第99話 一粒万倍
「一粒万倍」
威風凛然と、炎袰が答えた。
「一秒ごとに強さが増加する。魂の凝らしようでは、万倍にもね。それが、あたしの神通術サ」
「い、一秒ごとに……?」
そうつぶやいて、瀬城は、二の句が継げなかった。そんな反則な神通術があってたまるかと、脳が信じることを拒絶した。けれども同時に、パズルの最後のピースがぴたりと嵌るような感覚を覚えた。
一秒ごとに強くなるーーそれこそが嗛間炎袰の強さの秘密であり、〈完璧なる複製〉では、絶対に勝てない所以。そのうえ父親であった日照雨煌侍郎が、唯一〈模倣〉できなかった所以だったと言われれば、いやでも納得せざるを得なかった。
分身二体が、炎袰へ躍りかかる。が、炎袰はそれを白骨の手刀でこともなげに両断した。
残るは、瀬城本人のみ。
炎袰が、一歩踏み込んだ。
「ヒッ」と悲鳴をあげた瀬城が、尻をついたままで後退した。
勝負は決した。もはや、いかなる神通術を駆使しようとも、嗛間炎袰には勝てないと思い知らされただけだった。
けれど、天瑞鏡への欲念に囚われている瀬城に、降伏することはできなかった。
「さぁ、天瑞鏡の破片を渡すんだ」
炎袰の、小袖から伸びる右手が差し迫る。
瀬城は、破れかぶれな手段に打って出た。
いまだ座り込んだままで、左手一杯に緋緋色金を生成すると、頭から被って全身を濡らした。
「どどど、どうだ! おまえのその白骨の巨腕でも、さすがに緋緋色金には敵わないはずだ! なにしろ衝撃が加わった瞬間に、この世で最も堅強な金属に変化するんだからな!」
さあ、来るなら来い! と立ち上がることすらできないくせに、歯だけを剥いて、
「逆にその腕を粉砕してやるッ!」と、息巻いた。
呆れながら見下ろす炎袰の瞳に、ちらりと哀れみの翳が差した。けれど、肩でひとつ息をつくと、
「じゃあ、遠慮なく」
と断りを入れ、白骨の巨腕でおもむろに瀬城を掴みあげた。
「馬鹿だね、あんた。緋緋色金なんて、握り潰しゃあいいだけの話サ」
瀬城を握り締める白骨の巨腕に、ゆっくりではあるが確実に力が籠る。身動きの取れない瀬城の身体が、顔だけを残してじっくりと圧迫されてゆく。
「やめろ! ふ、ふざけるな!」
瀬城が、顔を真っ青にして声をあげた。
「いやだね、来るなら来いって言ったのは、あんたじゃないのサ」
炎袰は言下に切り捨てた。
瀬城の全身から、みしみしと骨の軋む音が聞こえはじめた。
炎袰が、さらに白骨の巨腕に力を込める。
「やめろぉ! やめろぉ……!」
瀬城が、狂乱状態で喚きたてた。
もちろん、炎袰はその手を緩めたりはしない。ぞっとするような真顔で、さらに強く握り締めてゆく。
「やめろぉ……やめて、くれぇ……」
瀬城の言葉に、懇願が混じる。顔色は真っ青から赤紫色に変ってゆき、こめかみは今にもはち切れそうな血管で盛り上がっている。真っ赤に血走った目を剥いて、口からは泡と獣のような呻きを漏らし、
「助けて、くれ……」
と、とうとう縋るような声をあげた。
そこへ炎袰が、ますます白骨の巨腕に力を込めた。
「いぃぃいぎゃあああ!!」
瀬城が心臓を潰されたのかと思うような、苦叫をあげる。涙と洟水と涎を垂らしながら、
「も、もう、やめてくれぇ……」と、訴えた。
「だったら、天瑞鏡の破片を今すぐ渡しな!」炎袰の鞭のような声が飛んだ。
「死神に上等きって、ただで済むなんて思ってんじゃないよ! 今すぐ渡さないんだったら、このまま絞り上げて、穴という穴から一滴残らず血潮を噴かせてやるまでサ! それが嫌なら、とっと渡しなッ!!」
瀬城の口から、「ひぃいい」と、魂まで締め上げられているかのような悲鳴が漏れた。容赦のない必殺の宣告に、
「わかった……もう渡す……渡すからぁ……」
と、とうとう音をあげた。
ふん、と鼻で息を吐き捨てると、炎袰は白骨の巨腕の力をおもむろに緩めはじめた。まるで汚い靴下を拾うかのような手つきで襟首をつまみ上げると、ぶらんぶらんと垂れ下がる瀬城へ、もう一方の白骨の巨腕を突き出した。
瀬城は震える手で、すぐにスラックスのポケットに手を突っ込んだ。今しがた手に入れたばかりの楪煉兎の神核と、ずっと肌身離さずに持っていた日照雨煌侍郎の神核を取り出して、かすかに名残惜しげな顔をした。
白骨の巨手が、すかさずズイッとさらに迫る。瀬城はびくりと肩を震わせて、真っ白な掌の上に、その二枚の天瑞鏡の破片を手渡した。
「さっさと素直に渡せばいいものを」
炎袰が、口をひん曲げて言い捨てた。それから、やっぱり汚い靴下を洗濯籠に放るのような荒い手つきで、ぽいっと瀬城を林の中へと投げ捨てた。
◇◆◇◆
