第78話 火傷の男
遠ざかってゆく祝の背中を、電気の消された病室の窓から闇い瞳で見つめる人影があった。
瀬城である。
「あいつも、とうとう勘づきはじめたな」
底冷えするような声でそう言うと、いつの間にいたのか、背後でひっそりと佇む狛犬姉弟が、揃ってこくりと頷いた。
「ああ、そのようだ。どうする? そろそろ殺すか?」
身の毛のよだつようなおぞましい声音で日暈が尋ね、まったく同じ声音で月暈も続いた。
「コろソう、コろソう、はヤくコろソう。ホおリもヤひロもハやクこロそウ」
いつもとはまったく違う声音と口調であるにも関わらず、瀬城は狛犬姉弟へ振り向きもしない。一切動じることなく、聞き慣れているとばかりに平然としている。
「駄目だ。僕が深傷を負ってしまった以上は、あいつに残りの死神も殺させる。そのあとで殺しても遅くはない。だから、それまでは絶対に手を出すな」
いいな、とようやく振り向き、鋭い目つきで念を押すと、日暈が、「わ、わかったよ」と声を震るわせ、二匹は揃って竦みあがった。
「全部アンタの言う通りにする。だけどヨ、祝ひとりで、残りの死神が殺せるか?」
「そウだ、コろセるカ? ヤひロはモうツかエなイ。ほオりヒとリでコろセるカ?」
瀬城が、窓の外に目を戻した。祝の姿はずいぶん小さくなってしまったが、まだかろうじて目で見えた。
「確かに嗛間炎袰の神通術については、まだわかっていないしな。けど、もう一人の死神なら、祝ひとりでも殺せるさ」
狛犬姉弟が、首を傾げた。
「なぜ、そう言い切れる?」
「ソうダ。どウしテほオりガこロせルなンてイいキれル?」
簡単さーーと瀬城はスラックスのポケットから何かを取り出し、狛犬姉弟に見せつけた。
それは、祝がまだ目にしていない、天瑞鏡の破片であった。
「僕だって父親気取りの死神を殺せたんだ。祝にだって、きっと殺れるさ」
◇◆◇◆
折よく総合病院の近くでタクシーを捕まえることができた祝は、八尋の母親が握らせてくれたお金で、無事正鹿神社へ帰ることができた。
社の床へ身を投げ出すと、泥のような眠りに落ちて、昼頃になって目が醒めた。
ふと見ると、きゃっきやっと手遊びで盛りあがっている狛犬姉弟がそばにいる。
祝はぎょっとした。すっかり忘れていた後ろめたさもあって、恐るおそるどうやって帰ってきたのかと尋ねてみると、
「わっちゃらを、見くびらないことですの」
「ですぞ」
と、適当に躱されただけだった。
そうして西の山陰に陽は沈んで、誰そ彼時となったころ、狛犬姉弟が、神妙な顔つきで祝の目の前に鬼灯を置いた。
祝は黙ってうなずいた。静かに端座し、天の逆手を二度打った。
そうすると、鬼灯が花弁のように開いて、火の玉が現れるはずだった。
しかし、今宵は違った。
鬼灯は、花弁のように開かなかった。
見ると、半身を起こしたカグツチが、扉の方を指差している。
場の空気が張り詰めた。
静かに指差していたカグツチが、扉に向かって腕を必死に伸ばしている。欲しいものがすぐそばにあるのに手が届かない――そんなもどかしい気持ちを、全身を使って訴えている。
「死神が、すぐそこまで来てるですの!」
「ですぞ!」
狛犬姉弟の緊迫した声に、祝は扉に目を遣った。人ならざるただならぬ気配が、確かにこちらへと近づいてくるのをひしひしと感じる。
祝は、警戒しながら本殿の扉を開け放った。
この小高い山の中に建てられた正鹿神社は、険しい石畳の階段を上った頂上に、祝たちが今いる本殿がある。その石畳の階段から、カツンカツンと不穏を漂わせる足音が、一歩、一歩と頂上目指して近づいてくる。
鼓動が早くなるのを感じながら、祝は修行に明け暮れた本殿の前庭の中心に立ち、その足音の主を待ち受けた。
狛犬姉弟の気配は、すでにない。早々にどこかへと隠れてこの状況を見守っているはずだ。
石畳の階段を上り切り、ひとつの人影が夜陰を取り巻いて現れた。
男である。
