第60話 真っ赤な魂
泥塊が、祝と同じ列の窓際のベッドへと歩み寄った。足先にある柵の前で立ち止まると、そこで眠る子供を見下ろし、いくつかの口が涎を垂らした。
降りしぶくような視線を浴びても、子供は一向に起きる気配がない。健やかな顔色で、深く深く眠っている。
泥塊が、子供の身体にのしかかった。子供の胸からいちばん近い口がガバリと開くと、何かを啜り上げるようにして、大きく息を吸い込んだ。
すると、子供の胸から拳ほどの白い炎が浮かび上がった。
祝は、寝たふりしていたこともすっかり忘れて、思わず驚愕に目を剥いた。
その炎は、よく見れば真っ白というほど白くもなく、青や黄色や紫だったりが、ほんのりと色づいた炎だった。
その炎に引き寄せられて、泥塊の視線が、一斉に子供の胸から宙へと上がった。興奮しているのか、血溜まり色の瞳がさらに赤黒くなって、妖しい光を放っている。
炎を子供の胸から引き上げた口が、
「おサき二」
と嬉々とした声で、囁いた。
そして、勢いよく炎にむしゃぶりついた。しばらくのあいだ、味わうように口の中で転がして、それからごきゅりと喉を鳴らし呑み込んだ。
祝は、子供の方へと目を遣った。
健やかに眠っていたはずの子供の顔からは、血の気がすっかり抜けきって、唇は青紫色に変じていた。ふっくらとしていた頬も、心なしかかすかに萎んで、そこに蒼白い翳が差していた。
祝は即座に、
(あの子、死んじゃったんだ……ううん、殺されたんだ)
と、子供ながらに理解した。
炎を呑み込んだ泥塊の口から、「ウえッ」とえずくような声が漏れた。その真上にある眼と眼の間には、深い皺が寄っている。
「アあ、マずイ。ガきノたマしイは、ヤっパりほトんドあジがシねェ」
涎まで垂らしていたクセに、ちょっと意外な感想だった。
しょうがねえだろ、と流暢な口が、宥めるような声で言う。
「俺たちにとっての極上の味ってのは、恐怖や悲しみ、怒りや憎しみが芯まで染み込んだ魂だ。ガキってのは、そういう感情がまだ薄い。だから魂の味だって、薄くて当然だ。だけど、こいつらはほかのガキどもよりかは、いくらかはマシだ。なんせこういう場所にいるガキどもは、悲しみや憎しみをそこそこ知っている奴が多いからな。美味くはないが、まったく味がしないことはないはずだ。それに数もいるから、腹を満たすには手っ取り早い」
そこへ、別の口が割って入った。
「だケどヨぉ、やッぱリおトなノたマしイがクいテぇナぁ。いカりヤかナしミをシっテいル、あジのコぉイたマしイをヨぉ」
また別の口が、調子を合わせた。
「アあ、クいテぇ。そレに、ぜツぼウがシみコんダたマしイはゼっピんダ。ひサしブりニくイてェなァ」
はあ、と流暢な口が、ため息をついた。
「いつも言っているだろう。大人の魂ってのは、身体にすっかり根を張っちまって、俺たちじゃあ吸い上げることができねぇんだよ。殺したところで、同じこと。死んでもなお、しぶとく身体の中に留まろうとしやがる。だから俺たちは、身体とまだ馴染んでいない、ガキどもの魂で我慢するしかねぇんだよ」
さあ次だ、とっとと喰ってずらがろう、と、だんだん苛立たしげな口振りへと変わって、
「じゃなきゃ、死神どもに見つかっちまうぞ」
と、口を苦々しげにひん曲げた。
途端、ほかの三つの口が、一斉にひゅっと息を引いて、ぶるるんと身体を震わせた。怯えているかのような仕草である。
それっきりお喋りはすっかり止まって、泥塊はまた、べちゃり、べちゃりと、隣のベッドへと歩き出した。
足先の柵の前でひたと止まると、泥塊はふたたび子供の上にのしかかった。
やっぱり子供に、起きる気配は一切ない。
「つギはオれダ」
さっき魂を喰らった口とは別の口が宣言して、子供の胸の真上へと移動した。口を開け、大きく息を吸い込んで、真っ新で真っ白に近い魂を、子供の身体の外へと引き上げる。
それを宣言した口が喰らいつき、一気に喉を鳴らして飲み込んだ。
魂を食べられてしまった子供の顔は、先ほどの子供同様に血の気を失い、蒼ずんだ翳にくまどられていた。
泥塊は子供の身体から身を起こし、次のベッドへと歩を進める。
そこは、祝の隣のベッドであり、その上で眠っているのは八尋だった。
(どうしよう……八尋ちゃんが、八尋ちゃんが……!)
薄目でそっと見上げれば、先ほど魂を喰らった口が、大きなゲップを吐いていた。その下劣極まりない音を聞いて、祝の全身に悪寒が這った。
八尋の足許まで辿り着いた泥塊が、八つの眼で一斉に彼女を見下ろした。
(助けなきゃ! じゃなきゃ、八尋ちゃんの魂が食べられちゃう……)
わかってはいる。だけど、恐怖が祝の身体を固く冷たく縛りあげる。
(誰か……誰か助けて!)
八尋にのしかかるべく、泥塊の身体が斜めに傾ぐ。
が突如として、その身体がぴくりともせずに凍りついた。四つの口と八つの眼からも、一切の表情がかき消える。
いや、違う。泥塊は、八尋の中にある何かを食い入るように見つめていて、いつの間にか血溜まり色の瞳の中にある黒く細長い瞳孔が、大きくまん丸に散大していた。
「オい、コのガきノたマしイ、なニかオかシい」
「アあ、オかシい。イよウにアかイ。コんナたマしイ、オとナのモのデもミたコとガなイ」
「こレっテ……たマしイなのカ? ホのオみタいニまッかッかダ」
三つの愚鈍そうな口から、こもごも声が飛び交うなか、賢しげで流暢な口だけは、その口を固く結んで、八尋の胸の奥を黙然と凝視し続けていた。それからひとつ、ふたつ、息を継ぐと、
「こいつは、驚いたな」
と、唸るような声で言った。
「このガキ、死神の隠し子だ。噂には聞いていたが、この目で見るのは初めてだ」




