第56話 禁忌の子
(ざまあみろ!)
祝は、会心の笑みをのぼらせた。しかし、その笑みはすぐにぴしりと音をたてるようにして強張った。
聞こえてくるのは、耳を塞ぎたくなるほどの苦叫と、獣のような喚き声。さらには、身悶え、のたうち回り、狂乱しているであろう惨憺たる様が、カーテン越しても見て取れた。
「あ……ああ」
八尋が逃げるようによろめき、その背中を支える祝の全身も粟立った。
二分ほど経ったころだろうかーーカーテンの中から、苦悶する呻きとともに、キィン、キィン、と金属同士のかち合う音が響いてきた。どうやら緋緋色金で濡らした手で、燐太郎が長槍の矛先を叩き割っているようだった。
祝たちが見守るすぐ目の前で、長槍の矛先が一本、二本とへし折られた。そして、カーテンをめくって這い出でた者を目の当たりにして、祝は身の毛をよだてて、今度こそあれは燐太郎なのかーーと疑ってしまった。
ガクガクと全身を震わせながら立ち上がったそれは、もうあどけなくも美少年だった死神ではなく、なんとなく人の形をした、腐りきった肉であった。一歩ずつこちらへと近づくたびに、青錆色に変色した肉が、ボトリボトリと床へと落ち、いたるところから白い骨が覗いている。髪の毛は頭皮ごとめくれてみるみる抜け落ち、垂れ下がった右頬からは、頬骨と充血した眼球が剥き出ていた。
とてもじゃないが直視できない光景に、祝と八尋は一歩、二歩と後ずさる。
肉を溶かしながら、燐太郎がその後を追う。そして、唇が剥げ落ち、歯茎だけとなった口を開いて絶叫をあげた。
「しししし、死神の隠し子が、ここ、こんなことをしてぇ、許されると、お、思うなよぉおッ!」
あまりにもおぞましい姿に圧倒されて、祝はただ、立ちすくむばかりだった。
そこへ、八尋が祝の手からつと離れ、おずおずと燐太郎へと近づいて行った。
「お願い、教えて。死神の隠し子って……いったい何なの?」
燐太郎が、かちかちと歯を鳴らしながら、八尋へ射抜くように指差した。
「おおお、おまえたちの母親は、も、もっと早くに、死ぬはずだった……」
「ーーえ?」
なぜ、そんなことを知ってるの? と言いたげに、八尋が目を見開き、祝もまた驚愕に目を剥いた。
「わ、若くして寿命を完うするはずだった人間のなかで、ほ、ほんの稀にぃ、なな、何年も生き存えるものが、いる。ししし、死神が心を奪われ、死なすには惜しいと、魂の回収を先延ばしにされた存在、だ。そそ、それこそが貴様らの母親であり、こここ、子供なんて授かるはずもなかったのに、そ、その運命を我知らずに変えた人の子たちだ。そそそ、そうやって生まれて来たのが、貴様らだ。この世に生まれてくるはずもなく、生まれてきてはいけない禁忌の子……」
だけど……と続く声から、怒りが消えた。
「死神に愛された奇跡の子。それが、おまえたちだ」
染み入るような声ではっきりと言うと、燐太郎は、腕を伸ばせば八尋の顔へと届く距離にまで迫っていた。
しかし、八尋は逃げもせず、ひたと燐太郎の瞳を覗き込んでいた。
「それじゃあわたしたちは……死神のおかげで生まれてきたって言いたいの?」
燐太郎が、ああ、そうだ、と震える顎でうなずいた。そして、とうとう八尋の顔前へと差し迫ると、
「なのに、天瑞鏡なんぞのために、俺たちを殺すなんて……この恩知らずの、間抜けどもぉおおおッ!」
と、怒りの断末魔を吹きつけた。
しかしその直後、唇を失った口の端が、ほんの少し吊り上がり、そこから喘鳴混じりに、
「けど……」
と囁く声が漏れた。
「黄泉津大神の鋭爪でありながら……人のために身を焦がし、魂を切り分けてまで、子供をつくった俺たちの方が……よっぽど間抜けだ」
