第71話 死神• 六連星燎牙
辿り着いたのは、山奥にある廃墟と化した小学校だった。
閉ざされた校門を長槍で抜けて、その先にある校庭へと降り立つと、途端に強烈な悪寒が全身を駆け抜け、毛穴が一斉にキュッと音をたてんばがりに竦みあがった。
まとわりつくような殺気である。棘にからむような凶気である。間違いなくこの先に、死神がなりを潜めて待っている。
いや、潜めるどころか、これみよがしに吹きつけてくる自信満々な威風には、恐怖よりも興醒めするような心地すらする。
けれども、引き返すわけには絶対にいかない。そそくさと物陰に隠れた日暈を残して、祝と八尋は校庭の真ん中へと足を進めた。
校庭は、サッカーコートひとつ分ほどの大きさで、その向こうに裏山を背にした木造二階建ての小さな校舎と、向かって左側にちいさな倉庫が建っていた。いつ倒壊してもおかしくないほどに荒廃しきったそのさまは、死神というよりも幽霊たちの寄り合い所のような雰囲気だ。
「いらっしゃぁい! 待ちくたびれたわあ」
二人が、校庭の真ん中あたりにまで辿り着いたころだった。校舎の真ん中に位置する玄関の庇の上で、一人の女が陽気な関西弁を振りまいた。
フリルとドレープを何重にもあしらい、後ろ腰にボリュームを持たせたバッスルスタイルと呼ばれたロングドレス。派手やかな桃色の髪は、複雑に華やかに盛り上げられて、その上には小さな鍔広のドレスハットが載っている。明治時代に鹿鳴館で流行したような洋装だ。しかし、そんなことをまったく知らない祝からすれば、廃墟の雰囲気とは正反対の煌びやかさに、呆気に取られるばかりだった。
吊り上がった切れ長の目許と、ニンマリと笑う艶やかな唇からは、妖麗な色香が漂っている。が、影がれば、人ならざるモノが映るのでは、と思わせるような油断のならない美貌であった。
そのうえ全身から横溢する殺気と血気が風に乗り、三十メートルは離れている祝に絡みつくかのようである。
「よう来たな、死神殺し。うちが、今宵アンタらの相手をする死神や」
女の翠玉のような瞳が輝いた。
「どうせ、あと数分で膾んなって、そこらへんに散らばる運命や。名前なんて名乗ったところで意味もないけど、はるばるここまで来たご褒美に聞かせたる。ウチの名前は、桃花鳥ヶ峰煽璃や」
聞いてねえよ、と祝は言おうとした。が、それよりも女の方が一歩早く、
「で、ここに来たんは、アンタら二人だけかいな。それは、ちとおかしいな」
と、胸許から取り出した鉄扇を口許に当て、きょろきょろと辺りを見回した。
「〈模倣〉の死神殺しは、どこにおるんや? アンタらの仲間のはずやろ?」
祝は、胸の内で舌打ちを打った。やっぱりこいつも知ってるのか。
「隠そうたってそうはいかんで。なんせこのウチが最初にあの〈模倣〉の使い手が、いずれ死神殺しになるって勘付いたんや。歳は確かーーもう三十歳は超えとるはずやで。せやから、アンタらやないこともわかっとる」
それから、鉄扇で祝をビシリと差して、鋭く言った。
「さあ、白状せんかい! 〈模倣〉の使い手は、今どこや!」
「言うわけないだろ」
祝はきっぱりと押し返した。「どうせ、おまえはここで死ぬことになるんだ。だったら知ったところで、意味のないことだ」
なんやて? と煽璃の片眉が、ぴくりと跳ねた。とみるや、
「シいィィやーはははははははッ」
と、猫の威嚇にも似た哄笑をあげた。
「ってことは、アンタら小童がウチを斃すっちゅうんかいな!? このウチを! 死神最強の神通術の使い手であるこのウチを! そら傑作や! でもまあ、ここまでわざわざ来たってことは、本気でそう思っとんのやろうなあ! えらいド阿呆やけど、威勢のいいことはええこっちゃ。隣の彼女にええとこ見せたい気持ちも、よおわかる。けどアンタはすでに死神殺しに手ぇ染めてもうてる。せやから容赦はできへん。まあ、なんせウチの神通術を一度見たならーー」