「こロす」「こロす」「こロす」「こロす」「しニがミのカくシご」「こロす」「こロす」「ナかマのカたキだ」「こロす」「こロす」「こロす」「コれダけイれバこロせルはズだ」「こロす」「こロす」「カグつチのフっカつのタめに」「こロす」「こロす」
「ぜッタいニこロす」「こロす」「こロす」「こロす」「こロす」「やツざキにシてヤる」「こロす」「こロす」「こロす」「こロす」「コいツさエしネバふジさンはフんカすル」「ゼっタいニこロス」「こロす」「こロす」「こロす」「こロす」「こロす」
口々につぶやく魂喰夜叉に囲まれて、祝はじりじりと追い詰められていた。
けれど、もう恐れたりはしなかった。むしろ、知ってしまった本当の力に胸は昂り、高鳴った。蛹の殻を破る幼虫の気持ちを知ることができるなら、それはまさに今だった。
魂喰夜叉が、呑み込むような勢いで殺到した。
哮る猛虎のような叫びをあげて、祝は自らの殻をぶち破った。
背中から現れたのは、嗛間炎袰と同じ白骨の巨腕。
しかも彼女のものよりも、二回りは大きく、厳めしく、猛々しいまでの迫力を発散していた。
「あレはッ!?」魂喰夜叉が一斉に怯んだ。
そこへ、日暈に寄生していた魂喰夜叉が、まわりの仲間を嗾けた。
「ビビってんじゃねぇ! 敵はガキ一人だろうが! 行けぇぇええッ!」
命じられた魂喰夜叉は、目を泳がせながらも、一斉に祝の元へと躍りかかった。
祝が、風を唸らせ、右の巨腕を薙ぎ払う。
白骨の指のあいだから飛び出したのは、三条の超弩級の三日月刃だ。今までのものとは比べものにならないほどに巨大であり、煉兎が放つ三日月刃をも優に超えた。
そのうえ迫り来る速度までもが凄まじく、魂喰夜叉はそれを目にした途端に、もはや躱しきれないと悟って立ち尽くした。
三日月刃は、たった三条で十体近くの魂喰夜叉を両断した。そのほとんどが急所である瞳を切り裂き、地面のシミへと変えてゆく。
さすがに祝自身も、自らが放った三日月刃に目を瞠った。が、すぐに顔を引き締め、左の巨腕でさらに三条の三日月刃を投げ撃った。
腰でも抜かしたのか、魂喰夜叉はもはやたじろぐばかりで、祝へと攻め寄ろうとするものはいなかった。
祝は右、左にと、さらに白骨の巨腕を薙ぎ払う。そこから疾る三日月刃が、次々と魂喰夜叉を両断する。
そうしてものの三十秒ほどで、五十体はいたであろう魂喰夜叉は半数に減り、散り散りになって逃げ惑いはじめた。
祝はそれを雷電のような速さで追いかけると、巨腕で手当たり次第に捕まえては、握って、叩いて、捻り潰す。
「カっ、カてルわケねェ……」
魂喰夜叉の一体が、引き攣る声でつぶやいた。
一秒ごとに強くなるーー祝は満身でそれを実感していた。膂力、体力、耐久力、それに神通術の冴え具合までもが、一秒ごとに増強されてくのを確かに感じた。今ここで、魂喰夜叉が新たに百体加わって襲いかかられようが、どってことない思えるほどに、勇気までもが留まることなく湧いてくる。
そうして、決着はあっという間についてしまった。
しかし、そんなことは、戦う前からわかっていた魂喰夜叉が一体いた。そもそもその魂喰夜叉は、祝を捕らえるつもりなんて、さらさらなかった。
日暈に寄生していた魂喰夜叉だ。
仲間が祝と相見えている隙を盗んで、それはすでに祝のそばから立ち去っていた。
逃げたわけではない。当初からの目的を果たすためにだ。
魂喰夜叉は、人知れず本殿の中へと潜り込むと、隠していた鬼灯を口に咥えて、屋根へと登った。遺灰のまわりでいまだゆらめいていた煉兎の魂を見つけてにやりと笑うと、そのすぐそばへと這い寄りそっと鬼灯を足許に置いた。
すでに目を醒ましていたカグツチが、両手を掲げた。それに応えて、鬼灯の皮がゆっくりと花弁のように捲れてゆく。
身体が剝き出しになるや、カグツチは忙しない気振りで煉兎の魂を手招いた。
麾かれた魂は、紐で括られ引っ張られているかのようにして、カグツチの方へと飛んでゆく。
そうして九つ目の魂と一つになると、カグツチの纏う炎が突如として膨れ上がり、包んでいた鬼灯をあっという間に燃やし尽くしてまった。
「来る! 来るぞぉ!」
魂喰夜叉が、嬉々として叫んだ。
直後、カグツチの身体も炎の大きさに合わせて膨れ上がり、まだだ、まだ足りないとばかりにもがきはじめた。そうやっていやいやと愚図る姿は、頑是ない赤ん坊ままである。
しかし、もう無力ではなかった。両手両膝で前進すると、屋根の上から祝を見つけて、威嚇するかのような唸り声をあげた。
獣が総毛を逆立てるように、炎がまた大きく膨らんだ。それに合わせて、さらにカグツチ自身も大きくなった。
やがて屋根にも炎が燃え移ると、瞬く間に本殿が逆巻く猛火に包まれた。




