第18話 死神•青鹿毛炸靭
「先生、ここの照明をすべて消すことって、できるかな?」
瀬城は「え?」と聞き返したものの、すぐに祝の狙いに気づいたらしく、天井をぐるりと見回した。
「非常灯が六つあるな。それに、緑の誘導灯も。こいつは分身に壊させるとしてーー」
言いざま後方の突き当りにあるものに目を遣った。
そこにあったのは、『電気室』と書かれたスチール製の扉だった。『変電設備』と記載された白地のステッカーと、『係員以外立ち入り禁止』『高圧危険』とデカデカと記載された、赤地のステッカーも貼られている。
「あっちは僕自身が行こう。鍵なら、なんとか開けてみせるよ。そうすればここの照明はすべて消すことができるはずだ」
「どういうことですの?」
二人の考えを読めずに、日暈だけが顔を顰める。
祝は取り合うことなく、唐突にブレザーを脱ぎだした。そして、抱きしめている鬼灯もろとも、日暈にそれを頭から覆い被せた。
「な、何するべふほっ!?」
祝は、暴れようとする日暈を「黙ってろっ!」と押さえつけた。
カグツチの纏う火の光は、淡く儚く、ブレザーの生地を透かすこともない。左右の袖を、日暈の腰の辺りでしっかりと縛れば、光は漏れることなく遮断された。
「おまえは、俺と来い」
フゴフゴと何か文句を言っている日暈の頭を引っ掴んで、祝は言う。
瀬城は、すでに電気室へと忍び足で向かってくれている。
(頼むぞ、先生……!)
祈りを込め、祝はそのときをじっと待った。
◇◆◇◆
青鹿毛炸靭は、〈先生〉なんぞと呼ばれている死神殺しと、その仲間たちが観念して現れるのをしばし待った。
しかし、彼らは現れない。
出口は死神殺しとその仲間たちが降りてきた階段と、鉄の箱に乗って登っていくのであろう坂道の二つ。その対角線上のちょうど真ん中あたりの配管パイプの上にとまり、絶え間なく交互に視線を飛ばしつつも、そこにも現れる気配はない。
往生際が悪いのか、それとも足が竦んで動けないのかーーどちらにしても、もうこれ以上は猛る血の気を抑えることはできそうになかった。
黄泉津大神の十本の鋭爪ーーカグツチの首を魂として宿す十人の死神たちは、神域•異郷を知る者たちからそう称され、恐れられている。
黄泉津大神より精強な肉体を与えられ、豪邁にして剽悍無比。同時にほかの九人への対抗心が揃って強く、己の神通術に対する矜持も高い。
その反面、主への敬虔の念は深く篤く、惜しみない熱誠を捧げるために、精根のかぎりを尽くそうとする。
だから、炸靭がここまで追いかけてきた理由のうちに、殺された仲間の仇を討つーーなんてものは、塵ほども含まれてはいなかった。そもそも彼らに互いを仲間だと思う情味もない。ただ、黄泉津大神の意思に背く死神殺しを誅戮し、主からの寵遇を授かるためだ。
それにーーあの死神殺しだけは、看過できない。
昨日、突如として夜襲を掛けられ、そのうえさんざんに挑発されたのだ。
なのに、ならば手加減は無用だな、とばかりに炸靭が興に乗りだすと、途端に死神殺しは、あの鉄の箱に乗って逃げだし、肩透かしをくらう破目になった。
ここ最近になって、立て続けに死神の霊波が忽然と消えたのは、あの男の仕業に間違いない。ということは、あの男も死神相手に連戦を自らに強いている。畢竟、体力、気力、霊力の消磨が想定以上だったのだろう。思うように神通術を繰り出せず、焦った末に遁走したのだ。
殺された死神は、とんだ恥晒しだと思ったが、死神相手に連戦を試みようとする死神殺しも、ずいぶん舐め腐った間抜け野郎だ、と炸靭は思う。
そんな男を、取り逃がしたままにはしておけない。黄泉津大神の鋭爪の一本としての矜持が許さない。
この階層に駐められている鉄の箱は、およそ三十。死神殺したちが出てこないのであれば、面倒だが一つずつ蜂の巣にしていくしかないと肚を決め、炸靭は弦に手をかけた。
しかし、その手つきは死神殺しの分身を射抜いてきたものとは、少し違う。親指と人差し指だけで摘むのではなく、少し間隔を空けた親指以外の四本の指が、弦を引っ掛け、引き絞っている。それはまるで、人差し指と中指のあいだ、中指と薬指あいだ、そして薬指と小指のあいだに矢の末端を挟んでいるかのような手遣いだ。
つまり、三本番いの同時撃ち。炸靭はそうやって、死神殺しとその仲間たちがいた部屋の壁や、鉄の箱を猛射していたのだった。
まずは、いちばん手前の箱から狙いを定め、弓を撓らせ弧を描く。
(絶対に逃さんぞ!)
