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死神の隠し子  作者: 沖延龍弥


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第17話 疾空の三日月刃

「ーーッ!?」

 炸靭の切れ長の目が、零れんばかりに見開かれた。


 三日月刃は、唸りをたてて飛び駆ける。

 

 青ざめた炸靭が、慌ててその場を飛び退こうとした。が、その動きは無駄に終わる。

 飛び馳せる三日月刃は、猛然と炸靭を斬り裂いて……は、くれなかった。


 途中まではよかったのだ。

 秋晴れの曙光しょこうに照らされた稲穂のような三日月刃は、息を呑むほどに美しく、反り返る刃先は、冴え冴えと研ぎ澄まされていた。


 ところが中間地点に到達すると、途端にそれはこねくり回した粘土のように歪になって、最後はただのチカチカと点滅する紙切れになった。

 同時に飛びかかる速度も鈍くなり、それはもう、歩いた方が早いだろうと思うほどに失速した。

 そうして霊力の三つののこかすは、風に舞うちりのように空中をフラフラと飛び、たっぷりと時間をかけて炸靭のもとへと辿り着いた。


 もちろん炸靭は、わざわざ飛び退いたりはしなかった。ハエを追い払うようにしてあしらえば、それは明後日の方向へと彷徨さまよい、やがて消えた。


「あ、あれ……?」

 よっぽど自信満々だったのか、祝は腕を振り下した姿勢のままで、苦笑いを引きつらせた。


「やっぱり、そううまくはいかないですの……」

 ミニバンの陰で、日暈ががっくりと肩を落とす。


「ーー驚かせやがって」

 炸靭が、白い鼻先をフンと鳴らし、祝に向かって弓を構えた。


 祝は、狙われていることにすら気づかない。まじまじと右手を眺め、「何でだよ」と呟いている。


 引き絞られた弦が、炸靭の右手から離された。


「危ない!」

 駆けつけた瀬城が、半ば体当たりで祝を地面へと押し倒した。

 直後、甲高い音を響かせて、祝の足許のすぐそばの地面に、ぽっかりとした穴が空く。


 すかさず、炸靭が弓を引いた。


 呆気にとられている祝に覆い被さったまま、瀬城が喘ぎ喘ぎに呻きを絞った。すると、四体の分身が瀬城の背中から飛び出して、そのうちの一体が、後頭部に穴を空けてすぐさま消えた。


 祝は、押し倒されたままの状態で瀬城を見上げた。

 顔色はすっかりあせて、目はほとんど虚ろだった。地面についた両腕はガクガクと震え、今にも祝の上に倒れ伏してきそうである。

 明らかに、神通術の使い過ぎによる疲弊だった。祝ですら、あの紙切れのような物体を一度飛ばしただけで、百メートルを全力疾走した直後のような疲労を感じていた。


 こうしちゃいられない。残った二体の分身に目を遣れば、ナイフを構えつつ炸靭の前に立ち塞がってくれている。

 祝は今しかないと自身に言い聞かせ、大急ぎで瀬城を担いで立ち上がり、日暈がいるミニバンの陰へと引き下がった。

 待ち受けていた彼女を見つけた途端、

「ふざけんなよ! あんなんで、どうやって死神に勝てんだよ!?」

 と、噛みつかんばかりに吼えたてる。

 

 日暈も何を言われるかすでにわかっていたようで、すぐさま反論を飛ばしてきた。

「火凝霊法は問題なく伝授したですの! されど、さっきの神通術が今のそなたの実力。実力までは、わっちゃにどうこうできんですの!」


「だったら、最初からそう言えよ!」


「神通術を覚えたばかりの者のなかには、すぐに手練てだれと渡り合えるような、天賦てんぷ霊資れいしを携えた者もいるですの。それなのに、まさかおぬしが、これほどまでの才無みつなし者だったとは、想像だにしてなかったですの!」


「はあ? んだとぉ!?」


「まあ、その愚鈍な顔を見て、そんなことすらも見通すことができなかったのかと言われてしまえば、確かにわっちゃの責任だと言わなくもないですの」

 やれやれとばかりに肩をすくめて、日暈は続ける。

「しかし、初めての神通術だったとはいえ、あんなゴミ屑みたいな神通術を見たのは、生まれて初めて。あれならまだ、死にかけのハエでも飛ばしてやった方が、よっぽど戦力になったですの」


