第73話 完璧なる複製
嘔吐物のように地面へと叩きつけられたのは、弾力のある人肌色した肉塊だった。
生きているのだろうかーーよく見れば、脈を打つように定期的な律動を刻んで震えている。そして、震えるたびに大きくなって、赤ん坊のような姿へとみるみる形を変えてゆく。
その顔から両つの瞼が浮き上がると、それがぱちりと開いて、黒い瞳を持つ眼が現れた。次いで鼻の出っ張りと唇の膨らみが浮き上がり、頬には血の気が差して、ふわふわな髪の毛までもが頭から生えると、それはもう、どこからどう見ても赤ん坊だった。
しかし祝が、「赤ん坊……?」とつぶやいたときにはもう、それはすでに赤ん坊ではなく、二本足でしっかりと立っている四、五歳ほどの幼児へと成長していた。さらにその成長はとどまることなく、むくむくととてつもない速度で大きくなって、明らかな少年の姿へと進化していた。
そんな光景に祝は息を呑みながらも、見憶えのありすぎる顔に、まさかーーと思った。
そして、ただの肉塊だったそれは、ものの十秒余りで、十五歳ーーいや、もうすぐ十六歳になろうという肉体へと変貌を遂げ、微動だにせずに佇立していた。
「んだよっ、これ……」
祝はぞっと総毛立ち、震える足で身を引いた。その肉体は、今現在の祝とそっくりな姿をしていたのだった。
いや、そっくりどころの話じゃない。虚ろな瞳と真っ裸である以外は、何もかもが同じだった。顔や体のつくりはもちろんのこと、自分にしか知らないようなホクロの位置や、爪の伸び方、幼いころに怪我をして今もうっすらと残る傷跡に、ここ最近でできたかすり傷ーー何もかもが寸分の狂いもなく祝本人と同じであった。
「この子はな、アンタを完璧に複製した肉の傀儡や。体力も筋力も、そのうえ神通術の練度すらも、何もかもがアンタと完全に一致したウチの操り人形や」
煽璃が祝と瓜二つとなった肉体へと歩み寄り、肩の上に手を乗せた。
「そのうえこの身体は、致命傷でも負わんかぎり、すぐに元どおりの形状と能力値に修復される肉塊でできとる。怪我はすぐさま回復され、体力も筋力も霊力も、どれほど駆使しようが衰えることはない」
まさに、完璧なる複製人形や、と得意げに言うと、その傀儡の肩から手を離し、今度は頬をねっとりした手つきで撫で回しはじめた。
それを見て、祝の背筋に悪寒が走った。自分とそっくりな物体が、唾液と嗚咽と一緒に口から産み落とされたという事実がすでに気味が悪いうえに、従順しく撫で回されているその物体を見ていると、まるで自分が撫で回されているようで、今すぐ二人のあいだに割って入って傀儡を庇ってやりたくなった。
そのうえ何よりも不愉快だったのは、自分とまったく同じ見た目をした複製物が、一糸纏わぬ姿で突っ立っていることだ。攫われてしまって気が気ではないが、八尋が今ここにいなくて、本当によかったと心から思った。とはいえ、それを産み出した死神も、人ではないが間違いなく女である以上、思春期真っ只中の祝からすれば、顔どころか耳たぶの裏っ側まで熱くなった。
そんなふうにわかりやすくうろえる相手を見て、煽璃がくつくつと笑いながら傀儡の頬から手を引いた。
「さあ、お姫様を助けたかったら、アンタ自身を倒してからや!」
その叫声を皮切りにして、虚ろだった傀儡が炯々とした眼光を放ち、全身から凍てつくような殺気が噴出した。
祝は跳びすさって間を取ると、交戦の態勢に切り替えた。
傀儡が右腕を振り下ろし、祝へと三条の三日月刃を疾らせる。
祝は身体を右にねじり、左によじり、腰を屈めてそれを躱した。
傀儡がその隙に距離を詰め、飛び膝蹴りで食い込んできた。
祝はすかさず顔の前で前腕を揃えて、その蹴撃を受け止めた。