ところが直後ーーバキンと天井で何かが割れる音がした。 弾かれたように、炸靭が振り向く。見れば死神殺しが、天井に埋め込まれた丸くて小さい照明に向かって、なぜかナイフを投げて粉砕していた直後であった。
すぐさま炸靭が、弦を弾く。
こめかみに穴を空けられて、死神殺しは透明になって消え失せた。
わかってはいたが、やはり分身だ。
後方で、また照明の割れる音がした。首を捻れば、また死神殺しが丸い照明に向かってナイフを放ち、粉砕していた直後であった。
どうせ分身だろうとわかりつつも、炸靭はそれに向かって弦を引く。
やはりそれは、眉間に穴を空けられると、苦鳴も漏らさず透明になって消え去った。
(いったい何をしようとしている? あれを壊して、何になる……?)
炸靭の胸が、かすかに騒めく。
死神には、ブレーカーを落とせば消える照明と、それでは消えない非常灯の違いなんてわからない。
また、バリンと割れる音がした。炸靭がすぐさま音がした方へと弦を弾く。丸い照明を粉砕した分身はまたぞろ眉間に穴を空けられ消え失せた。
それが、合計で六回続いた。
すると、階段手前にある人の走る姿が描かれた、長方形で緑色の照明を粉砕する分身が現れた。
もちろん炸靭は、その分身をも消し去った。
(なんのつもりなんだ、いったい……)
炸靭は、イライラと歯を剥いた。
そこへきて、後方からガゴンッと金属製の扉が乱暴に開かれるような音がした。
瞬時に炸靭が、その目には見えない鏃をそちらへと向けた。
やはり、そこには扉があった。しかも、死神殺しの背中が、その中へと消えてゆく。
(もうひとつ出口があったのか!?)
あまりの焦りに、全身から汗が噴き出した。
追いかけるべく慌てて踏み込み、飛び立とうとする。が、その矢先ーー突如として、あたりが闇に覆われた。
「なにッーー!」
配管パイプの上で炸靭はたじろぎ、忙しなく首を巡らした。しかし、どこを見ても、あるのは目を瞑るよりも濃くて深い闇ばかり。死神殺しが、扉の向こう側にある何かしらで照明を落としたのだと思い至り、ギリッと奥歯を軋らせた。
(逃げる気か? しかし奴らだって、この状況では身動き一つとれないはず……)
だとすれば、ただの悪あがきかーーと、炸靭は自らに言い聞かせるような調子で結論付けた。認めたくはないが、動揺の潮は確実に彼の胸に波立っていた。
(どうせすぐに目は慣れる。馬鹿な奴らめ)
しかし、そう思った次の刹那ーー
視界の端がとらえたのは、こちらへと飛び来る光だった。
炸靭は慌てて、その方角に首をひねった。
疾る三条の三日月刃が、闇を裂いて迫り来る。
「くっ!」
炸靭は転げ落ちるように、配管パイプから地面へ着地した。すぐに弓を構え、三日月刃が飛んできた方角に向かって弦を弾く。
しかし、放たれた矢の先から聞こえてきたのは、期待していた悲鳴でもなければ、肉を穿つ音でもなく、壁か柱かが穿たれた無機質な響きだけだった。
炸靭は腰を屈め、後退りした。辺りを見まわしても、やはりあるのは闇ばかり。
今度は正面から光が疾った。
炸靭は地面に突っ伏し、間一髪でそれを避けた。
冷たい汗が頬を伝う。
夜陰には、日頃から慣れ親しんで生きてきたが、深い地下の底闇は、思うように目が慣れない。
放っているのは、〈祝くん〉と呼ばれた少年であることはわかっている。だとしてもーー
(こちらの居場所が、なぜわかる……? それにあの三日月刃は、今しがた覚えたばかりではなかったのか?)
あの少年が、はじめて炸靭に向かって撃ち放った三日月刃――あれはどう見たって、覚えたての未熟者による神通術だった。放たれた直後は勢いがあったものの、すぐにその速度は、千鳥足の酔っ払いのように間緩くなり、形は紙くずのように歪になった。熟達した遣い手ならば、手加減したってああはならない。炸靭は、それをよく知っている。
なのに、先ほどの闇を斬り裂くようにして放たれた三日月刃は、刃毀れしたようなものではあったにせよ、三日月刃としての形をしっかりと成し、走破する速度も明らかに増していた。
二度目に飛び込んできたものは、もはや目が醒めるような鋭刃となり、刃先はゾッとするほどに犀利であった。速度もさらに急増し、敏捷さに長けた炸靭が、辛くも躱した、と言ってよいほどの疾走であった。
なぜ相手ばかりが、こちらの居所を知ることができるのか。そしてあの少年の、異常ともいえる神通術の長足の進歩ーーふたつの疑問が渦巻いて、炸靭の頭を混迷させる。
しかし、じっとしていては余計に危険であると思い至ると、身体を起こしてその場をおぼつかない足取りで立ち去った。
弓を握っていない右手をうろうろと這わし、障害物がないことを確認しながら闇を漂う。
そうして、どこから飛んでくるかわからない三日月刃に備え、忙しなく視線を散らすそのときだったーー