そう言うと、燐太郎は頭蓋骨までもを剥き出しにして、八尋の足許でひしゃげるように崩折れた。
「いつかこうなる日が来るって……わかってたのに……」
その言葉を最期に、死神•池鯉鮒燐太郎は絶命した。
地を這って届いたその声は、不思議なほどに、どこまでも優しく穏やかだった。
◇◆◇◆
異臭と死臭の漂うなか、祝と八尋は陰惨きわまる燐太郎の遺体から、ただ眼を逸らすばかりだった。
しかし、その遺体が灰へと変わり、その中から魂が飛び出すと、途端に祝は目の色を変えた。八尋を押し退け駆け寄ると、天瑞鏡の破片を探すべく、必死に灰の中を掻き分けだした。八尋から、ひどく不謹慎な者を見るかのような眼差しを注がれようが、まったく気にすることなく灰を掘る。
「ねえ、祝。わたしたちって、この子が言っていたとおり、本当に死神の隠し子ってやつなのかしら……」
そう八尋に問われて、祝は、一瞥もくれずに言い捨てた。
「あんな話、信じんな。俺たちを油断させるためのただの虚言だ」
それから天瑞鏡の破片を見つけ出すと、瞳を爛々と輝かせ、むしゃぶりつくような勢いで拾い上げた。
「本当に?」
八尋が、重ねて問うた。
「死神の隠し子について話してくれたとき、もうあの子は、すでに死ぬ寸前だったじゃない。そんなときにまで、わたしたちに嘘をついて油断させる必要なんてあるかしら?」
「……」
祝は、何も答えない。破片を鏡面から背面へとひっくり返して、食い入るように見つめ続けるばかりだった。
「それに、おまえたちの母親はもっと早くに死にはずだった、って言ってたでしょ? わたしの実の母親は、きっともうこの世にはいないはず。どうしてそんなことを知ってたの?」
「……」
「人のために身を焦がし、魂を切り分けてまで、子供をつくった……それって、いったいどういう意味?」
「……」
八尋がどれほど問いを重ねようが、祝はいっさい取り合おうとしない。穴が空くのではと思うほどの眼差しで、ひたすら破片を見つめていた。
すると、背面に刻まれた呪文のような文字が、にわかに蒼白く光りはじめた。
(これだ!)
狂喜が、祝の全身を駆け巡る。この幽けき光りに照らされていると、破れた心から流れていったものが、途端に満たされてゆくようだった。
チラリと八尋の顔をのぞき見れば、やはり彼女にはこの光がまったく見えていないようで、祝はこっそりと安堵した。
最初のころは、なぜ自分にしか見えないのか、そもそもこの光の正体はなんなのかーーと不思議に思ったものだった。しかし今となっては、自分にしか見えないことに優越感を覚え、果てには、おまえは選ばれたのだ、天瑞鏡を手にするに相応しい人間なのだ、と称賛されている気にすらなった。
そんな甘美な心地に浸されると、八尋の声なんて、幻であるかのように遠くなる。
「あと五つだ……残り五つで、天瑞鏡が完成する」
祝はうっそりと呟き、ほくそ笑んだ。
しかし、天瑞鏡の破片から放たれる光が消え去ると、却って心の渇きはいっそう増した。火に惹き寄せられる蛾のように、天瑞鏡を宿す死神たちへの妄執と殺意が、満身にどす黒く渦巻いた。
「死神どもは、ひとり残らず皆殺しだ死神どもは、ひとり残らず皆殺しだ」
口から溢れたのは、またしてもあの錆帯びた冷たい声だった。
それを聞いた八尋の顔が、みるみる青くなってゆく。
「ねえ、目を醒ましてよ祝! あなた、その破片を手にしてから、ずっと様子がおかしいわ……いったい、どうしちゃったの!?」
腕を掴まれ、揺さぶられようが、祝はやはり取り合わなかった。頭の中はもう、天瑞鏡と死神への殺意で一杯だった。




