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死神の隠し子  作者: 沖延龍弥


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第84話 茶番の終わり

「どうしたんですか?」

 夏冊は駆け寄りながら、彼女たちに尋ねた。

 

 こちらに気がついた二人のうちの一人の看護師が、「ああ、夏冊くん」と切迫した顔色で振り返る。

「さっき、お母さんの心肺の……その……異常がみられて、今からすぐにICUで応急処置をすることになったの」

 早苗を覗き込んでみると、確かにその顔からはいっさいの血の気が失せていた。それどころか、青ずんだ翳が差しかかり、唇は灰紫色に染まっている。

「心肺の異常ってことは、つまり止まっちゃったってことですか?」

 淡々とした調子で尋ねてみると、二人の看護師から息を呑む声がかすかに聞こえた。早苗の顔に目を落としていたから定かではないが、こっちがせっかく気を遣って言葉を濁してやったのに、よく平然と言えるな、とちょっぴり非難めいた視線も感じられた。けれど彼女たちは今、一刻の猶予も許されない。白い目を患者の息子に向けている場合じゃない。

「説明はあとで詳しくさせてもらうわね」と早口で言うと、看護師二人はまた忙しなくベッドを押して、エ

レベーターの中へと消えていった。


 夏冊はその背中を見送って、確かにちょっと冷静すぎたな、と肩をすくめた。早苗の顔色を見て、心配じゃなかったわけではない。もちろん不憫に思えたし、自分が代わってやれるなら、代わってやりたいと心から思っている。

 けれど、早苗は絶対に死にはしない。煌侍郎が魂を回収しないかぎり、生き続けていられる。

 煌侍郎が言うには、身体とい名の器が弱りきると、魂は勝手に抜けていこうとするらしい。けれど、死神である煌侍郎が、それをちゃんと押し留めてくれている。

 だからお母さんは、絶対に死なない。ちゃんと自分の元に戻ってくるーーと、ひとり余裕の笑みを浮かべていると、

「よう、夏冊。いいところに来たな」

 と、部屋の中から低く陰々とした声に呼びかけられた。

 驚いて首を巡らせると、そこにいたのは煌侍郎だった。運ばれていった早苗の枕元があったあたりでうっそりと立ち、ぞっとするような冷たい眼差しで、こちらをじっと見つめている。

 夏冊は、なんだーーと胸を撫で下ろしはしたものの、得も言われぬ不安が胸を噛んだ。ぱっと見はいかつくて、ちょっと近寄りがたい男ではあるが、辛いことがあれば、いつもそばいて励ましてくれる優しい彼に、いったい何があったというのだろうかーー

「何してたの? お父さん……」

 夏冊は、戸惑いながらも尋ねてみた。

 すると煌侍郎が、酷薄こくはくな色に瞳をにごらせ、言い放った。

「もうお父さんでも、なんでもねえんだよ」

 

 夏冊は、二度、三度とまばたきした。言っている意味がまったく理解できなくて、「え?」と間の抜けた声で、聞き返した。

 そこへ煌侍郎が、うんざりだ、とでも言いたげなため息を吐き捨てもう一度言った。

「もうお父さんなんかじゃねえって言ってんだ。おまえもいい加減ガキじゃねえんだから、こんなしょうもないままごとは、もう終いだ」

 そして、いっさいの感情を削ぎ落とした声音でさらに言った。

「早苗はーーおまえのお母さんは、今さっき死んだんだ」

 

 凍てつくような沈黙が落ちた。夏冊はもう一度、え? と聞き返そうと口を開いた。けれど、あまりの衝撃に声を奪われ、唇が震えるだけだった。

 

 煌侍郎が懐に手を差し入れ、何かを取り出して見せてきた。枯れ鬼灯だ。通常の、掌に載せられるほどの大きさである。ヘタを紐でくくって首にかけ、懐の中にしまっていたようだ。よく見れば、中に炎のようなものが揺らめいている。

「あの女の魂は、今ここにある。だからもう、心臓がふたたび動きだすことはないし、目を醒ますことも二度とない」

 とどめとばかりの言葉に、目の前が真っ暗になるようだった。めまいを覚えて、ほんのかすかでも風が吹けば、崩折れてしまいそうだった。それでもなんとか声を絞って、「なんで……」と煌侍郎に問いかけた。


