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死神の隠し子  作者: 沖延龍弥


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第13話 神通術

 やがて、無地だった壁の一角が、見事な蜂の巣模様に変わり果てたころ、ようやく地獄の連射はピタリと止まった。

 診察室に静けさが戻り、聞こえてくるのは、ガラスの割れた窓からそよぐ、春夜の風の()だけとなった。


 けれど、またいつ怒涛の連射が始まってもおかしくない。だから、誰も立ち上がろうとはしなかった。そもそも、瀬城以外はみなガタガタと打ち震え、うずくまったまま身動き一つ取れそうになかった。


「何なんだよ、これ……」

 祝が、上擦った声でつぶやいた。


「神通術ですの」

「ですぞ」

 頭を抱える狛犬姉弟が、はっきりと答えた。


「じんつうじゅつ?」

 噛みそうになる舌をなんとか回して、祝は尋ねた。

「何なんだよ、それ」


「文字通りの意味ですの。神に通ずるすべであり、幻妙(げんみょう)なる力を駆使することのできる秘術ですの」

「ですぞ」

「奴は――死神は、その神通術を使って、波動の弓矢を放ったですの」

「ですぞ」


 正直、何を言ってるのかさっぱりだった。が、死神による狙撃であることは確かなようだ。

「ってか、何で死神がこの近くにいるんだよ!? それに……何で俺たちが狙われなきゃなんねぇんだよ!」


 祝の言葉に、八尋も険しい顔でうんうんと何度もうなずいている。


「わっちゃらは、瀬城が仲間になってくれたことで、もう一度死神に挑んだんですの」

「ですぞ」

「だけど、此度の死神はなかなか手強くて……撤退を余儀なくされた折に、どうやら跡を尾けられていたようですの」

「ですぞ」


 はあ? と、祝は頬を引き攣らせた。

「何で、そんな大事なこと、もっと早く言わねえんだよ!」 


「言おうとしたですの! だけど、どこかの頓狂者が、むりやり幼馴染を引っ張って、部屋を出て行こうとしたゆえ、丁度そこで話が途切れてしまったですの! そのうえ思いがけず地震いまで起きるもんだから、順立てて説明しようとしてたのに、その機を失ってしまったんですの!」

「ですぞ!」


 嫌味たっぷりに切り返されて、祝はぐっと言葉を詰まらせた。そういえば、そんなこともあったな……


 けれどそこで、悪かったな、だってあんときは、とてもじゃないけどおまえたちの言ってることなんて信じられなかったから――なんて、素直に謝れる祝ではない。

「そ、そもそもッ」

 と気まずい思いから逃げ出したくて、瀬城を指差して火の粉をぶつけた。「こんな、ワケわかんねえことしてくる相手に、先生なんかが勝てるわけねえだろ! どう見たって強そうに見えねえだろうが、こんな人!」


「あ、ひどい……」

 とんだとばっちりに、瀬城は唇を尖らせた。

 しかし、ニヤリと口の片端を吊り上げたのは、狛犬姉弟だ。

「おぬし、あまり瀬城をみくびってはならんですの」

「ですぞ 」


 はあ? と、祝はイライラと聞き返す。


「先ほどわっちゃは、此度の死神は、と言ったはず。奇襲とはいえ、こう見えて瀬城は、もうすでに二人の死神を討ち取っているですの」

「ですぞ」


 えっ!? と、祝は瀬城を見た。どう見たって強そうに見えないその人は、ピースサインでニンマリだ。


「今そばにまで来ている死神だって、事を急がずに奇襲できていれば、斃すこともできたはず。ただ、瀬城の体力と霊力の回復を待たずに相見えたゆえに、途中で撤退せざるを得なくなっただけですの」

「ですぞ」


「マジかよ……」

 ポツリと、祝はつぶやいた。


「なかなかやるでしょ?」

 瀬城が、へにゃりと目許を緩めた。精悍さも勇猛さも感じないその笑みに、祝はつい、ホントかよ、とはすな目つきになってしまった。


「けどっ! これからいったいどうすればいいの?」

 八尋の、切羽詰まった声が割って入った。「またいつ攻撃が始まってもおかしくないんじゃない? っていうより、攻撃を停めたってことは、こっちへ近づいて来てるからなんじゃないの?」


 そうだった。彼女らしからぬもっともな意見に、祝は現実に引き戻された。

 診察室に、ふたたび張り詰めた空気が充満する。

「どうすんだよ、先生」

 祝は、瀬城に詰め寄った。「死神を二人も斃したんだろ? だったらどうにかしてくれよ」と、嫌味たっぷりにさらに迫る。

 言いながら、鈍感そうなこの人には通用しないだろうな、と思いきや、瀬城はしっかりと気に障ったようだった。その証拠に、彼が常に放つ柔和な気配から、ほんのわずかにささくれ立ったものを確かに感じて、祝はちょっと驚いた。

 

 しかし、そんな気配はすぐに拭って、瀬城は静かに目を閉じた。

「先生……?」

 何事かと、祝は声をかけた。

 瀬城は寂然(じゃくねん)として動かない。けれど、ただならぬ異様な気力が、彼の中から満ち溢れ、陽炎のように立ち昇るのが目に見えた。


 真空に包まれているかのような数瞬が過ぎる。

 瀬城はやがて目を開けると、何のためらいもなく腰を上げ、白衣の裾を靡かせてスタスタと窓の方へと歩いていった。

 

