第30話 日暈のスパルタ
「さあ、いつでも来いですの!」
日暈が、いま一度構えを整えた。
「ああ、そうかよ」祝は唸った。「泣きべそかいても知らねえからな!」と、吼え切るよりも早く地を蹴って、日暈へ勢いまかせに飛び掛かった。
こうして、猛特訓の幕が開けた。
そして、五秒も経たずにケリはついた。
一発で伸してやろうと、前のめりで腕を振りかぶるも、そのガラ空きの顔面に、すれ違いざまの面打ちが、まず一発。間髪容れずに背後に回られ、左の膝裏に容赦ない薙払いが打ち込まれると、祝の左頬があっという間に地をついた。
「う、そだろ……」
祝は、口の中に入った砂利を噛み締め、つぶやいた。
「さあ、早く立つですの!」
日暈が、倒れ伏したままの祝に怒号をあげた。そう、ケリはついたが、猛特訓は始まったばかりである。
祝は立ち上がって、「くッそッ」とうめいた。
日暈はすでに、応戦の姿勢で待ち構えている。
祝は、地に足を食い込ませた。目は、完全に血走っている。
「ちょーしに……」とうっそり言って、「乗んじゃねぇッ!」と叫びつつ、ふたたび日暈へと躍りかかる。
で、その日――祝は陽が沈み切るまで滅多打ちにされ、日暈に触れることすらできなかった。
疲労と痛みで立つことすらできず、月暈と一緒にいた八尋に肩を借りると、
「憶えてろよッ!」
と喚き散らして帰路についた。
次の日も、日暈による組み手の猛稽古が待っていた。今日と明日は土日であるため、敵の動きの読み方、間合いの取り方、瞬時に反撃に転ずるための身の躱し方、いちばん危険の少ない懐への飛び込み方——と、一日中痛みでもって叩き込まれた。それはもう、祝に対する鬱憤を晴らしているのでは、と思うほどに。
そしてその日も、自力で立ち上がることすらできず、八尋に抱えられて帰る破目となってしまった。
さらに次の日の日曜日。この日も日暈のスパルタ精神が猛威を振るった。
朱く滲む夕陽を背負って、今にも倒れそうな祝に日暈が呆れたように口をつく。
「はっきり言って……おぬしは筋が悪いですの。と言うより、最悪ですの」
「あ、あんだとぉ?」
祝は肩で息を刻みながら、なんとか目だけで凄みを効かせた。
「なんど言っても、こちらの動きの読みは的外れなうえに、間合いの詰め方もやけっぱち。殺してくれと言わんばかりに突っ込んでくるばかりで、まるで猪を相手にしているような気分ですの」
肩を竦めて、日暈は言う。
「う、うっせえなっ!」祝が、負け惜しみの毒を吐く。「好き勝手に殴ってくるばっかりで、おまえの教え方が悪いんじゃねえか! もっとほかにやりようがあんだろ、クソ妖怪っ!」
妖怪じゃないですの! と、すかさず返してくると、祝は思った。が、その読みも的が外れた。
日暈はしばらく何も言わず、しげしげと観察するかのような目で祝を見て、
「されど、おぬし――」
と、神妙に言った。
何だよ、と祝は眉間を狭める。
「それだけ言い返せるなんて、ずいぶんと元気そうですの」
「元気じゃねーよ!」
祝が、間髪容れずに言い返す。「おまえが一日中遠慮なく竹棒で殴ってくるから、もう立ってるだけで精一杯だっつーの!」
叫び散らす祝に、日暈が訝しげな目を返す。
「昨日の今ごろは、地面にぶっ倒れたまま立ち上がることすらできなかったはずですの」
え? と祝は、きょとんとした。たしかに昨日の今ごろはといえば、疲労困憊で身を立たせることすらできず、八尋が迎えに来てくれるまで、地面に背をつけ、沈みゆく夕陽を眺めていた。
「そのうえ、昨日よりもはるかに敏捷さが増したように見えるですの。その証拠に、筋の悪さは相変わらずなのに、わっちゃの攻撃を躱せた回数は、昨日よりも段違い」
そのうえおぬし――と、日暈が目の光を鋭くさせた。
「反撃の機会すらあったにもかかわらず、わっちゃに気を遣って、一度も拳を振るおうとはしなかった」
わっちゃが気づかないとでも思ったですの? と、ジロリと睨まれ、祝は思わず目を逸らした。バレてたか。