 答えは、すぐさま返ってきた。

「だから、飽きたんだって言ってんだろ。おまえにも、あの女にも」


「なんでだよッ!!」

 夏冊は割れんばかりの声で叫びたてた。「母さんだけは絶対に死なせたりはしないって、いつも言ってくれてたじゃないか! 僕が医者になる日まで、ずっと生かしておいてくれるって! またいつか、三人で笑える日が来るからって……お父さん、僕に言ってたじゃないかッ!!」


 煌侍郎が、鼻先で嘲笑った。

「そんなものは、ただの気まぐれだ。人間のいうところの、あったかい家庭ってやつをちょっと真似してみたくなっただけだ。けど、もうそんな茶番も(しま)いなんだよ」

 それになーーと、死神はさらに続けた。

「あの女は、おまえが生まれる前に、すでに死んでるはずだったんだ。だからおまえも、本来ならこの世に生まれてくるはずはなかった。それを俺のおかげで、おまえはこの世に生まれてこれて、あの女も今日まで生きてこられたんだ。感謝されこそすれ、恨まれる筋合いなんてこれっぽっちもねえんだよ」


 見えない沼に、頭からずぶずぶと押し込まれているかのようだった。心の破れる音が聞こえて、そこからどくどくと残り少ない中身が流れてゆくのを確かに感じた。


「なあ、夏冊」煌侍郎の声が、ほんの少し柔らいだ。

「いつかは、誰しもが親を失うもんだ。確かに十五歳では、ちと早すぎるかもしんねえが、おまえならちゃんと前みて生きていける。頑張って医者になって、人を助けられる人間になれ」

 早苗もそれを望んでるはずだ、と告げられて、夏冊の血液が爆発しそうなほどに沸きたった。

「ふざけるなッ! ふざけるなッ! ふざけるなッ! 僕はお母さんの病気を治すためだけに医者になるって決めたんだ! なのにお母さんを殺しやがって……この死神があッ!!」

 内気だったはずの少年の、発狂的な怒りだった。

 その魂を元に戻せ、あの世になんて送らせないーーと地の這うような声で言うと、

「今すぐお母さんを生き返らせろおッ!!」

 飛びつく勢いで煌侍郎へと駆け、奮然(ふんぜん)と拳を振り上げた。

 

 煌侍郎は、こともなげにそれを躱し、膝蹴りで夏冊の鳩尾を容赦なく抉った。


 夏冊は、「がはっ」と呻きを零し、膝をついてうずくまった。

「もう、あの女のことは諦めろ」

 頭上から、煌侍郎の声が降ってくる。

「おまえにだっていつかはきっと、母親以上に守りたいって思える人間に巡り会える。あの女は、もう充分に生きたんだ」


 違う、違うーーと譫言のように繰り返し、夏冊はひたすらかぶりを振った。

「おまえなんかには、絶対にわからない。僕とお母さんの気持ちなんて……」

 脳裏に、とある男の顔が蘇った。(たか)るハエでも見るかのような目で自分を見下してきた、生物学上だけでいえば父親にあたる男の顔が。

「病気を治して、必ず見返してやるって誓ったんだ。なのにお母さんが死んだら、もう何もかも意味がない……」

 いまだうずくまったままでいる夏冊の視線の先にあったのは、床に映る煌侍郎の影。その手が夏冊の頭に触れようとして、すんでのところで引っ込めたように見えた。が、そんなのはきっと気のせいだ。


「だったら、俺を(うら)めばいい」

 腰高窓の方へと踵を返し、煌侍郎は言った。

「死神なんざ、怨まれることも憎まれることも慣れっこだ。怨むことでおまえの気が済むっていうんなら、とことん俺を怨めばいい」


 夏冊はがばりと顔を上げ、鋭く煌侍郎を睨みつけた。

「この悪魔! クズ! 腐れ野郎! それだけで済むなんて思うなよ。おまえだけは絶対に許さない! いつか必ず殺してやるッ!」


 言われて煌侍郎が、愉快そうにははっと笑い、窓を開けた。

「その意気がありゃあ、生きていけるな。安心したぜ」

 それから一つ深呼吸して、目は外に向けたままで、「じゃあな、夏冊」とまた感情の削ぎ落とした声で言った。

 そして最後に、「達者でな」と一声響かせ、サッシの上に足をかけると、三階の窓から飛び降り、夕闇の中へと消えていった。


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