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死神の隠し子  作者: 沖延龍弥


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第36話 家族


 次の日の放課後ーー祝は此葉の見舞いに、帝徳大学病院を訪れた。

 

 此葉の容態は、とりあえずではあるが小康状態に落ち着いて、今はICUから元の個室で眠っている。とはいえ、昏睡状態で目醒める気配のない顔色は、以前と変わらず氷漬けにされているかのように蒼白く、今にも砕け散りそうなほどに儚くあやうい。


 薄暗くひっそりとした部屋の中で、スツールに腰掛けながらそんな母親の横顔を眺めていると、祝の胸は息苦しさを覚えるほとに締めつけられた。

 同時に脳裏に蘇ったのは、またしても此葉の義姉たちの忌々しい高笑いだった。


 心の破れ目が、また広がった。そこから、滴滴と血のような液体が流れ落ちて、何で潤してよいのかわからない乾きで、ヒリヒリと疼いた。


「待っててくれ。俺が必ず母さんを救ってみせるから」

 縋るように囁きながら、痩せ細った此葉の手をそっと握った。「そんで、二人でアイツらを見返してやろう。母さんが死んで喜ぶようなあのゲスどもを、今度はこっちが嗤ってやるんだ」

 思いがけず、しゃがれて濁った声となって、自分でもちょっと驚いた。


 ふいに、此葉の栗色の髪の毛に結ばれた、一本のリボンに目がいった。

 一瞬ーーそう、ほんの一瞬、こちらへと手を伸ばすように、ゆらゆらとはためいたような気がしたのだ。

 そのリボンは、白地に朱色の格子柄。髪も、顔色も、入院着も、ほとんどが淡く消え入りそうな色で構成されている彼女の差し色の役目を担い、思えば祝が物心つく以前から、ずっと一つくくりに結ばれていた。


 風はない。どこの窓も開いていない。だったら、ゆらゆらとはためくはずはない。

 だからもう一度リボンに目を戻して、気のせいか、で終わらせた。


 それから此葉の手を離し、「また来るから」と言い置いて、祝はそっと部屋を出た。


 エレベーターが上ってくるのを待つあいだ、次の予定を思うと溜息が出た。

 このまま真っ直ぐ家に帰って、お気に入りの配信者の動画でも見ながら買い置きのラーメン啜って、風呂入って寝たい。だけど、アイツが許さない。

「めんどくせぇ」と、独り言が思わず湧いた。

 

 ピンポーンとエレベーターの扉が開くと、祝は背中を丸めて、とぼとぼとそれに乗り込んだ。




◇◆◇◆




 いつ見てもスゲェなーーなんて思いながら、祝はいつまでたっても見慣れない瀟洒な豪邸を仰いでいた。

 八尋の自宅である海童わたつみ邸だ。

 高級住宅街のなかでも特に際立った豪邸で、和モダンな外観が洒落ている。

 正面の端にあるガレージは、車一台分と二台に分かれていて、見たことがないから定かではないが、一台分のガレージだけでも、祝が暮らしてる六畳間のアパートより、きっとはるかに広いはず。


 インターホンを鳴らしてしばらくすると、重厚な門扉から電気錠の外れる音がした。

 それをくぐると、玄関までのアプローチがまた長く、大理石張りの小道がドアの前まで続いている。その小道を取り囲んでいる庭は、公園と言ったほうがしっくりくるほどに広大で、敷き詰められた芝生は、丁寧に刈り整えられていた。


 祝がようやく玄関に辿り着いたところ、それを見計らったかのように扉が開いた。

「いらっしゃい」と、中から八尋がこの豪邸に似つかわしい、洗礼された笑みを覗かせる

 

 祝は、「うん」とも「ああ」とも取れる気の抜けた声を返して、招かれるがままに中へと入った。出されたスリッパに履き替えて、長い廊下を先行く八尋についてゆく。


「ママったら久しぶりに祝が来るからって、晩御飯の用意、すっごく張り切ってたの」

 八尋が、笑みを深くして振り返る。


 祝はまた、「ふぅん」とも「へぇ」とも取れる、短い声を返すだけ。


 吹き抜けのリビングに足を踏み入れると、隣にあるダイニングルームが見えてくる。

 現代的なデザインのシャンデリアが、十人掛けのテーブルに、シャンパンゴールドの光を注いでいる。

 

 新聞を読みながら、ひとり上座に座る男がいた。祝に気づくと、その男は新聞から顔をあげ、目許を皺ばませて微笑んだ。

「やあ祝くん、いらっしゃい」

 八尋の父•海童晃正わたつみあきまさだ。身だしなみよく整えられた髪の毛はロマンスグレーで、眉毛にもチラホラ白いものが混じっている。過去の苦労と努力によって彫られたものか、目頭から頬にかけての皺は深い。

