第20話 謎の破片
トン、と、腿裏に何かがぶつかった。日暈が抱える鬼灯だと、振り返らずとも感触でわかった。
「やったですの……?」
不安げな声で問われ、祝は、ああ、と力なく答えた。きつく縛っていた袖をほどき、頭から被せていたブレザーを取ってやると、日暈は、「ぷはぁ」と勢いよく息を吐いた。そして炸靭の亡骸を目に留めると、緊張の糸が切れたのか、鬼灯を抱えたままでぺたりと座り込んでしまった。
暫時、一人と一匹が呆然としていると、にわかに周囲が明るくなった。カグツチの火の光に気がついて、瀬城が照明を復旧してくれたらしい。
祝は沁みるような眩しさに目を細め、明るく照らされた炸靭の亡骸の凄惨ぶりに、今さらながらに、ヒッと喉が引き攣った。
「ほおりぃー!」
背後から、八尋の声が響いてくる。
気怠い体で振り向けば、飛び掛かる勢いで駆け寄ってきて、ガシリと肩を掴まれた。
「大丈夫なの!?」
肩を掴んだままでしげしげと祝の身体を調べまわり、そのうえペタペタと触りはじめる幼馴染に、祝は慌てて両手を背に隠した。震えていたのだ。
「大丈夫だから」と、素っ気なく言えば、八尋は気に障る風もなく、ほっと息をついてやっとその手を離してくれた。
祝もバレずにすんで、息を漏らす。
瀬城と月暈も、駆け寄ってきた。
「すごいよ、祝くん! まさかカグツチを使って、死神を討ち取るなんて!」
瀬城が、感嘆まじりの声をあげた。「それにあの三日月刃神通術を覚えたばかりの者の力量とは思えなかったよ」
隣にいた月暈も、うんうん、と頻りにうなずき、瀬城の言葉に同調する。
祝は、張りつめていた頬をなんとか緩めて、それに応えた。
できることなら、今すぐここから立ち去りたい。正確にいえば、自らの手で屠ってしまった亡骸から、これ以上目を遣ることなく逃げ去りたい。
押し寄せる罪悪感に呑み込まれそうで、いつしか手の震えは総身へと行き渡り、大きくなる。
死神――この国を地獄へと陥としこもうとしている巨悪の手下、のはずである。
しかし、限りなく人に近しい姿をして、赤い血も通っていた。
それを祝は、刃で斬り刻み、殺した。
殺らなきゃ、殺られていた。仕方がなかった。
だけど、本当にこれでよかったのか――という疑念が、棘となって鋭く胸を刺してくる。
それに、炸靭が最期に言った言葉が、やはり大きく引っかかった。
死神の隠し子。
奴は、確かにそう言った。いまだに意味は、さっぱりだ。
そのうえ、こちらへと注いでくる目の色にも、違和感があった。あの瞳には、返り討ちにされたことへの恨みや憎しみといったものは宿っておらず、〈死神の隠し子〉という一語に困惑している祝を憐れみ、同情すら催しているかのように揺らいでいた。
(何なんだったんだよ、いったい……どういう意味だったんだよ、あれは……)
祝は心の中でつぶやき、瀬城へと目を上げた。
「なあ、先生……」
そうだ、先生なら何か知っているかもしれない。そう思って尋ねてみようと思ったのに、
「ねえ、見て!」
八尋の大声が、それを遠慮なしに遮った。
この幼馴染は、いつだって空気を一向に解さない。祝は、不愉快を満面に載せて、ジトリと八尋を睨みつけた。
しかも、彼女がおずおずと指差しているのは、絶命している炸靭である。視界に入れないように努めていたのに、見て! と言われれば、やはり気になり、結局つられて、祝は恐るおそる目を這わせた。
しかし、それを見た途端、ぎょっと目を剥き、瞳は、瞬時に吸い寄せられた。
炸靭の亡骸が、頭頂部から中心へ、そして爪先から中心へと向かって、みるみる灰へと変わってゆくのだ。
