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死神の隠し子  作者: 沖延龍弥


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第35話 もう時間はない

 祝は三十メートルほど離れた場所で立ち止まると、瀬城に向かって、「いくぞー」と意気揚々に木の枝を振った。


 瀬城も、及び腰ながらも軽く手を挙げ、それに応える。


 祝がニヤリと笑って、空高く木の枝を舞い上げた。

(ここまで届けば、上出来ってとこかな)

 そう思いながら目を戻すと、瀬城が大きく振りかぶっているさなかであった。

 

 それを見て、祝は呼吸を詰まらせた。

 

 冷炎の如き迸る気勢が、瀬城の全身から立ち昇っている。狙いを定める鋭い眼光が、三十メートル先からでも見て取れる。


 思わず、祝は後ずさった。


 直後、瀬城が猛然と右腕を振り下ろした。

 飛び出した三条の三日月刃は、目が痛いほどの光を放ち、祝が今日最後に放ったそれよりもさらに大きく、さらに速く、夕風を切り裂き押し寄せた。


 祝は竦みあがり、唸り過ぎる刃風(はかぜ)を全身に浴びた。

 同時に、パキッと木の枝の折れる乾いた音が、頭の上から降ってきた。

 両断された木の枝が地面に転がり、こわごわとそれを横目で確認すると、祝は慌てて後方へと首をねじった。

 

 遥か遠くに、役目を終えながらもなお西の空に向かって走破する刃がかすかに見えた。やがてそれは光の粒となって、斜陽に溶け込むように消えていった。


 祝は、瀬城のいる方へと顔を返した。


「まぁ、こんなもんかな」

 耳に聞こえたわけではないが、腰に手を当てながら動かしている彼の口は、そう言っているに違いなかった。

 先に習得したはずの自分の三日月刃を優に超える凄烈な刃に、祝は頭に湯気をたてて絶叫した。


「ふざけんな! 人のこと異常だとか言っておいて、自分はバケモンじゃねえか!」


 瀬城は、ばつが悪そうにポリポリと頬を掻いている。


 なんだ、やっぱりただのお世辞だったのかーーと、祝は思った。神通術を習得してからというもの、自分でも驚くほどの進化を感じていた。が、すべては瀬城のおだてに乗せられ、その気になっていただけのようである。模倣をしているはずの瀬城の方が、自分よりもはるかに凄まじい豪刃を放ってみせたのだ。やっぱり自分は能無しだ。


(結局、俺は何やってもダメダメってワケか……)

 祝は、がっくりと肩を落とした。しかしその反面、従来の自分と何も変わらないことに、ふっと安堵の笑みも零れた。

 

 それでも悔しさは拭いきれず、祝は唇を尖らしながら瀬城たちのいる場所へと歩きだした。

「それで、明日からは何すんの、先生」

 ふてぶてしく尋ねてみると、瀬城が、そうだね、と明後日の方に目を上げて、少し考える素振りを見せた。

「八尋ちゃんの神通術のお披露目も済んだことだし、明日からはーー」

 と言い切る前に、はっと何かに気がついたらしい。


 それは、ここにいる全員がそうだった。耳に素早く手を当てて、鼓膜のさらに奥から響く声に、意識は完全に奪われた。


 赤ん坊の声である。悶えるような、喘ぐような、今にも声を張りあげ、泣き出しそうな愚図る声。

 荒ぶる神の子ーーカグツチの嘆きだ。


 直後、大地が揺れて、響動どよめいた。

 

 狛犬姉弟が、カグツチを隠している本殿の中へと、一目散に駆けてゆく。瀬城が狛犬姉弟の後を追い、その背中を祝と八尋が追いかけた。


 薄暗闇の本殿の中は、梁から舞い散るほこりでうすぎぬに覆われているかのようだった。

 朽ちた柱がぐらぐらと揺れ、亀裂の走る音が部屋に満ちる。


 カグツチは、鬼灯の中で忙しなく手足をばたつかせていた。

 日暈が鬼灯へと駆け寄り、抱き上げた。あやすように揺すって、

「大丈夫ですの。心配せずとも首はもうすぐ戻るですの」

 と必死にカグツチ へと囁いて、月暈は今は不在の顔に向って、いないないばぁや、べろべろばぁで懸命にご機嫌を取ろうとしている。


 しかし、それでも、カグツチ の愚図る声は止まらない。大地は沸騰するように鳴動し、軋む家鳴りが、倒壊の前兆にも聞こえる悲鳴じみた音へと変わった。


「こっから出よう!」

 居ても立ってもいられなくなって、祝は叫んだ。

 しかし、二匹の想いがようやく通じたのか、暴れるカグツチ が、徐々に落ち着きを取り戻しはじめた。

 小さな手をぎゅっと握りしめ、涙を流すまいと赤ん坊なりに耐えようとしてくれているのか、イヤイヤと愚図る声は、愛くるしいしゃっくりへと変わっていった。


 それに同調するように、地震も次第に小さくなってゆく。

 すっかりカグツチ の声が聞こえなくなると、舞い散る埃だけを残してピタリと止まった。


 よしよし、いい子ですの、と日暈が鬼灯を優しくさすった。

「この者たちが、必ずや死神どもを殲滅し、主様の首を取り戻してくれるですの。ゆえに、もうしばしの辛抱をば」

 まろやかな声で語りかけると、赤ん坊は安心したのか、固く結んでいた両手はやんわりとほどかれ、強張っていた全身もゆるりとほぐれてゆくのが見て取れた。

 それから身体を丸めると、また眠りに入ったようであった。


 日暈が、鬼灯をそっと床へと降ろし、二匹はふぅと息を吐きながら、額に浮かんだ汗を手の甲で拭った。

「もう大丈夫ですの」

「ですぞ」


 そう言われても、到底大丈夫だとは思えなかった。

 祝がカグツチの脅威を初めて目の当たりにした、あの診察室での地震から今日までの九日間、カグツチは決して温和(おとな)しく眠り続けていてくれていたわけではなく、二度も地震を引き起こしていた。

 

 一度目は、丁度いまから一週間前ーー祝と八尋が二限目の授業を受けている最中だった。

 二度目は、三日前の深夜ーー祝たちだけでなく、関東のほぼ全域の人々を寝不足にした。

 地震の頻度は確実に増し、震度もさらに大きくなっている。

 テレビを点ければ、どこのチャンネルも富士山の話題でもちきりだ。専門家が言うには、地震の震源地は、やはりすべてが富士山の真下であり、しかも震源地の深部が日ごとに浅くなっているらしい。それはマグマが上昇している証であり、今はまさに、カウントダウンの最中だとか。


 避難は時期尚早と言っていた気象庁も、とうとう富士山周辺の自治体へ防災対応支援チームを派遣して、身体の不自由な市民を優先に、被害想定区域外の宿泊施設と病院への避難誘導を開始した。

 

 もう、時間はない。

 

 ようやくこの国の政府も、気づいたようだった。

 

 未曾有の災禍は、すぐ目の前だ。

 祝も、改めて芯から思い知る。


「予定を変えて、明日は休息日にしよう」

 眦を決して瀬城は言った。「二日後の夜、死神殺しを決行する」


 そして、「祝くん」と真っ直ぐにこちらを見据えて、さらに言った。

「お母さんのために、一緒に頑張ろう」


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