第79話 賭け
穏やかに諭すようなもの言いだったが、祝は面白いほどにたじろいだ。
「な、何で、俺の母さんの名前を知ってるんだ! それに、俺の名前も!」
何でってーーと死神男が、首筋を包帯の上からぼりぼりと掻いた。
「今からちょうど二十年前に、此葉は死ぬはずだったんだよ。俺に魂を回収されてな。けど、ちょっとからかってやろうと思って、賭けを持ちかけてやったんだ。もし、俺に勝つことができたなら、向こう二十年、命を延ばしてやるってな。そしたらあいつ、運がいいことにその賭けに勝ちやがった」
で、俺も男だ、と、片手で帽子を持ち上げると、
「こっちから持ちかけた賭けの借りを踏み倒しちまうほど、廃れちゃあいねえ。ってなわけで、あいつはとっくの昔に死んでたところを、二十年の命を手に入れたんだ」
と、もう片方の手で髪の毛をキザったらしくをかき上げ、もう一度帽子を被り直した。
こめかみから下はブロンドで、その上からてっぺんは天河石のような髪色である。帽子を取ったその瞬間、月光に照らされて玲瓏とした光沢を靡かせていた。
けどなーーと死神男が、祝を真っ直ぐに見つめた。
「今日がちょうど、その二十年目の日なんだよ。俺は約束を違えるつもりはねぇ。必ず此葉の魂を回収する」
だから祝ーーと、沁み入るような声でさらに言うと、
「おまえは、こんなところで油売ってる場合じゃねぇ。此葉のーーおっ母さんのそばに少しでもいてやれ。あいつを救ってやれるのは、天瑞鏡なんかじゃあねえんだよ」
二人はしばし見つめ合い、
「ふ、ふざけんじゃねえ!」
と、祝は叫んだ。「そんな嘘に誰が、引っかかるか! この、バケモンがッ!」
死神男が、嘘だと? と、聞き返した。
「ああ、そうだ!」と、祝がすぐさま切り返す。「じゃあ、なにか? おまえは、母さんがいま生きてるのは、自分のおかげって言いたいのかよ?」
責めるような調子で問いかけられて、死神男は
うつむいた。
「べつに……そんな恩着せがましいこと言ってるわけじゃねえ。ただ、賭けの借りを返しただけだって言ってんだ」
と、語気が萎んだかた思いきや、
「そう、それだけだ。べべ、べつにあいつのためにやてやったわけじゃねえし、そ、それ以外の意味なんて、なんもねえ。勘違いすんなよ!」
と、妙に大慌てで否定してきた。いったいこちらが何を勘違いしていると言いたいのか。
「けど、おまえのその言う分だと、俺は、おまえの隠し子だってことになるじゃねえか」
そうだろう? と重ねて問うと、死神男は視線を逸らして、人差し指で頬を掻き、
「まぁ、そうなるな」
と、照れくさそうな声で答えた。
「嘘だ!」
祝は、即座に否定した。
「生まれてくるはずのなかった俺が生まれてこれたのは、嗛間炎袰が父さんの命を延ばしたからだ。おまえなんかのおかげじゃない!」
言われて、死神男が目を瞠った。
「炎袰が、おまえにそう言ったのか?」
「ああ、そうだ」と、祝は強く深くうなずいた。
「俺は幼いころに、バケモノに襲われかけたところを炎袰に救けられたんだ。そのときに、あいつは父さんを知っていると言っていた。俺が生まれた日に、そばにいたとも言っていた。もし俺が十人の死神の中で、誰かの隠し子だとするのなら、それは炎袰だ。おまえじゃない! おまえが母さんの命を二十年も延ばしてるなんて話も、全部デタラメに決まってる!」
死神男が舌打ちを鳴らした。
「あいつ……俺の知らないあいだに、抜け駆けしてやがったか」
ぼそりと言った声は、祝の耳には届かなかった。ただ相手のばつの悪そうな雰囲気に、ほら、見ろーーと確信し、はん、と鼻先で嗤ってみせた。
「おまえの言っていたことは、やっぱりすべてデタラメだ。俺がそんな手に乗るわけねえだろ。それにどの道俺が本当におまえの隠し子だったとしても、容赦なんか絶対にしない。おまえを殺したら、次は嗛間炎袰を必ず殺す!」
天瑞鏡のためなら、誰の隠し子だろうがーーと両手に霊力を集中させると、
「死神はすべて討ち果たす!」
と右腕を振り抜き、三条の三日月刃を疾らせた。すぐさま左腕を横ざまに薙ぐと、もう三条の三日月刃が飛び出し、その後を追う。
「ったく、しょうがねえ奴だな……」
迫り来る三日月刃に、死神男はため息をついた。首の骨をポキポキと鳴らし、口で言ってわかんねえならーーと身を沈めると、