顔面の直撃は防いだものの、腕からは骨の軋む音がはっきり聞こえた。それほどの一撃に歯を食い縛り、風を捲いて回し蹴りの応酬をお見舞いした。
傀儡は後方へと蜻蛉を切って、きわどく避けた。さらに眼光を鋭くさせながら一歩、二歩と後ずさると、五メートルほどの距離を置いて、二人は火花を散らすほどの睨みをしばし交わした。
傀儡がふたたび右腕を振り下ろし、一条の三日月刃を投げ撃った。
先ほどの三条の刃よりもさらに大きく、この一条に力を絞った渾身の閃光が祝へと迫る。
祝も横殴りに腕を払い、迎撃の三日月刃を翔けらせた。こちらも霊気を一条に凝集させた、思いっきりの一閃だ。
ふたつの刃は、祝と傀儡の丁度真ん中で鏘然と響いてかち合った。押し合いへし合い、譲ることなく完全に互角の力で鬩ぎ合う。
二刃はそのままかち合ったままで、光の粒となり消え散るるものと思われた。
ところが、刃の輝きに陰りが射して、かすかに透けて見えはじめた傀儡の刃を、祝が放ったいまだ勢い衰えぬ刃が噛み破った。
真っ二つになった傀儡の刃は、光の粒となって消滅し、祝の刃はむしろ勢いを加速させて、そのまま傀儡の方へとまっしぐらに駆けた。
そして、目を瞠っている傀儡の胸へと喰らいつき、大根のごとく胴斬りにした。
悲鳴はない。代わりに、「へ?」と煽璃の間の抜けた声だけが、はっきりと聞こえた。
ふたつになった傀儡の残骸は、一滴の血もなく地面にぼとり、ぼとりと転がった。そして、みるみる人の形を失くしてゆき、潰れた粘土のような肉塊へと戻ると、火もないのに真っ黒に焼け焦げて、消し炭のような物体へと成り果てた。
祝は、ぽかんと口開けた。今の俺を完璧に複製した傀儡じゃなかったのか? 体力も筋力も、神通術の練度すらも、何もかもが俺と同じじゃなかったのか?
にしては、あまりにもあっけないケリのつきようだった。いや、それに越したことはないのだが、死闘を強いられるとばかり思っていただけに、これでよかったのかと不安にすらなった。
ちらりと煽璃に目を遣れば、彼女もまた信じられないものを見るかのように、あんぐりと口を開けていた。それからはっと自失から醒めて、首をぶんぶんと横に振りながら、
「ちゃ、ちゃう! たまたま! たまたまやッ!」
と、金切り声を張りあげた。
「ごく! ごく希にな、ポンコツの傀儡もできたりするんや」
頬を引き攣らせながら、ほ、ほれ、と鉄扇で祝を差して
「雛型が出来損ないのアホやったりするとやな、そこも一緒に複製してまうようなことが希にあるんや。ほんま困ったもんやで。エエ加減にしてや!」
誰がアホだ、と目顔で言って、祝はゆらりと煽璃へ近づいた。
距離を詰められ、「ヒィッ!」と煽璃の声が裏返る。なかなかの跳躍力で跳びすさると、あたふたと両手を振って、近づいてくる祝の動きを気迫で制した。
「は、吐き出せる傀儡が、一つだけや思うとったら大間違いやで! ウチを怒らしたらどうなるか、思い知らせたる!」
そう喚くや、またもや煽璃の体が波打った。「うえっ、うえっ」と嗚咽をあげながら激しく身悶えるその表情は、先ほどよりもいっそう苦痛に歪んでいて、よく見れば腹の中で蠢く塊は、三つになっていた。
腹から胸へ胸から喉許へと、それは蠕動しながらせり上がり、煽璃は涙を浮かべながらたて続けに肉塊を口から吐き出した。
よほどの苦痛だったのか、息を激しく弾ませている。が、祝に向ける目つきは得意気だ。
祝はべつに、吐き出せる傀儡がひとつだけだなんて、思い込んではいなかった。だから傀儡になる肉塊を三つ同時に吐き出したことに、べつだん驚きはしなかったが、先ほどの勝利に関しては、本当にたまたまだったのかもーーと珍しく油断することを自らに禁じた。
ましてや次の相手は一体じゃない。今度こそ死闘は免れないと覚悟を固めて身構えた。




