注ぎ込まれた。


 返せ! その魂を! 私の首を!


 それだけで圧伏あっぷくされてしまいそうなほどの、殺気を浴びて、夏冊はどさりと尻餅をついた。

「か、返せって、なんで僕の魂を……」

 この魂は死神の隠し子として、煌侍郎に分け与えられた魂だ。目の前の赤ん坊に返さなくてはならない所以なんてない。

 

 けれど、勘のいい夏冊の脳裏に、一筋ひとすじひらめきがすぐさま走った。

 

 なぜカグツチが、死神たちの居場所を知っていて、連れていってくれるのかーーそれはきっと死神の魂が、カグツチの身体の一部ーーつまり首の炎でできてるからだ。だから死神から分け与えられた夏冊の魂も、もとはカグツチの首の炎であったわけで、だから返せ、返せと責めたててくるのだ。


 そうなのか? と声はあげず、恐るおそる目だけを上げると、その心の声を読み取ったように、また赤ん坊の声が頭に響いた。


 そうだーー


 夏冊は完全に腰を抜かした。空唾を呑みこもうとすると、カグツチがこちらに手を伸ばして、じたばたともがきはじめた。

 次いで聞こえてきたのは、今にも泣きだしそうな愚図る声だ。


 直後、地面が大きく揺れた。


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