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死神の隠し子  作者: 沖延龍弥


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第85話 這い寄る影

 夏冊はなんとか立ち上がりはしたものの、病室の中で気死したように呆然としていた。

 しばらくして、ベッドで早苗を運んでいった二人の看護師のうちの一人が戻ってきて、ICUへと連れていかれた。そこで医師から早苗の死亡を聞かされて、そのあとも看護師が何やら色々言っていたようだったが、何も頭に入ってこなくて、ただうなずき返すだけだった。

 それから霊安室へと運ばれてゆく早苗に付き添って、そこから葬儀屋に引き取られてゆくのを見送った。

 受付で死亡診断書を受け取って帰路についたが、そのときのことは何も思い出せない。気づいたら、リビングの床で膝を抱えて座っていた。


 電気もつけず、指一本動かすことすら煩わしくて、ひたすら天井を眺めていた。

 壁を這い、床を這い、影のようにこちらへと近づく穢らわしい気配に気づいていても、振り返る気力さえ湧かずにいた。

 それをいいことに、その気配は平らだった影から三センチほどに盛り上がって、音もなくさらに夏冊のそばへと這いずり寄った。そして、座っている夏冊と同じ高さにまで盛り上がると、二組の双眸と口を持った、見るも恐ろしい泥塊でんかい妖魔ようまーー魂喰夜叉こんじきやしゃが現れた。

「憎いだろう? 怨めしいだろう? 死神を自らの力で殺したいだろう?」

 二つの口のうちの一つを夏冊の耳元に寄せて、聞くもおぞましい囁き声で問いかける。


 夏冊は、何も答えない。ぴくりともしない。ただ、囁いてくる魂喰夜叉のすぐ脇に一本の長槍を発現させると、すぐさま刺し貫いて穴を開けた。

 急所である瞳は貫いていない。けれど、二つの双眸のちょうど間を通り抜けてゆく長槍に、魂喰夜叉は「ヒぃッ!」と悲鳴をあげて後ずさった。


「馴れ馴れしく近づくな、このバケモノが」

 地を這うような声で、夏冊は言う。


 魂喰夜叉は笑いを引き攣らせながらも、「ふへっ、ふへへへへっ」と取り入るように、並びの悪い黄ばんだ歯を見せてきた。

「そうつれないこと言うなよ、死神の隠し子。俺はおまえを不憫(ふびん)に思って、病院からわざわざここまでついて来てやったんだぜ?」

「なンだゼ?」


 ふん、と夏冊は鼻を鳴らした。

「白々しい。どうせおまえたちは、僕に取り入ることで、目障りな死神どもを始末できるかもしれないって思ってるだけだろうが」

 

魂喰夜叉の中にある二つの口が、同時に苦い笑みを浮かべた。

「ふへっ、ふへへへへっ。やっぱりバレてたか」

「バれテたカ」


 魂喰夜叉とは、一つの意識につき一つの口と一対の双眸を持っていて、それを一つの煤黒すすぐろい泥塊の中に、二組から五組ほどが集合された妖魔である。流暢りゅうちょうな口振りを聞くに、なかなか機智きちに富んだリーダー格のような意識が必ずいて、そのほかはだいたいおぼつかない口振りで、リーダー格の尻馬に乗る以外の芸がない。