「でめぇ、ごぉのやろう……」

 現状をすっかり忘れて、一人と一匹のいがみ合いに熱が籠る。そこへ、苦笑いを浮かべる瀬城が、まあまあ、と弱々しい語気で割って入った。

「時間稼ぎになっただけでも充分だよ。君が出てきてくれなかったら、今頃僕はもう生きてなかった」

 喘鳴混じりの苦しげな声に、一人と一匹の瞳が、揃って労わるような色に染まった。


「先生、大丈夫か?」

 尋ねる祝に、瀬城が小さく首を振る。

「大丈夫、と言いたいところだけど、かなりやばそうだ。分身をあと数体出すくらいの霊力しか、もう残ってないと思う」

 僕もまだまだ修行が足りないな……と、自らの影に目を落とした。


 祝はそっとミニバンの陰から顔を出した。炸靭と対峙する分身は、残り二体。

(どうする……今の俺に、あんな奴とまともにやり合えるはずがない)

 また一体、分身が射貫かれ消え失せる。残る分身は一体のみ。


「……祝くん」

瀬城が、サイドドアに預けていた上半身を起こして口を開いた。

「君たちを巻き込んだのは、僕の責任だ。だから、どうか君たちだけでも逃げてくれ。僕がそのあいだに奴を引きつけるから」


「でも……」

 確かに、巻き込まれたのは事実だった。できることなら、瀬城も狛犬姉弟も見捨てて、一目散に逃げ出したいーーそんな考えが頭の片隅でチラついた。が、祝は大きくかぶりを振って、その選択肢を追い払った。

「先生の車まで走ろう。今ならまだ間に合う!」


「無理だ、もうーー」

 瀬城が反論を言い切るよりも先に、祝は動いた。向かい側のセダンに身を寄せる八尋と月暈へ、〈瀬城先生の車まで走れ〉と手振り身振りで合図を送る。

 八尋と月暈も、なんとか理解してくれたようで、こちらに向かって何度もうなずき返してきた。


「さぁ、行こう!」

 祝は瀬城をふたたび肩に担いだ。そして威勢よく駆け出そうとしたその転瞬ーー

 

 マシンガンでも猛射しているのかと思うほどの衝突音が、ひっきりなしにどよめいた。瀬城の自家用車がある方からだ。

 穿たれ、破壊されてゆく鉄の音。弾けるように割れるガラスの音。爆発音のようなタイヤのパンク音。それらが折り重なってひたすら続き、どよめきが地下二階に充満した。


 耳を聾するような衝撃に、祝はつんのめって瀬城と一緒に転倒した。それからはただ身をすくめ、毛穴までもがすくむ思いで、終わりの兆しをひたすら待った。

 

 そうして永遠とも思える悪夢の大音響は、冷静でいれば、およそ二分程度でぴたりと止まった。


 祝はいやな予感を覚えながら、瀬城の自家用車を覗き見た。

「うわあ……」

 驚愕と悲愴感とが混ざり合う嘆声が、口から溢れた。やっぱり一人で逃げときゃよかったーーと、心の底から後悔した。


 瀬城の自家用車であるワンボックスカーは、見事な蜂の巣になっていた。硝子は砕かれ、下からはガソリンが漏れ流れ、タイヤもへこんで、ご丁寧にホイールまでもが穴だらけになっていた。


「貴様らが、その箱で逃げようとしていることなんぞ、お見通しだ!もう逃げられんぞ!」

 冷え冷えと響く炸靭の声が、愕然とする祝を無理やり現実に引きずり出した。

 これで、逃げる手段は失った。もと来た階段へ引き返したとしても、どうせすぐに追いつかれてしまう。誰かが気を引くにしても、もう瀬城に分身は出せそうにない。


「もう、おしまいですの……」

 日暈が、涙まじりに呟いた。

「奴は、わっちゃらをひとり残らず殺すつもりですの。そのうえ、このお方が奪われれば、もう富士山の大噴火は止められない……この国最恐の災厄を止めることは、もう不可能ですの」

 ぎゅっと鬼灯を抱きしめるそのいたいけな姿に、祝の胸がズキリと痛んだ。いけ好かない奴だと思っていたが、この少女は(ずいぶん歳上ではあるようだが)自分のことよりもこの国の安否を何よりも案じてくれているーーそう思うと、一瞬でも一人で逃げようと考えてた自分が情けなくなった。


 しかし、日暈にかけてやる言葉は見つからない。まさか、母さんよりも先に死ぬことになるなんてなーーと胸の奥で呟きながら、ぼんやりと鬼灯の中にいる首のない赤ん坊を眺めていた。


 カグツチは、奪われた玩具を取り返そうとしているかのように、小さな腕を必死に伸ばしてもがいていた。その手の先に存在するのは、カグツチの首を有する、死神•青鹿毛炸靭ーー

 

 そういえば、瀬城が診察室で炸靭の存在に気づいたのは、カグツチが窓の外を指差したことがきっかけだった。そのときの光景がよみがえった瞬間、祝はがばりと顔を上げた。


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