第21話 天瑞鏡
――カグツチと天瑞鏡の破片を返してもらおう。今すぐにだ。
そうだ、すっかり忘れていたが、炸靭は瀬城にそう言い迫っていた。それで、その聞き慣れない一語に引っかかりを覚えて、思い出されたのは、診察室から逃げる直前、白い布で包まれた何かを大事そうに抱える先生の姿だったんだ――と、祝の記憶が歪ではあるが線を結んだ。
ということは、と、喉の奥でつぶやき目を戻すと、瀬城はポケットに手を突っ込み、何かを取り出そうとしている最中だった。
出てきたのはやはり、白い布で包まれた何か、である。その白い布がそっと開かれると、現れたのは炸靭だった灰の中から出てきたモノとそっくりの破片だった。
瀬城が、その二つの破片の断面を触れ合わせた。すると、パズルのピースのようにピタリと嵌り、継ぎ目すらも消えて二つの破片は一つになった。
「くっついた……何で?」
祝はそれを、手品でも見るかのように夢中で見入った。
やはりそれは、直径およそ二十センチほどの円盤のようである。一方の底面は鏡面仕上げになっていて、もう一方の底面には、呪文のような文字がびっしりと刻まれてあった。
日本史の教科書で見たことあるな、そうだ、銅鏡ってやつだ、と祝は思う。しかし、元はひとつの完成品だったとはいえ、ただの銅の破片同士が、接触しただけで復元するなんてありえない。
見入るほどに薄ら寒い心地を覚えていると、瀬城がこちらへと足を向けた。そばまで寄ると、祝の手を取り、その〈テンズイキョウ〉の破片とやらを握らせ、やたら神妙な眼差しで告げてきた。
「祝くん、この破片は君に預けるよ。これからは、君が破片を集めて、天瑞鏡を完成させるんだ」
はあ? と、祝は頬を引き攣らせた。
「な、なんで? ってか、このテンズイキョウって、いったい何なんだよっ」
「奇霊なる力の宿る鏡ですの」
「ですぞ」
やはり答えたのは、狛犬姉弟だった。
「おぬし、その鏡を覗いてみるですの」
「ですぞ」
言われて嫌な予感が胸を過った。それでも怖いもの見たさに、んだヨ、と毒つきながらそれを覗いた。
「えっ? えっ? なっ、何でぇ?」
見るや、途端に目を剥いた。上下左右に破片をずらし、眼前に近づけては遠ざけて、今度は顔を上下左右に忙しなく揺らし、鼻を破片に擦り付けた。
景色は映る。壁が映り、柱が映り、車も映る。上に照らせば、剥き出しの配管パイプやダクトだって映る。なのに、祝の姿だけが映されない。そんな者は存在しないとばかりに、向こう側の景色をしっかりと映して、祝の姿だけを消し去っている。
ちょこまかと不審な動きをしたかと思いきや、急に固まった祝を見て、「どうしたの?」と八尋が顔を寄せてきた。
祝は、八尋の顔に鏡を向けた。すぐに八尋も、「えっ?」と目を丸くした。
やはり、八尋の姿も映し出されない。
「どういうことぉ?」と、十秒前の祝よろしく彼女も顔を上下左右に振りだした。
祝は、説明しろ、という台詞を顔に貼り付け、狛犬姉弟を見下ろした。
二匹も、わかってる、とばかりにうなずき、口を開いた。
「破片は十枚。もともとは、この国のいたるところに散らばっていたですの」
「ですぞ」
「人は決して映し出さない。けれど、十枚すべてを集めて元の形に完成させた者のみが、その姿を鏡に移すことを許され、どんな願いもひとつだけ叶えてくれるですの」
「ですぞ」
「どんな願いも!?」
祝はつい、食い気味に訊き直した。狛犬姉弟が、得意げに首肯する。
「病気だって、たちどころに治してしまうらしいんだ」
瀬城が、深めた声で割り込んだ。「たとえそれが、不治の病であっても、ね」
そう言って、祝の目の奥を覗き込む。誰の病気かは、わざわざ言わなくてもわかるよね? とでも言いたげに。
「だけど、どうして死神の身体の中に、そのテンズイキョウの破片が入ってたの? もしかして、それも黄泉津大神っていう神様の仕業なの?」
尋ねる八尋に、狛犬姉弟が感心したかのようにうなずいた。
「そのとおりですの! 天瑞鏡とはその言葉のとおり、天高原におられる神々が、人びとのために授けたありがたき天瑞。それを黄泉津大神は眷属を遣って集めさせ、我が物にしたですの!」
「ですぞ!」
「カグツチの首だけでは飽き足らず、神から人への情けすらも邪魔だてするなんて……まこと黄泉津大神とは、悪虐の限りを尽くす荒神ですの!」
「ですぞ!」
二匹が、興奮気味に地団駄を踏む。それを八尋が、「お、落ち着いて」と宥めすかす。
ぜーはー、と、息を整えるための間を置いて、二匹は揃って、コホンとひとつ咳払いした。
「カグツチの首と天瑞鏡の破片――この二つを手に入れたことで、黄泉津大神は十人の死神どもをつくりだしたんですの」
「ですぞ」
「忌まわしい凶星のような存在とはいえ、死神も〈神〉と名のつく一柱。神を生み出すには、魂だけでなく、神核とよばれる鏡が必要。だから黄泉津大神は、カグツチの首とともに天瑞鏡の破片を奪い、剽悍無比な死神どもをつくりだしたんですの」
「ですぞ」
「カミザネって?」
八尋が、興味津々に問いかける。またアイツの悪い癖が出た、と祝は思った。
「神の核と書いてカミザネ。字のとおり神の核であり、神が現世に姿を現し、保つために必要な鏡のことをそう呼ぶですの」
「ですぞ」
へぇ〜、と八尋が顎に手を当て、関心深げにうなずいた。
「つまり十人の死神は、切り裂かれたカグツチの首と、天瑞鏡の破片をひとつずつ持っている、っていうわけね」
「そうですの」と、日暈が答え、二匹は揃って深くうなずいた。「そして、その死神を全て斃すことができたなら、富士山の大噴火を止められるうえに、どんな願いでも叶うことのできる、天瑞鏡が手に入るというわけですの」
「ですぞ」
へぇ〜、と八尋がまた言った。しかし、その後は続かず、沈黙が満ちた。
全員が、誰かが次に声を発してくれるのを待っているかのようだった。
「祝くん」
それを引き受けたのは、瀬城だった。
「今の医療技術で、君のお母さんを救うことは、ほぼ不可能だ。でも天瑞鏡が揃いさえすれば、どんな病気だって必ず治すことができる。君のお母さんを救うことができるってことなんだよ」
そういうことだったのか——と、祝はやっと全てを理解した。
きみにも覚悟して挑んでもらわなきゃならないことなんだ、と告げられた、此葉を救うためのたった一つの方法を。
ただのしがない高校生でしかない自分に、狛犬姉弟が死神殺しの助力を請う訳を。




