第27話 破れる心の音
此葉の三人の兄たちは、揃ってよく似た性格だった。本当に此葉と同じ屋根の下で暮らしていたのかと、疑いたくなるほどに三人ともがクズだった。
底意地悪くて強欲で、そのうえ大学を卒業しても、まともに就職しようともしない道楽者。
三十手前の歳になっても、両親から平気で金をせびり、もしくは、女や悪友の住まいに転がり込んでは遊びに明け暮れる日々のなか、その女の一人と子供ができると、責任取ってよと迫られて、三人はそうやって上から順に結婚した。
それでも、父親のコネでなんとか仕事にありつくと、一時は落ち着いたようではあった。
が、妻となった女たちもまた、揃いも揃って派手好きの強欲で、彼らの散財癖をむしろ増長させていた。
両親は、そんな三兄弟を見限ることができず、自らの親の代から築きあげてきた財産を根こそぎ息子たちに食い潰されると、此葉が結婚した一年後に、父親は脳梗塞でこの世を去った。
三兄弟は、すぐさま遺された母親を施設へと送り、実家の土地を売り払って金に換え、文句を言わない此葉には、四分の一どころか、四十分の一にもならない金だけを渡してほとんどの財産を三兄弟で山分けしてしまった。
しかし、それもすぐに使い切り、次に金づるとしてあてにしたのが、山南だった。
三兄弟とその妻たちは、事あるごとに山南の住むマンションへ、金の無心に訪れた。事故を起こしただの、留守中に泥棒が入っただのと、あの手この手で泣きついて、必ず返す、と言っては縋りついた。
山南もそう簡単に彼らの言葉を信じたりはしなかったが、このままいけば一家離散だ、家族全員で首を括らなくてはならなくなるーーと脅しめいた言葉を吐かれては、断りきれずについ金を貸してしまった。
挙げ句の果ては、亡き妻との思い出話を語り聞かせ、同情しますを誘って大金をせびった。
叔母さんが駆け落ちする前の若いころ、此葉はまだ生まれてなかったけど、俺たち三兄弟はよく面倒をみてもらってたんですよ。いたずらしてよく叱られたけど、歳の離れた姉さんみたいで大好きだったな。立派な大人になってねって言われて、指切りげんまんしたのを今でも憶えてます……叔父さん、俺、叔母さんとの約束だけは守りたいんですよ。だから、最後のチャンスだと思って貸してくれませんか。いま手掛けてるビジネスは、元手はかかるが、必ず成功します。成功すれば、金はすぐに全額お返します。だから、どうかお願いします!
確かに妻は、三兄弟の行く末を心配していた。だから山南は断りきれず、底の尽きかけていた貯えまでもを貸してしまった。
せめて借用書だけでも書かせようと訴えたが、信じてくれ、と言う彼らに渋々ながら頷いた。
妻に可愛がられていた子供たちを疑いたくはなかったからだ。たとえ全額は無理でも、恩義は返してくるはずと信じたかったからだ。
しかし、金は一円も返ってこなかった。それどころか、山南が大病を患っても、彼らは一度も見舞いにすら来なかった。山南には、もう吸い取れるだけの金は残っていないと知っていたからだ。
マンションを売り払って手術費を捻出し、なんとか病気は完治したものの、山南は心底打ちのめされて、みるみる老弱していった。
朔夜と此葉のあいだに、待望の子供が生まれてきたというのに、支援してやれる金がもう無かった。
その子が大人になるまで責任を持つと豪語していたにもかかわらず、自分が介護を必要とする身となってしまった。
その後、その子がどうなったのか、介護施設から弁護士を喚び寄せて調べてもらった。すると、父親である朔夜はすでに亡くなり、あのろくでなし兄弟夫婦のもとで、虐げられながらたらい回しにされて、今は児童養護施設で暮らしている、と報らされた。
山南は、どんな言葉で謝罪を綴るべきか悩み抜き、心を絞る思いでペンを執った。
こうしてその本人である此葉の子供へと届けられた長い手紙は、最後にこう締め括られていた。
『祝くん、すべては私の責任だ。妻と血の繋がった甥っ子であり、此葉ちゃんの実兄とその妻たちが、ああまで腐り切った性根であったことを見抜けなかった私が馬鹿だった。
とても許してほしいと言える立場ではないが、かつて私が興した会社に頼み込んで、学費と生活費を融資してもらえることになった。それを弁護士に預けてあるので、どうかそのお金で高校に進学してほしい。
せめて、これからの君の未来が、少しでも輝けるものであると願っています。
山南将一』
祝は手紙を読み終えると、今まで味わったことのない、得体の知れない感情を噛み締めた。