確かに昨日は、当てずっぽで体をずらして、たまたま日暈からの攻撃を躱すようなこともあった。ところが今日は、彼女の動きが昨日に比べて間緩く見えて、拳を見舞おうとすればできる場面が何度もあった。しかし、いざ殴ろうとすると、そのいたいけな見た目に怯んでしまって、つい拳を引っ込めてしまった。で、その隙を容赦なく衝かれてぶっ叩かれる――ということの繰り返しだった。
しかし、祝はてっきり、それは日暈の疲労が溜まっていたせいだと思っていた。彼女だってこの三日間、ずっと祝の猛特訓に付き合っていたのだ。疲れていないわけがない。だから自分に反撃の余裕ができたのは、あくまでも相手のキレが悪くなったせいだとばかり思っていた。が、本人はどうやら違う見立てをしているようで、またぞろ観察するかのような目で祝を見ていた。
だから、少しばかり気まずくなって、
「ま、昨日までは手加減してやってただけだっつぅの。おまえがあまりにも調子に乗るから、今日からはちょっとだけ本気出してやったワケよ」
と、嘯けば、
「て、が、げ、んー?」
と、日暈が口の片端をヒクヒクさせた。
「それは、それは――昨日までのあの雑魚っぷりが、まさかわっちゃへの手心であったとは。あんなにボコボコにされてまで気を遣わせていたなんて、申し訳ないことをしたですの」
でも、まあ、と薄笑いをくゆらせて、
「明日からは、瀬城がおぬしに稽古をつけるつもりでいるですの。おぬしの本気、とくと見学させてもらうですの」
そうかよ、と祝も負けじと鼻を鳴らした。
「ってことは、いよいよ神通術が使えるってことだな」
これで、ようやく本気が出せるってワケだ、と憎らしげに言うと、日暈とのあいだに火花が散った。
「ほぉーりぃー」
名を呼ぶ声が、背後で聞こえた。祝は首を巡らせると、西陽の残照を背にして、ふたつの人影が駆け寄ってきた。八尋と月暈だ。
八尋が、二本足でちゃんと立っている祝の姿に目を瞠った。
「すごいじゃない! 今日は自力で帰れそうね」
まあな、と祝が得意げに顎を反らす。膝は笑っていたが、彼女は気づかずにいてくれたらしい。
狛犬姉弟に別れを告げると、祝は八尋と一緒に階段を下った。そして、その途中でふと思った。こいつ、この四日間、いったい何してたんだ?
月暈から火凝霊法を習うとは聞いていたが、祝がそれを体得したのは、瀬城が死神•青鹿毛炸靭と相見えていた最中だった。
火凝霊法とは、神通術を駆使するための秘鍵の一つである。
まずは自らの目で自らの魂の在りどころを知り、それを凝らすことで、火のように熱く滾らせる。そして、そこから発っせられた熱こそが霊力であり、その霊力を体外から解き放つことで、神にも通ずる術となる。
本来、火凝霊法を体得するには、天稟をそなえた者でもないかぎり、永い年月が必要とされる。自らの目で自らの魂の在りどころを知り得るには、それ相応の精神の陶治が必要であるからだ。
しかし、人の魂に触れることのできる日暈の手によって、祝はそれをあっという間に習得した。と言うよりも、ほとんど無理矢理に伝授された。
だから八尋だって、とっくに習得しているはずなのに、月暈と一緒にいったい何をやっているんだか――
「なあ、八尋」
祝は、横目でチラリと幼馴染ををうかがった。「おまえ、もう神通術は使えるようになったのか?」
うーんとねぇ、と八尋は笑みを浮かべてもったいぶる。「今は内緒」
「は? 何でだよ」
「だって、月暈にそう言われたんだもん。今は内緒にしておこう、って」
言って八尋が、人差し指を唇に当てた。
祝は鼻白んで、はん、と毒っ気まじりの息を吐く。
「しょうもねぇ。どうせ、大した力でもないんだろ」
八尋はまったく気にする様子もなく、くすくすと楽しげに笑っている。
祝は、完全にへそを曲げた。それからは八尋が何を言おうと一切無視して、ひたすら真っ直ぐに家路に着いた。