「その目でじっくり確かめろ!」
と、右手で空を薙ぎ抜いた。
そこから飛び出したのは、光芒を引き、燦々たる輝きを放って夜闇を切り裂く、三条の疾空の三日月刃だった。
「なッ!?」
祝は、我が目を疑った。
死神男はすかさず左腕を振り下ろし、さらに三条の三日月刃を撃ち放った。
なんで同じ神通術をーーと祝は思った。が、その直後、いや、おんなじ神通術かーーと、疑わずにはいられなかった。それほどまでに、歴然な力の差であった。
祝が放った三日月刃に比べ、大きさ、輝度、刃先の鋭度に、迸る力感、全てが段違いなうえに、迫り来る速度にいたっては、比べものにならないほどに恐ろしく迅い。
そして、両者の三日月刃がかち合うと、やはり一瞬たりとも鬩ぎ合ったりはしなかった。
祝の放った三日月刃は、死神男の放った三日月刃にあっけないまでに撥ね返されて、明後日の方へと飛んでいった。
しかも死神男の放った三日月刃は、さらに驀進を続けて祝の眼前へと差し迫る。
祝は慌てふためきながらも、紙一重でそれを躱した。
そのうえ、死神男が放った三日月刃は、掠め過ぎたときの刃風の圧までもが凄まじかった。その突風を全身で受けて、祝の背筋に冷気が走った。それほどまでに、相手の三日月刃は大きく、重く、それでいて刃先は、紙を側面から切り裂けそうなほどに研ぎ澄まされた傑刃であった。
思えば、八尋と長槍に乗った死神のときもそうだった。同じ神通術であるからこそ、互いの力の差は無情なほどにわかりやすい。そして、思い知らされるのは一瞬だ。今からでは絶対に埋めようのない力量の差をたった一度の攻撃で見せつけられて、祝の総身に痺れるような戦慄が走る。
けれど、祝の心の隙間に息づきはじめた存在が、諦めることを許さなかった。萎れかけた闘志をむりやり奮い立たせると、操るように祝の足先を死神男へと向かわせた。
しかし、さっきまで立っていたはずの場所に、もう死神男はいなかった。あたりを見回しても見当たらない。
うしろにいたとわかったのは、盛大な飛び蹴りを背中に啖ったあとだった。
「がはッ」
祝が呻きをあげつつ振り向けば、死神男の追撃の蹴りが、容赦なく鳩尾へとめり込んだ。
祝は〈く〉の字になって吹き飛んで、着地した背中でニメートルほど地面を削った。
腹を押さえ、歯を食い縛りながら半身を起こすと、一条の三日月刃がすでに顔前へと迫っていた。
(終わった……)
祝は、首を竦ませた。魂までもが竦みあがるかのような心地でいると、三日月刃は鼻先すれすれで上へと逸れて、そのまま上空へとうなり過ぎていった。
(外したのか……?)
と思ったが、どうも違う。死神男のにやりと吊り上げられた口の端からは、外してやったんだよ、という声が聞こえてくるかのようだった。
祝は、舌打ちを鳴らして立ち上がった。
死神男の右手が、すでに振りかぶられている。
祝は息を整え、身構えた。三日月刃を三日月刃で迎撃しようとしても、どうせまた撥ね返されるのがオチである。だったら無駄撃ちなんかせずに躱しつづけ、相手の虚を見つけて衝くしかない。
しかし死神男が放つ三日月刃は、祝の身長を優に超え、電光のような速度で迫ってくる。いくら冷静になれと言い聞かせても、恐怖が勝り、判断力を鈍らせる。
かろうじて躱してはみたものの、反撃の余裕など生まれそうになかった。
死神男が、さらに三日月刃を投げ放った。右、左と空を掻き、三日月刃を留まることなく投擲する。
祝はそれを、命からがら躱し続けた。右へよろめき、左へのめり、悲鳴をあげつつ掻いくぐる。
反撃の機会は絶対に与えてはもらえない。しかし、躱せるだけの余裕はある。それは、祝が冷静だからでも、機敏だからでも決してない。確かな手心が、そこにはあった。
死神男は、必ず祝が躱しきったところを見届けてから次の三日月刃を撃ち放ち、三度に一度は、直前に放たれたものとは比べものにならないほどの豪速の刃を疾らせる。かと思いきや、手前ギリギリで明後日の方へと逸れてゆき、祝の気勢だけを削いでゆく。
最初のうちは気づかなかったが、それはどう見ても祝の動きをきっちりと見極めたうえでの手加減であり、同時に祝には絶対に反撃の余地を与えない、絶妙に舐めきった応戦だった。