山南の気遣いはありがたい。両親が咎められるようなことをしていなかったことへの安堵もある。しかし、最後に残った後味は、はらわたの千切れるような悲しみと、脳髄の煮えくりかえるような憎悪だった。
ふと、ああ、そういうことか、と祝は思った。もしかしたらあの三兄弟は、山南と妻の帰郷を出迎えた時点で、もうすでに彼のことを向こうからやって来た金づる、と思っていたのだろう。早期にリタイヤして、妻と一緒に習い事でもはじめよう、なんて考えていた優雅な男だ。きっと貯えもたんまりある。実家の金を使い果たしても、もう一つ財布が現れた、とほくそ笑んでいたのだろう。
しかし、思わぬ邪魔となったのが、妹の此葉とその夫となった朔夜だった。山南が自らの財産をこの新婚夫婦に捧げようとしていることに勘づいて、三兄弟とその妻たちは色めきたった。そうなる前に、金は吸い尽くしてやったものの、よっぽど根に持っていたのだろう。朔夜は自分たちのものになるはずの財産を横取りしようとした卑しい男、そして此葉はそんな男に利用され、誑かされた馬鹿な妹――と、本気でそんなふうに見えていたのかもしれない。我欲にまみれた目であれば。
そのうえ、そんな二人から生まれた子供を預かる破目になったのだから、心底疎ましかったのだろう。
だから、俺をあんなに毛嫌いしていたのか――祝は、喉の奥でつぶやいた。
ずっと感じていた違和感がようやくほどけはしたものの、胸はすっきりするどころか、反吐が込み上げてくるようだった。
そのときだ。
捩れ切っていた心が、とうとう音をたてて破れてしまったのは。
中から失くなってはまずい気がするモノが、滴々と流れてゆく音もした。
しかし、どうやって止めていいのかわからない。何で塞げばいいのかもわからない。このまますべてが流れ落ちて、カラカラに乾いてしまったら、心はどうなってしまうんだろうと、祝は思った。
だけど同時に、その方がいいのかも、と思いもした。
心がカラカラに乾いたら、傷付くこともなければ、傷付けることも厭わない人間になれる気がする。
もしそうなら、いっそ楽になれるかも――と思いつつ、それって、あの親戚連中と同じなんじゃーーと、昏い直感を胸裏に秘めて、祝は高校へと進学した。
◇◆◇◆
新たな学生生活に大して期待することはなかったが、施設と合格した高校に同意を得て、念願の一人暮らしができるようになったのは救いだった。
ボロアパートだし、山南からの援助金だけではギリギリの生活になるであろうことはわかっていたが、それでも自分だけの部屋があるだけで、祝にとっては充分すぎる贅沢だった。
そうして四月のよく晴れた入学式当日、気ままな学生生活に胸を膨らませ、祝は足取り軽く学校へと向かった。
ところが、なんとそこには八尋がいた。
彼女には、就職すると伝えたっきり進路変更したことは秘密だった。なのに、何で? とぶつけようとした問いは言葉にならず、「な、ななな、なん……」と、どもりながら指差せば、にっこりと微笑む八尋にはちゃんと届いていたようで、
「当然でしょ。祝ひとりじゃ心配だもの」
と、打ち返された。
どうやら八尋は、祝に内緒で此葉へ見舞いに行って、そこで受験先を聞き出していたらしい。
こうして祝は、またしても居心地の悪い学生生活を送る破目になった。
入学早々にファンクラブができるほどの人気者の八尋は、ファンの視線などお構いなしに、いままでと変わらず要らぬお節介をやいてくる。
ご飯はちゃんと食べてるのか。掃除はちゃんとしているのか。夜遊びなんてしてないだろうな、と、祝が一人暮らしをするようになったせいか、姉貴ヅラどころか、上京したての息子を持つ母親みたいなツラまでするようになった。
それが祝にとっては、なおさら目障りであり、ウンザリだった。もしかしてコイツは、俺がまわりから馬鹿にされるのが見たくて、ワザとやっているのでは、とすら思うようになった。
けれども祝は、八尋に対して強く出れない。なにせ、国内屈指の医療技術を有する帝徳大学付属病院に此葉が入院できたのは、紛れもなく八尋のおかげだからだ。それに加えて、最年少の准教授候補と謳われる若き名医についてもらえているのも、医療費の心配すらもせずに済んでいるのも、すべては院長令嬢である彼女が、父親に頼み込んでくれたおかげなのだ。
そう、結局のところ、祝が厭う八尋の同情によって、稲司親子は生かされている。
あまりにも惨めで情けなかった。
また心の裂け目が広がってゆく。
中身が流れて、乾いてゆく。
けれど、祝に止めるすべはない。
流れていったものは何なのか、空いた隙間には何を埋めるべきなのか、祝には何もわからなかった。




