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死神の隠し子  作者: 沖延龍弥


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第82話 死神• 日照雨煌侍郎

 自分を中心で支えてくれていたものが、一気に瓦解がかいするかのようだった。空気が粘っているのかと思うほどに息が詰まって、それでもなんとか声をあげた。

「先生が、死神の隠し子……?」

 

 そうだ、と死神男がうなずいた。

「あいつは大事なことをいくつもおまえに隠している。自分も死神の隠し子であること。いちばん最初に父親である死神を殺し、残る死神は、俺と炎袰の二人だけだってこと。そして、殺した父親の神核(かみざね)である天瑞鏡の破片をこっそりと隠し持ってること」


 あまりの混乱に、目が回った。カクンと膝から崩れ落ちるところを、胸ぐらを掴まれていた死神男に、今度は両肩を掴まれて支えられた。


「なんで、なんで先生がそんなことを……あの人だけが、俺のために親身になってくれた大人だったのに……」

 

 自分でも驚くほどに、声が震えていた。肩を掴む死神男の力が強くなる。

「母さんのために一緒に頑張ろうって言ってくれたんだ……母さんを死なせたくない俺の気持ちを、誰よりもわかってくれてたはずなんだ……」

 なのに、なんで……なんでなんだよ、と祝はがくりとうなだれた。

 

 死神男が、囁くような声で答えた。

「それは、アイツもかつてはそうだったからさ」


 祝は、え? と顔を上げた。


「瀬城夏冊にも、かつては病弱な母親がいて、何よりも失うことを恐れていた。だからおまえにも、〈母親のために〉とでも言えば、死神殺しに手を染めるはずだと信じ込んだ。そして、おまえが俺と炎袰を殺したら、瀬城はその直後におまえを殺し、九枚の破片すべてを奪うつもりだったのさ」

 

 そうして、隠し持っていた破片で天瑞鏡を完全させてーーと、いったん言葉を切って目を伏せた。

 

 祝はその目を、引き込まれるようにして覗き込んだ。よく見れば、はっとするほどに美しい金糸雀色かなりあいろの瞳である。それが今、悲しげな翳を帯びていた。

 祝の視線を受け止めると、死神男は低く沈んだ声でいった。

「死神に殺された母親を、生き返らせるつもりなのさ。〈お母さんのために一緒に頑張ろう〉なんておまえに言ったのは、きっと此葉のことじゃない。奴の母親のことだったんだ」




◇◆◇◆




 今から三十二年前――

 一人の死神の男が、人間の女に恋をした。 

 死神の名前は、日照雨煌侍郎そばえこうじろう

 女の名前は、瀬城早苗せじろさなえ。本来ならば、持病が悪化して、二十四歳の若さで死ぬはずだった女である。そして、彼女の魂は煌侍郎が回収するはずだった。

 けれど、早苗が二十五歳の誕生日を迎えても、煌侍郎は彼女の魂を回収することなく、この世に命を留まらせた。

 結ばれることはないとわかっていても。

 見守ることしかできないとわかっていても。


 早苗は死神に心を寄せられているなんて知る由もなく、一人の人間の男と恋に落ちた。

 しかし、幸せな時間は長くは続かず、男にとっての早苗は、大勢の女のなかの一人だった。早苗が自分の子供を身籠っていると知ると、男は逃げるようにして姿をくらまし、早苗は未婚の母となった。


 早苗は生まれた息子に夏冊なつふみと名付け、貧しくはあったが心から愛し、必至に育てた。

 夏冊も母の愛に応えるべく、ひたすら勉学に勤しんだ。

 しかし、父のいない寂しさが、ときおり夏冊の胸にくらい影を落とし、勉強にしか興味がないせいか、虐められることも多々あった。

 そんな自らの隠し子の不憫な姿に、煌侍郎は胸を痛めた。

 そうして、隠し子をつくるなんていう死神にあるまじき行為を犯しただけでなく、さらなる過ちに踏み込んでしまった。ただ見守ることしかできなかった彼は、とうとう夏冊の前に姿を晒し、声をかけてしまったのだ。


 ある日、小学三年生になった夏冊は、下校途中の公園で、独りベンチに座って泣いていた。足許は朝に履いていたはずのスニーカーではなく、真っ黒に汚れた上履きだった。クラスの誰かに隠されて、先生にも相談できずに、そのまま帰路についてしまったようだった。