と、そのあともベラベラと喋り倒してはいたようだ。が、その声は、祝の耳にも八尋の耳にも、すでに届いてはいなかった。
後方の空から迫ってくる鋭利な気配に全意識が引っ張られ、二人は煽璃の存在などすっかり忘れて、完全に背を向けてしまっていた。
「って、コラ! 聞いとんのか!」
と、煽璃が喚いた。そこで、ようやく彼女も気づいたようだった。
夜空を滑翔し、何かがこちらへと近づいて来る。
最初は鳥かと思ったが、明らかに違う。大きすぎるし、縦に長い。そのうえ、立ち昇る気勢を携えて、凄まじい速度でやって来る。
それは、長槍に乗った青年だった。
こちらに穂先向けた長槍の柄に足を乗せサーフィンのような身ごなしである。詰襟の学生服の上から蛮カラマントを翻し、風を切り裂いて差し迫る。
「六連星燎牙! アンタ、いったいどういうつもりや!?」
青年に向かって、煽璃が金切り声で吼え立てた。しかし、燎牙と呼ばれたその青年は、そんな声など耳に入らないとばかりに、祝と八尋だけに鋭い視線を据えている。
もちろん、祝は面食らった。しかし、隣にいる八尋にほんの一瞬目を遣れば、やはり祝以上の驚きぶりで、口を閉じるのも忘れて、その青年を見つめていた。
当然だ。なにせ、自分と同じ神通術とおぼしき者が突然現れ、疾風の勢いで迫ってくるのだから。
祝は身構え、霊気を目一杯に滾らせた。死神•桃花鳥ヶ峰煽璃が名前で呼ぶということは、奴もおそらくは死神だ。八尋と同じ神通術であるならば、きっと長槍を発現させてこちらへと飛ばしてくるだろうと警戒した。
ところが祝たちの頭上へと辿り着いた途端、燎牙と呼ばれた死神は十五メートルほどの高さを保ってぴたりと止まった。
よく見れば、白皙の上品な雰囲気を醸した美青年であった。いや、祝よりは確かに二、三歳ほど上には見えるが、とはいえ二十歳には満たないようにも見えるから、少年と言ってもいいかもしれない。
黒髪は、濡れているかのように艶やかで、涼しげな目許の奥にあるのは、どこまでも深く吸い込まれそうな瑠璃色の瞳。真っ直ぐに通った鼻筋に、凛として引き締まった端正な口許ーーどこを取っても非の打ち所のない美形であり、女性と道ですれ違えば、十中八九振り向かれるであろう容姿端麗な死神青年だ。
そんな男が、おもむろに右手を振り上げた。
次の刹那ーー数知れないほどの死に見下ろされ、祝は骨の芯から震えあがった。
現れたのは、見渡すかぎりの夜空をひしめくほどに埋め尽くす、無数といっていいほどの長槍だった。
地に向けられた鋭い穂先は月光を弾いてきらきらと輝やき、満天の星々と見紛うばかりだ。が、現実は針山地獄が今か今かと降り注ごうとする、地獄絵で見るような絶望の夜空だ。
祝はそれを愕然と仰ぎ見て、
「マジ、か……」と感情の欠いた声が、ぽつりと零れた。死の予感が全身を駆け抜け、満身の力が引き潮のように抜けてゆく。
隣で八尋の震える吐息が聞こえてきた。そこで、彼女だけでもなんとかーーと一瞬思いはしたものの、どう考えても不可能だ。逃しようもなければ護りようもなく、思考力は諦めという名の淵に早々に沈んだ。
「燎牙、アンタ……」
後方から、煽璃の萎んだ声が聞こえてくる。
(ああ、死ぬんだな……)
他人事のようにそう思いながら、祝はひたすら立ち尽くした。雨のように降り注ごうとする切先を目も逸らさずに眺めていると、恐怖は次第に麻痺して身体の震えもぴたりと止まった。それ以外の感情も霧消すると、身体は虚ろになって、降りかかろうとする運命をただ淡々と待ち構えるのみだった。