燃えてなどいない。煙の一筋だって立ち昇ってはいない。なのに消炭色の塵のような灰が、炸靭の面影を消し去ってゆく。
そうして百を数えるほどでもない短いあいだに、死神•青鹿毛炸靭の惨死体は、ただの灰の山へと成り果てた。
祝はそれを、口を閉じるのも忘れて見入っていた。
奇っ怪だ。しかし、生々しい死体ではなくなったことで、胸を刺していた棘が、少し抜けた気がしてほっとした。
ダクトから吐き出される風に吹かれて、灰はサラサラと散ってゆく。いまだ漫然としてそれを眺めていると、灰の中にほのかに燈る光があることに気がついた。死体のままだったなら、胸のあたりに位置する場所だ。
日暈が駆け寄り、鬼灯をその光へと近づけた。中を覗いて見てみると、カグツチが、こっちこっち、とでも言っているかのように、小さな手で忙しなく手招きを繰り返している。
それに応えるように、光が灰から飛び出し、浮上した。それは小さな真っ赤な火であり、日暈が見せてくれた祝の魂にそっくりな物体だった。
「あれが炸靭の魂ーーつまりカグツチの首だ」
疑問が祝の頭に浮かぶよりも早く、瀬城が先回りして教えてくれた。
炸靭の魂が、ゆらゆらと鬼灯へと近づいてゆく。
天に掲げるかようにして、カグツチが両手を持ち上げた。すると、鬼灯の天辺が四つに裂けて、花のつぼみが開くかのように、皮が一枚ずつゆっくりと捲れだした。
そうして、カグツチの姿が露わになると、炸靭の魂は、吸い込まれるようにして鬼灯の中へと飛び込んで、カグツチの纏う炎とひとつになった。
火柱をたてて、火は激しく燃え盛る。色も淡い黄色から少し濃いものへと様変わりし、放つ光も僅かではあるが強くなった。みるや、カグツチの身体までもが、ひと回り大きくなっている。成長した、という訳ではない。嬰児のまま、体積だけがただ膨らんだだけだった。
にわかに火勢が落ち着くと、カグツチはおもむろに腕を下げた。すると、鬼灯はふたたび春まだ遠い蕾のように、固く隙間なく閉じられた。
横たわったカグツチは、背を丸め、胸を穏やかに上下させている。どうやら眠りに入ったようである。
「これで三人目。残る死神は七人ですの!」
「ですぞ!」
日暈はカグツチを抱えたままでぴょんぴょんと飛び跳ね、月暈は高らかに万歳を繰り返している。二匹とも、零れんばかりの無邪気な笑みだ。
祝はそれを眺めているうちに、総身の強張りがようやくほどけて、ふっと気が軽くなるようだった、そうだ、何ひとつとして、非道なことはしていない。むしろ、意図せずとはいえ、この国を救うための手助けをしたんだ。感謝されこそすれ、責められる筋合いなんてないはずだ。そう胸に言い聞かせ、いまだ刺さっていた残りの棘を自力で抜いた。罪悪感という名の痛みは残ったが、それでもずいぶん軽くなった。
ふと、瀬城が灰の山へと歩み出た。太ももだったあたりを跨ぎ、中腰になると、何かを探すかのように両手で灰をかき分けだした。はしゃぐ狛犬姉弟を尻目に、ちょっと必死な面持ちである。
「先生、何してんだ?」
不審げに問いかければ、どうやらお目当てのものが見つかったらしい瀬城が、わずかに口の片端を吊り上げ、おもむろにそれを摘まみ上げた。
「なんだよ、それ」
祝は、首をかしげて問いを重ねた。
それは、砕けた板状の破片であった。側面がきれいな弧を描いているところを見るに、原型は厚み一センチほどの円盤だったと思われた。
「天瑞鏡の破片ですの」
「ですぞ」
答えてくれたのは、知らぬ間にはしゃぐのをやめて、こちらを見上げていた狛犬姉弟だった。
「テンズイ――」
あっ! と言い切るよりも一歩早く、祝はとある記憶に突き当たった。あのときだ……