 どこかの家から漂う、夕飯の匂い。犬を散歩させる父子の仲睦まじい笑い声。

 夕闇が押し寄せる公園で、夏冊はランドセルに押し潰されそうになりながら、声を押し殺して泣いていた。

 

 それをすぐそばで見下ろしていたのは、煌侍郎だった。つい伸ばしてしまいそうになる手を、駄目だ駄目だと拳を握って言い聞かせ、この場から立ち去ればいいものを、それもできずに立ち尽くしていた。

 夏冊の目から大粒の涙がぽろぽろ零れ、しゃっくりをあげる度に、華奢な肩がか細く震える。

 煌侍郎はとうとう耐えきれなくなって、うなだれる小さな頭にそっと触れた。


 もちろん夏冊はぎょっとして、弾かれるようにして顔を上げた。煌侍郎の顔を見て目を瞠り、身装みなりを上から下へと舐めるように見ると、また煌侍郎の顔を見上げ、ぽかんと口を開けて固まった。


 煌侍郎は夏冊の頭から手を引いて、やっちまったーーとばかりに目を泳がせた。けれど、夏冊のつぶらな瞳と目が合うと、途端に愛おしさと嬉しさが、一挙に胸に込み上げた。だから今さら引きさがろうとは思わなかったが、とはいえ自身の身装みなり見下みおろし、ほろ苦く笑った。

 肩に羽織はおりを掛けた着流し姿に、足許は足袋たびの上から雪駄履せったばきである。今の子から見れば、その姿は異様にしか映らないだろう。


「おじさん、誰?」

 夏冊の問いに、煌侍郎ははっとした。

 「えっと、その……」と目を逸らし、頭をがしがしと掻きむしった。そもそも意識ひとつで、自らの姿を人の目には捕えることができないように操ることのできる死神にとっては、人と目が合うことも、見つれられることも、ほとんど初めての経験だった。次第に恥ずかしくなってきてもじもじしてると、何やってんだ、俺ーーと、自分でも情けなくなってきた。

 

 首をかしげて、夏冊は答えを待っている。頬を濡らしていた涙は、もう止まった。


 煌侍郎はひとつ咳払いして、しどろもどろに口を開いた。

「お、おじさんはよ、おめえと友達になりてえんだよ。も、もしよかったら、なんだけど……」

 変質者じゃねえか! と、自分の頬を張り倒してやりたくなった。ランドセルの脇に吊された防犯ブザーが目に入って、頬に冷や汗が一筋伝った。よっしゃ、逃げよう。

 ところがそう思った矢先、

「うん、いいよ」と夏冊が、こくりとうなずいた。

「友達、初めてできた」

 そう言って見上げてくる面差しは、煌侍郎がずっと見守ってきた夏冊のなかで、いちばん眩しい笑顔だった。

 

 二、三カ月もすると、二人はすっかり気のおけない仲となった。

 早苗は、夏冊がいったい誰と遊んでいるのか不審に思い、問い質した。

 後日、煌侍郎は夏冊に腕を引かれ、早苗の前に姿を見せた。そして、信じてもらえないことは覚悟のうえで、早苗にすべてを打ち明けた。

 本来ならば、二十四歳で死ぬはずだったこと。夏冊は生まれるはずのない子供だったこと。そして、今は友達だけど、本当は夏冊のことを我が子のように思っていることも。


 早苗は静かにうなずき、煌侍郎を信じた。

 生きているのが奇跡だと、医者から常々言われていたことも大きかったが、だから悪い男に騙されるんだと周りからも呆れられるほどに、早苗は疑うことを知らない女だった。

 しかも、彼女が真実を知って、いちばん最初に伝えたのは、死神という存在への恐怖心でもなければ、嫌忌感でもなく、心からの深い感謝だった。今まで生かしてくれていて、生まれるはずのない夏冊を授けてくれて、そして、夏冊を我が子のように思ってくれて、本当にありがとうと早苗は煌侍郎の手を握った。

 

 そう、すべては、その手の沁みこんでゆくような温もりのせいだった。人には決してなれない一人の死神が、大きな勘違いを抱いてしまったのは。

 人の子と、血肉を分けたような、本当の親子になれるかもしれないと。

 愛情を分かち合う、本当の家族になれるかもしれないと。


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