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死神の隠し子  作者: 沖延龍弥


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第63話 死神•嗛間炎袰

 カラン。

 軽妙な下駄の音が、どこからともなく聞こえてきた。

 直後、真っ白い何かが、泥塊を後方から唐竹割(からたけわ)りに両断した。


「ーーエ?」

 愚鈍な口たちが、間の抜けた声をあげた。我が身に何が起きたのか、まだわかっていないのか、揃ってぱちぱちとまなこをしばたたいている。

 泥塊は、流暢な口のちょうど眼と眼のあいだでベロンと裂けて、その隙間から凛烈りんれつとした光が差し込んだ。その光に押しやられるようにして、裂け目がさらに広がると、祝はその向こう側にある人影を見つけた。

 

 少女であった。

 

 しかも、その輝きだけで不浄ふじょうな泥塊をめっしてしまえそうなほどの、凄絶無比そうぜつむひの美少女であった。

 深い緑地に、真っ赤な椿柄をあしらった小振袖。その上から純白のフリルの付いたエプロンを纏っている。ツインテールでまとめられた白銀の髪の上にも、フリルのついたヘアバンドのようなものを載せている。

 現代っ子の祝から見れば、なんとも変わった身装である。しかし、それよりもずっと目を引くものが、少女の背中から伸び出でていた。

 

 それは、少女の身丈の三倍の長さはあろうかという、両つの白骨の巨腕であった。

 あまりのいかめしさに、祝はしばし恐怖に駆られた。けれど、その巨腕の手刀こそが、泥塊を両断してくれた正体であることに気づいた途端、少女の美しさも相まって、心の強張りはすぐにほどけた。


 泥塊を見遣れば、賢しげな双眸はちょうど真ん中で切り離されて、口は見事に真っ二つ。愚鈍な口と双眸は、右に二組、左に一組と分かれていた。

 ピクリともせずに固まっていて、生きているのかも、死んでいるのかもわからなかったが、ふいに賢しげな双眸が、居眠りから醒めたかのように分かたれた双眸をパチパチとさせた。

 しかし、いまだ自らの異変に気づいていないのか、右眼で左の断絶面を、左眼で右の断絶面を、寝ぼけ眼のようなぼんやりとした眼色で眺めていた。

 

 愚鈍な双眸たちも同様に、互いの断絶面を呆然とした様子で眺めている。

 そして八つの視線は下へと降りて、足許の切れ間にある、大きな白骨の手刀を見つけるや、

「ぎヒぃッ!」

 と甲走った悲鳴をあげて、二つになった泥塊は、同時に真上へ伸び上がった。

「シしシ、シにガみダぁ!」

「こノしニがミ、いツのまニ!」

「まズい、まズいゾこレぇ!」

 天井へとべチャリとへばりついた途端、少女を見下ろす愚鈍な口たちが、てんでにあわあわと喚きを散らす。

 右の泥塊にあった賢しげな右眼と半分になった口が、埋もれるように消えてゆく。とみるや、左の泥塊に右眼と半分に切られた口が元通りに再生されて、その口から軋るような声が湧いた。

「おまえは……嗛間炎袰ほほまほほろ!」


 それを聞いた祝は、少女を見た。名前を知った途端、無性に声に出して呼んでみたくなった。

「死神の……ほほまほほろ」

 きっと、この世でいちばん美しいひとの名前だーーと祝は思った。

 うっとりと現状も忘れて眺めていると、炎袰の右頬に火傷の跡があることに気がついた。真っ赤にただれて痛々しい。そのうえ、火傷は首にまで続いていて、着物を脱いだら、きっと身体にまで及んでいるんだろうと想像できた。

 とはいえ、その程度の傷で彼女の魅力が削がれるようなことはなく、祝は見れば見るほどに見惚れていた。そこへ、

「なにボーっとしてやがる! とっとと逃げるぞッ!」

 唐突に流暢な口が怒号をあげた。


 それを合図に、ふたつの泥塊が窓に向かって跳躍した。ガラスをぶち破らんばかりの勢いである。


 が、それを追いかける炎袰の巨腕の方が迅かった。 

 窓を目前にする泥塊を片手に一つずつ掴み取ると、

「「ギゃッ!」」

 と、二つ同時に奇声があがる。

 それから、手前へと引き寄せながら果汁でも絞るかのような手つきで握り潰せば、

「「ぐゥえェえ〜」」

 と悶絶する呻きが、指の隙間から漏れてきた。


 白骨の手に力がさらに加わると、人差し指の輪と小指の輪から、にゅるんと泥塊が絞り出され、空中で二つから四つへと分裂した。よく見れば、双眸と口が一組ずつ、それぞれにちゃんとくっついている。