 その背中を見上げて、祝はギョッと目を剥いた。

「何やってんだよ先生! 撃たれるぞ!」

 慌てて声を投げたものの、瀬城はこちらへ一瞥もくれず、割れた窓の正面で足を止めた。

 そして、胸を大きく反らして息を吸い込み、しばし動きを停めた次の刹那――口から吐き出されたのは、毒々しいほどに暗い紫色した濃煙だった。


「なっーー!」

 祝は、言葉を失った。

「何なの、あれ……」

八尋も、声を震わせる。


 そのあいだにも、どんどん煙は瀬城の口から溢れでる。しかも、口から発せられたとは思えないほどにおびただしく、火事の現場や煙突から立ち昇るそれのように、濃く厚くなってゆく。

 そうして、あっと言う間に窓全面を覆いつくすと、波打つカーテンのようになって、完全に外の景色を隠してしまった。


 瀬城が振り向き、力強く皆に告げた。

「さあ、行こう! これで死神は、ここから入ることはできないから」


 その言葉に、揃って頷き返した狛犬姉弟が、ぴょんと跳ねるように起き立った。ガタガタと打ち震えてうずくまっていたのが嘘のように、そそくさぱたぱたと鬼灯の方へと駆けてゆく。


 そんななか、いまだ祝と八尋は、瀬城から吐き出された紫色の妖煙に唖然としていた。

 それは、ゆらゆらとはためいてはいるものの、風に混ざることも、吹き散らされることもなく、濃煙のまま変わらず窓に覆い被さったままだった。


「なんだか……毒の入った綿菓子みたい」

 八尋が、気の抜けた声でつぶやいた。

 祝も、それどころではないとわかりつつも、ついコクリとしてしまう。そこへ、

「祝くん! 八尋ちゃん!」 

 と、呼号する瀬城の声に、びくりと肩を震わせた。

「グズグズしてないで、早く立って!」

 上からせっつくような視線で刺され、祝は、「あ、ああ」と情けない声をあげて身を起こした。

 八尋も、おっかなびっくりそれに続く。

 

 また、あの目には見えない襲撃が始まるんじゃ――と恐怖が胸を波立たせるが、確かにいつまでもここでグズグズしていては、余計に危険だ。

 しかし、瀬城に対して何者なんだ? という疑念も頭をよぎる。あの煙に何の効果があるのかなんて、皆目見当もつかないが、およそ人間技とは思えないことをやってのけた男を見る目に、不審と警戒を込めずにはいられなかった。


 しかし瀬城は、そんな祝の視線など気にも留めず、キビキビと二人を診察室の外へと誘導する。

「ここを出て左に行けば、関係者専用の出口が見える。そこから外へ出れば、すぐに地下駐車場に繋がる階段が見えるはずだ。そこに僕の車が駐まっているから、それに乗ろう。車で逃げれば、さすがの死神も追いつけやしない」


「わ、わかった……」

 困惑しながらも、祝は応えた。今は、死神をよく知る瀬城を信じてみるしかなさそうだ。

 八尋も異論はないようで、二度、三度と、忙しなく首を縦に振っている。

 

 狛犬姉弟に目を遣れば、二匹はすでに準備万端だった。姉の日暈が鬼灯を抱え、弟の月量が扉を開くと、二匹は関係者出口へと一目散に駆けていった。


 祝もその背中に続こうとした。が、後ろからいてくる足音が一つしかないことに気がついて、扉の前でつと後方を見返った。

 やはりいてきていたのは、八尋一人だけだった。瀬城はというと、ポケットから取り出した鍵で、机の引き出しを開けようとしている最中であった。


 アンタこそ、なにグズグズしてんだよ、と祝はかすかに苛立った。が、声をかけるのもはばかれるほどに、その形相は必死である。

 引き出しの中から取り出されたのは、何かを包んでいると思われる、柔らかそうな白い布。それを大事そうに抱え込むと、瀬城は祝へと顔を巡らせ、「さあ、行こう」と張り詰めていた目許を和ませた。

 

 布の中にあるそれは、大事そうに抱えられてはいるものの、そう簡単に壊れたり潰れたりするようなモノではなさそうだった。丁寧に布で覆われていて判然とはしないが、指先から第一関節ほどの厚みのある、何かの切れ端のようである。

 いったい何なのか、気になるのは当然だ。しかし、今はそれどころじゃない。

 

 廊下から自分たちを呼ぶ八尋の声も手伝って、祝と瀬城は診察室を抜け出し、出口へと向かった。




◆◇◆◇◆




 帝徳大学付属病院の敷地を出ると、すぐ目の前に歩道がある。その向こうには六車線の大きな道路が走っていて、さらにその向こうにも、人通りの少ない歩道がある。

 その道端に、一人の男がひっそりと夜気に紛れて立っていた。

 凍てつくような視線の先には、病院内のひとつの窓。その向こうで、粒のように辛うじて見えていた人影は今、紫色の煙に隠された。


 男は弓を持つ手をだらりと下ろすと、地を這うような声で独言した。

「死神殺しが――逃げ切れるなんて思うなよ」

 

 一陣の夜風が、不穏に唸る。

 男は、軽く腰を沈めた。しばし溜めて地を蹴ると、街灯よりも遥かに高く舞い上がり、闇に混ざって消え失せた。


 

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