 八尋と並べば、父親というよりも祖父に間違えられることの方が多いはず。しかし、決して年寄じみた印象はなく、威厳と気品に満ちた中老の紳士だ。


 キッチンから、料理の載った皿を運ぶ女性が現れた。八尋の母•海童幸恵わたつみゆきえだ。

 彼女もまた、母というよりも祖母に間違えられることの方が多いだろう。それでも、若いころはさぞかし引く手あまたであったであろう美貌を色濃く残す淑女である。


「久しぶりね、祝くん」

 幸恵が、にっこりと微笑みかける。「今日は腕にりをかけたから、たくさん食べていってね」


 祝は、晃正と幸恵のちょうど真ん中あたりの位置で、深々とお辞儀した。

「おじさん、おばさん、お邪魔します。いつもご馳走になって、すみません」

 学校では出さないような、努めて明るい声で言う。なにせ彼らは、帝徳大学病院の院長と、その妻だ。此葉の治療費と入院費が免除されているのは、すべては彼らのおかげなのだ。


 そして、幼馴染を助けてほしいと両親に哀訴したのが、ほかでもない八尋であり、それ故に、

「今日くらいは、ちゃんとしたご飯たべて栄養つけなきゃ。うちで用意してるから、絶対に来てね」

 待ってるから、と放課後にびしりと念を押されれば、祝に断る選択肢はなく、しぶしぶ足を運ぶ破目になった。


「また、そんな遠慮して……さあ、座って座って」

 晃正が、手のひらで向いの席を差し示した。

 

 幸恵がその椅子を引いて、目顔で祝を招き寄せる。

「祝くんなら、毎日だって大歓迎よ。食べ盛りの男の子がいると、おばさんも料理のしがいがあって楽しいの」


 祝は、またぺこりと頭を下げて席に着いた。

 その隣に八尋が座り、向かいに幸恵が座って、優雅な食事会は始まった。


「それにね、祝くんがいてくれた方が助かるのよ」

 悪戯っ気の含んだ声で、幸恵が言った。「八尋ったらトマトが大嫌いでね、普段は絶対に残すクセに、祝くんの前では何食わぬ顔して食べるのよ」

 それがお可笑しくって、とくすくす笑うと、八尋の顔が真っ赤に染まった。

「やだっ、ママ。どうして言うのよぉ」


 晃正も一緒になって笑い出すと、場はいっきに和やかな空気に満たされた。

 祝も、とっておきの愛想笑いを貼り付ける。面白くも何ともなかったが。


 それから、「高校生活は楽しいかい?」やら「お友達はできた?」やら「部活には入らないのかい?」やらと尋ねられ、失礼にはならないように精一杯に気を遣いながら、答えを返したり相槌をうって食事を進めた。


 食後のデザートは、幸恵お手製のフォンダン・オ・ショコラだ。焼きたてよ、と幸恵がデザートナイフとフォークも一緒に並べてくれた。


 祝は、ぎこちなくそれを手に取った。ちらりと隣に目をやれば、八尋がそのフォンダン•ナンチャラを優雅な手つきで口に運んでいた。もうすっかりお嬢様が、板についている。


 祝を除いた三人は、幸せを謳歌する紛れもない家族だった。そして祝は、自分の異物ぶりを思い知らされ、笑みが強張る。

 

 八尋に倣ってスポンジの部分を割ってみると、中からドロっとしたチョコレートが流れ出て、白い皿に広がっていった。祝はそれをどうやって食べればいいのかわからなくて、しばらくのあいだただじっと眺めていた。


「ああ、もうこんな時間か」

 ようやくすべてを平げて、紅茶も飲み干すと、祝は時計を見てあからさまに驚いてみせた。何時だろうが関係ない。

「そろそろ帰らないと」と、さも残念がっているかのように眉尻を下げると、

「あら、そう……」と幸恵が名残惜しそうな声をあげた。


「またいつでも来なさい」晃正が、爽やかに笑いかけてきて、祝も渾身の作り笑いで頷き返した。

 

 ごちそうさまでした、と恭しく言って席を立ち、一礼してダイニングルームをあとにすると、

「途中まで送ってく」と八尋が両親に告げて、追いかけてきた。


 いつもなら夫妻に気づかれないよう、しっしっと追っ払うところだが、今日だけは何も言わずについて来させた。

 彼女には、今日中に言っておかなくてはならないことがあるからだ。

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