 炎袰は白骨の巨腕をわずかに引いた。直後、左右ともに人差し指と中指を立てて、上段の泥塊ふたつに、突き抜けるほどの目潰しを見舞った。


「ぎィぃイイいヤぁあァァあァぁッ!」

 この世から聞こえてきたものとは思えないほどの怪声がふたつ、重なり合って部屋に満ちた。

 そここそが泥塊の弱点であるらしく、刺し抜かれた血だまり色の瞳が、潰れた生卵の黄身のようにドロリと溶けると、口も一緒に混ぜっ返っててグニャリと歪んだ。

 そうしてベチャリと床へと落下すると、双眸と口はすっかり溶けてなくなって、ふたつの泥塊は本当にただの汚泥おでいに変わり、床のシミとなって絶え果てた。


 仲間がやられているその隙に、残る二つの泥塊が、ふたたび窓へと跳躍した。

 しかし、またしても白骨の巨腕がそれを掴み取り、左手に握られた方の泥塊を、右の壁へと叩きつけた。

 壁にへばりついた泥塊から、

「ぐキゃッ!」

 と不気味な苦叫くきょうが湧いて出た。


 カランと駒下駄の音を軽快に鳴らし、炎袰が宙へと舞い上がった。助走はなく、軽く床を蹴立てただけで、三メートルはあろう天井すれすれの大飛躍だ。

 そのまま壁に貼りつく泥塊の両のまなこへ、両足蹴りでにじれば、怖気たつような断末魔の絶叫が、部屋の隅々にまで轟いた。


 炎袰が、天女のような身ごなしで着地した。カランと駒下駄の音がまた響いたころには、泥塊の双眸と口はすっかり溶けて、壁のシミへと変わっていた。

 残る泥塊は、白骨の右手の中である。


「ひぃえぇぇ」と、指の隙間から聞こえる悲鳴は、流暢な口の声だった。その後にはじまったのは、捲したてるような命乞いだ。

「わわわ、悪かった! この通りだ! もう人間の魂なんて喰ったりしない! 金輪際、近寄ることすら絶対にしない! 誓う! 約束する! 言う通りにする! なあ、聞いただろ? 目ん玉潰されたときのアイツらの悲鳴……俺は、俺だけは……あんな死にかた、絶対に御免だ! あああ、あんな苦しみを味わうくらいなら、飢えて自然に蒸発していく方が、ずっとまだマシなんだ。だから……だから頼むよぉ!このとおりだよぉ!」

 

 必死ではあった。涙声なんて出せるんだなと、感心すらした。けれど、生まれてこのかた、まだ五年とちょっとしか経っていない祝ですら、その場しのぎの空約束に決まってると、と容易く見抜けた。

 それでも、信じてくれよぉ、と泥塊はさらに言い募る。

「ホントに、ホントだ! もう決して、人の魂なんて、喰ったりしねぇ!」

 

 終始冷ややかな眼光でもって泥塊を射抜いてきた炎袰であったが、つと目許を緩めて、にっこりとんだ。

「しょうがないねえ。そこまで言うんだったら、特別に信じてやろうじゃないか」

 甘くて柔らかい、とろける蜜のような声だった。


「えっ?」と泥塊が、双眸をパチクリさせた。あれだけ懇願しておいて、心底以外そうな声である。

 祝は、思わず身を乗り出した。

「そんな奴の言ってることなんて信じちゃだめ——」

 だ、と言い切ろうとした声を押っ被す調子で、

「なぁんてーー」

 と炎袰が、泥塊をぽーんと宙に放り投げた。


 泥塊の双眸が、事態を吞み込めずに大きくまん丸に開かれる。


 その二つのど真ん中へ、白骨の目潰しが電光のごとく突き抜けた。

「言うとでも思ったかい! この、ペチャクチャうるさいクソ泥妖鬼魔どろようまが!」

 美麗極まる少女の口から発せられたとはとうてい思えない、荒っぽい言葉と、ドスの利いた声だった。そのうえ泥塊を見上げるその横顔は、炎すらも凍りつかせるような烈寒れっかんの怒気を孕んでいて、美しいからこそ余計に怖い。


「いぃぃぎぃやあぁぁぁぁぁああああ!!」

 流暢な口は、双眸もろとも溶けて消えるまで呻吟しんぎん叫喚きょうかんを絞り続けた。ただの汚泥になっても、その残響は尾を引いて、しぶとくもささやかな意趣返しのつもりか、自らの瞳を貫いた白骨の指に粘るようにしてまみれつき、最期を遂げた。


 「ったく」っと忌々しげに吐き捨てると、炎袰は巨腕についた汚泥を振り払った。

 床に散ったそれが染みに変わってゆくのを見届けると、祝は膝から力が抜けて、ぺたんとベッド上で尻餅をついた。

(もしかして、僕も殺されちゃうのかも……)


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