その全貌が月光に浮かびあがると、祝は目を剥き、息を呑んだ。
男は、ミイラのように全身に包帯を巻いていた。
目許と口許だけには、さすがに巻かれてはいなかったが、双眸は真っ赤に充血していて、唇は赤黒く焼け破れ、輪郭を留めていなかった。ところどころ包帯の隙間から覗く皮膚も、まるでどろどろに煮溶かした真っ赤な果実のように糜爛していて、目を背けたくなるほどに痛ましい。
ひどい火傷だーーと、祝は思う。
けれど、その上から纏う装いは、意外にも惚れぼれするほどに洒落ていた。
白いリネンのスリーピースのスーツは、かっちりとしていても涼しげで、胸許の白いポケットチーフが、ちらりと気品を覗かせている。サテンのネクタイと色を合わせたベージュのリボンのパナマ帽も、顔が小ぶりなおかげでバランスがいい。
そもそも服の上からでも察しがつくほど、身体はしなやかで四肢も長い。容貌の方は、やはりほとんど察しはつかなかったが、包帯の上からでも見て取れたのは、高く通った鼻梁である。
もしかしたら、焼け爛れるようなことさえなければ、目を惹くような美形であったのかもしれない。
(そういえば、嗛間炎袰にも火傷があったな)
妙な共通点だと、祝は思った。しかし目の前にいる男の惨状は、炎袰とは比べものにならないくらいに凄まじい。きっと、たまたまだ。そうじゃなくても、どうせ俺には関係ないーー
「死神だな?」
わかりきってはいたが、祝は念のために問い質した。
「ああ、そうだ」
死神男が、頷いた「見りゃわかんだろ。こんな男前、人間じゃあそうそういねぇんだから」
笑えなかった。けれど惨たらしい醜状に反して、口調は優しく声音は耳に心地よい響きがあった。てっきりおどろおどろしい声が返ってくるものと思っていた祝は、予想外のできごとにほんの少し驚かされた。
死神男が、祝へと歩み寄った。
「ずいぶん捜したぞ。こんな辺鄙なところに隠れやがってーーカグツチと天瑞鏡の破片はどこにある? 今すぐ返せば、なんとか赦してもらえるよう取り計らってやる。だから素直に白状しやがれ」
祝はありったけの眼力でもって、近づいてくる死神男を睨みつけた。
「馬鹿が。言うわけがないだろ」
それから、ちらっと薄笑いを走らせて、
「けど、そっちから来てくれて助かったよ。丁度移動手段を失ったところだったからな。ついでに死ぬ覚悟もしておけよ。お前を殺せば、八つめの破片が手に入る」
「ーー八つ目?」
死神男の足がぴたりと止まった。聞こえてきた声色は、いかにも腑に落ちないといったふうではあったが、包帯に覆われているせいで巧く表情を窺うことはできなかった。そのうえ、なぜそんなことを念を押すように聞き直してくるのかもわからない。
だから祝は、つい自分のいいように解釈した。ここまで来たものの、仲間がもう七人も殺されていたことすら知らず、その事実を敵から告げられ、あまりにショックであったんだろう、と。
そんな早合点に、祝はにんまりと笑い、ああ、そうだ、と自信満々に顎を反らした。
「七人の死神がもう死んだ。残るは、おまえを含めてあと三人だ」
まるで自分が七人全員を斃したかのようなもの言いである。瀬城と八尋がいなければ、ここまでこれなかったことくらいはわかってはいたが、相手が怖気づくことを期待して、あえて堂々と言い放った。
死神男は、黙り込んだ。
怯んでいるのだろうと思いたかったが、やはり相手の考えは包帯に隠れて読み取れない。
「死んだ死神は七人、か。やっぱりそういうことだったかーー」
死神男から、舌打ちするような声が聞こえてきた。
祝は、怪訝に眉根を寄せた。
青葉の薫る風がそよぐ。空には凛烈とした光を放つ三日月が昇り、二人のなりゆきを見守っている。
死神男が、祝の目を真っ直ぐに見据えて口を開いた。
「なぁ祝、こんなことする暇があったら、おっ母さんのそばにいてやれよ。天瑞鏡でこれ以上命を延ばしてやったって、あいつはーー此葉はちっとも喜んだりはしねえんだよ」