 いま夏冊のそばにいる魂喰夜叉は、珍しく二つだけの意識のようで、そのぶん体積も小さめだった。


「貴様らなんかに、僕を利用できるわけがないだろ。今おまえたちを殺さないのは、家にけがらわしいシミを作りたくないからだ」

 わかったなら、さっさと消えろ、と

ギロリと睨みつけると、魂喰夜叉はぶるんと震えるように波打った。

「ま、まぁ、そう言うなよ、死神の隠し子。たしかに、俺たちはおまえを利用したい。だけど、おまえだって俺たちを利用すれば、明るい未来が待ってるかもしれないんだぜ?」


 夏冊は、いらいらと舌打ちを鳴らした。

「おまえらごとき、いったい何の利用価値がある。いい加減失せろ!」

 言うや、魂喰夜叉の血溜まりのような四つの瞳のすぐ前に四本の長槍を発現させて、

「じゃなきゃ、次は殺す」と唸るような声で言った。


 魂喰夜叉は、またもや「ヒぃッ!」と悲鳴をあげて、身体を小刻みに震わせた。

「いいい、いいのか? ほほ、本当にいいのか? おまえの母親を生き返らせる方法を、俺たち

は知ってるんだぞ? そそ、それでも、俺を殺せるか!?」

「コろセるカ!?」


 思わず夏冊の片眉が、ぴくりと上がった。

「……なんだと?」


「天瑞鏡って知ってるか? 今は割れちまって、十枚の破片になってんだが、それをすべて集めて元の形に完成させると、どんな願いでも叶えてくれる不思議な鏡なのさ」

「ナのサ」


「どんな、願いでも……?」思わず、夏冊は呟いた。

「ああ、そうさ」と魂喰夜叉が、目顔でうなずく。


「死んだ人間を生き返らせることだってできるんだぜ。十枚の破片を、すべて集めさえすればな」

「すレばナ」

 さっきから一顧だにしなかった魂喰夜叉に、夏冊は初めて目を向けた。

 

 それに気をよくしてか、泥塊の中の二つの口が、同時ににやりと笑みを浮かべた。

「けどな、その十枚の破片は、いったいどこにあると思う?」

 死神の中さーーと魂喰夜叉は、すぐさま答えた。

「死神のなかでも、カグツチ っていう火の神の炎を魂にしてる、特に精強な十人の死神ってのが存在してな、そいつらが一人一枚ずつ自らの神核にすることで、誰にも奪われないように隠し持っていやがるのさ」

 その一人が、おまえの父親代わりだった死神ーー日照雨煌侍郎さ、と血溜まりのような瞳がさらに赤黒くなって底光りした。


その名前を耳にした途端、夏冊は身体の奥から蒼い火花が散るような疼きを覚えた。

「つまり、十人の死神すべてを殺せば、天瑞鏡を手に入れることができるということか」

 

 魂喰夜叉の笑みが、満足そうに深くなる。

「そういうことだ。〈模倣〉の神通術で、もうすでに九つの術を駆使できるおまえなら、やれないことはないと思うぜ?」

「オもウぜ?」


 夏冊は、魂喰夜叉からいったん目を逸らし、顎に手を当てしばし黙した。


 魂喰夜叉はその隙に、いまだすぐ目の前にあった長槍の穂先から双眸だけをそっとずらし、こっそりと安堵の息をついた。


 やがて、げどーーと夏冊が声を発して沈黙を破ると、もう一度血溜まり色の瞳に目を据えた。

「どうやって死神どもを見つけ出すつもりだ? 僕は日照雨煌悟以外の死神のことなんて、何ひとつ知らないし、アイツすら、もうどこにいるのかもわからない」

 言って、にやりと口の端を吊り上げると、

「もしかしておまえたちがおとりになって、死神どもを呼び寄せてくれるのか?」

 と宙に浮いていた四本の長槍を動かすと、ふたたび魂喰夜叉の瞳すれすれに穂先を据えた。


 魂喰夜叉が、また調子を外したカラスのような悲鳴をあげる。

「かかか、勘弁してくれよお。そんなことして、死神どもがいっきに現れでもしたらどうするよ。さすがのおまえでも勝ち目はねぇ。一人ずつ見つけ出して、潰していくのが確実だ」

「かクじツだ」


「だったら、どうやって見つけ出せばいい。まさか、今から考える、なんて言うんじゃないだろうな?」

 底冷えするような声音で、夏冊は問う。

 魂喰夜叉はすぐさま、

「あああ、ある! 考えなら、ちゃんと、ちゃんとあるから!」と、震える声を返してきた。

「この国にはな、〈七つの鳥居〉っていう、秘密の鳥居があるんだよ。簡単には見つからないような場所に、ひっそりと点在していて、その鳥居をすべてくぐると、死神の居所を知っている神に出会える。そいつをあんたがさらうんだ」

「さラうンだ」

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