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死神の隠し子  作者: 沖延龍弥


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第37話 八尋の闘う理由

 薄雲の隙間から覗く細い月が、海童邸をあとにして、黙々と歩く祝と八尋を見下ろしていた。

 豪邸ばかりが建ち並ぶ閑静な住宅街は、行き交う車も高級車ばかりだ。今しがたすれ違った散歩中の犬も、見るからに血統書付きの変わった毛並みで、祝よりも堂々と歩いていた。


 その犬と飼い主が遠くへと過ぎ去り、辺りに誰もいないことを確認すると、祝はにわかに立ち止まった。

 それに気づかない八尋が、先を行く。その背中に向かって、「八尋」と真面目くさった声で言った。

「おまえは、明日は行かなくていい」


 立ち止まった八尋が、しばしピクリとも動かなくなった。かと思いきやおもむろに振り返り、一切の表情を削ぎ落とした顔を祝に向けた。

「死神殺しのこと?」


 そうだ、と祝はうなずいた。

「前にも言ったけど、おまえには闘う理由なんて一つもないだろ。死神をすべて斃して天瑞鏡を手に入れたって、願いを叶えられるのは、俺ひとりなんだ」

 おまえには、何の得にもならないだろ、と頑として八尋を睨みつけた。


 実はこの十日間、天瑞鏡がどんな願いでも叶えられるというのなら、違う願いでもいいんじゃないかーーなんていうよこしまな考えが、何度も祝の頭を過っていた。有り体にいえば、巨万の富や、ゆるぎない名声、それに芸能人顔負けのイケメンにだってなってみたい。

 なぜだか瀬城は、母である此葉を救うことが祝の唯一の望みであると思い込んでいる節がある。が、そんなワケない。

 多寡はあれど、欲望に駆られない日なんてない。

 しかし、いま祝が何よりも見たい景色は、札束の山や羨望に満ちた眼差しよりも、此葉の死ぬときを今か今かと待ちわびている親戚連中の、悔しさに引き歪んだ顔だった。

 そして願わくば、奴らのなかで大病を患う者が現れたとき、全快した此葉とふたりで、そいつの顔を見下ろし、嘲笑わらってやりたい。しょせん、おまえたちのような卑しい奴らに、奇跡など起こせやしないんだと、腹の底から思い知らせてやりたい。

 

 それからもう一人ーーいや、もしかしたら誰よりも思い知らせてやりたい人物が、祝にはいる。


(おまえだよ……八尋)

 

 小さいころは、いつも自分を追いかけまわしては、縋ることしかできない少女だった。いつも何かにビクビクと怯えて、自身の影に悲鳴をあげるほどの腰抜けだった。

 それが、院長令嬢になった途端、出来の悪い弟を見るような目で、要らぬお節介をやいてくるこの幼馴染を、祝はどうしても見返してやりたかった。おまえなんていなくても、俺ひとりで母さんは救える。お嬢様の憐れみなんて、必要ないんだと思い知らせてやりたかった。

 

 だから死神殺しに、彼女が加わってもらっては大いに困る。どデカい借りを、また一つ作ってしまうことになる。

 

 しかし八尋は、「そんなことない」と決然とした目で、祝の主張を押し返した。「わたしにだって、闘う理由はちゃんとある」


 はあ? と、祝は露骨に顔を顰めた。

「何だよ、それ。まさかこの国を救うこと、なんて言わないだろうな?」


「それも、もちろん理由の一つよ」

 言いながら、八尋はうなずいた。「だけど、もっと大事な理由が、ほかにもあるわ」


「だから何なんだよ、それは!」

 祝は、イライラと重ねて問うた。


 すると、急に八尋が両手の拳を握りしめた。満面は、今にも怒鳴りだしそうな、それでいて泣きだしそうな、なんなら怒りも悲しみも通り越して、半ば呆れているかのような色で滲んでいる。


「な、なんだよ」

 祝は、思わずたじろいだ。

 

 八尋は目を一度伏せて、独り言のようにつぶやいた。

「そんなの決まってるじゃない」

 それから、きっと祝を睨みつけると、絶叫とばかりに声をぶつけた。

「いちばん大切な人が、命を懸けて闘おうとしてるんだから、護ってあげたいって思うじゃないッ!」


 あまりの迫力に、祝は一歩引いて仰け反った。


 八尋の顔が、みるみる赤くなってゆく。それでもその顔色を隠すことなく、さらに続ける。

「それが、わたしの闘う理由よ! ダメだって言われてもついていくからッ!」

 言うや、これでもかともう一度祝を睨みつけ、踵を返して、もと来た道を歩きだした。


 祝はただ固まって、肩で風を切って帰ってゆく八尋の背中を見つめていた。


 いつのまにか雲は去って、星のない夜空に月がぽつんと浮いていた。

 新緑の香りの混じる夜風が鼻先をくすぐり、吹き抜ける。

 

 腰を曲げた高齢の男性が、杖をついて祝を後ろから追い越した。ちらっと訝しげに振り返られても、祝はいまだ仰け反ったままで微動だにしない。

 

 その老人が、えっちらおっちらと歩いていって、米粒程度の大きさになったころ、


「マジかよ……」

 と、ぽつりと呟いて、ようやく上半身を引き上げた。

「いや、でもそうか……そういうことだったのか。なんで今まで気づかなかったんだよ、俺……」

 自分の影に向かって、ぶつぶつ言うと、八尋はとっくにいないとわかっているその道に、それでも彼女を探すかのような目を投げた。


「あいつ、瀬城先生のことが好きだったのかよ……」


 ツッコミ不在の夜道で独り、祝はいたって真面目に呟いた。


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