第八話 奪われた居場所
十八歳になったエレノアは、王妃教育へ通う日以外、自室で過ごすことを余儀なくされていた。
食事は部屋へ運ばれる。
かつては温かな料理が並んでいた食卓も、今では固くなったパンと薄いスープだけ。
肉料理も、デザートも、いつからか姿を消していた。
「ありがとうございます。」
エレノアは今日も微笑み、静かに口に運ぶ
それが唯一、自分にできることだった。
その日の午後。
窓から見える薔薇があまりにも美しく、エレノアは久しぶりに部屋を出た。
庭を少し歩くだけ、それだけのつもりだった。
しかし廊下へ出た瞬間、使用人たちの空気が変わる。
「お嬢様!」
執事が前へ出る。
「お部屋へお戻りください。」
「少し庭へ出るだけです。」
「申し訳ございません。奥様より、お部屋でお過ごしいただくよう命じられております。」
そのやり取りを見ていた若い侍女が露骨に顔をしかめた。
「また始まったわ。」
「どうして毎回私たちを困らせるのかしら。」
別の侍女も呆れたように続ける。
「奥様がお優しいから甘えていらっしゃるのよ。」
「だから皆が迷惑するの。」
「未来の王太子妃なら、少しは周りをお考えになればいいのに。」
その時だった。
アンナが静かに姿を現す。
「何をしているのです。」
使用人たちは一斉に頭を下げた。
「申し訳ございません。」
アンナは一人の侍女の頬をためらいなく打つ。
乾いた音が廊下に響いた。
「お嬢様を部屋から出したのですか。」
「も、申し訳ございません……!」
侍女は震えながら謝り続ける。
アンナは冷たく言い放った。
「次はありません。」
その様子を見ていた他の使用人たちは、誰一人としてエレノアを見ようとしなかった。
自分たちが罰を受けないことだけが大切だった。
エレノアは唇を噛みしめる。
「……ご迷惑をおかけして申し訳ありません。」
そう言って部屋へ戻るしかなかった。
閉じられた扉の向こうから、小さな笑い声だけが聞こえてきた。
数日後。
夜会のための衣装合わせが始まる。
大広間では、仕立て屋たちが一着のドレスを広げていた。
淡い水色の生地に、銀糸の刺繍。
装飾は控えめで、清楚な美しさが際立つ一着だった。
「本当によくお似合いです、セシリア様。」
セシリアは鏡の前でゆっくりと回る。
「ありがとう。」
満足そうに微笑んだ。
「お姉様のドレスは?」
アンナは別のドレスへ視線を向ける。
そこには深紅の生地へ豪華な金糸の刺繍が施され、胸元から裾まで宝石が散りばめられた、目を引く一着が飾られていた。
「ああ、あの派手なドレスね。」
アンナは笑う。
「夜会がお好きなエレノアさんには、ちょうどいいでしょう。」
セシリアも口元へ手を当て、小さく笑った。
「お姉様なら、きっと喜ばれますね。」
その声には、もう皮肉すら隠していなかった。
一方その頃、エレノアは自室で王妃教育の課題へ向かっていた。
夜会のドレスが届いていることさえ知らない。
王宮では、少しずつ噂が広がっていた。
「エレノア様は最近、勉学より夜会に熱心らしいわ。」
「派手な装いばかりお好みだとか。」
「王妃教育にも以前ほど身が入っていないそうよ。」
「妹君の方がずっと慎ましく、努力家ですって。」
その噂は、誰が始めたのか分からないまま広がっていく。
数日後。
「今日は王妃教育の日ですね。」
支度を始めようとしたエレノアを、アンナが呼び止めた。
「今日は中止になったわ。
王宮から連絡が来ているから安心なさい。」
「そうなのですね。」
エレノアは疑うことなく頷いた。
別の日。
「お義母様、この課題を王宮へ届けていただけますか?」
「ええ、任せなさい。」
エレノアが微笑んで部屋へ戻ると、アンナは受け取った課題を暖炉へ放り込む。
「熱心なだけでは、意味がないのよ。」
炎の中で課題は灰になった。
後日。
王妃教育の教師は困ったように首を振る。
「エレノア嬢は最近欠席が続き、課題も提出されておりません。」
その報告は、やがてアレクシスの耳にも届くこととなる。
数日後。
公爵家へ小さな箱が届く。
「第一王子アレクシス殿下より、エレノア様へ。」
アンナは当然のように受け取り、そのままセシリアへ差し出した。
中には、青いサファイアの髪飾り。
セシリアは迷うことなく髪へ飾る。
鏡の中の自分を見つめ、満足そうに微笑んだ。
「やっぱり。」
「私の方が似合う。」
その笑顔には、もう姉への遠慮はなかった。
王宮の庭園。
「セシリア。」
アレクシスが声を掛ける。
その視線は、すぐに髪飾りへ向けられた。
「その髪飾りは……。」
セシリアは少し困ったように微笑む。
「……本当は、お話しするつもりはありませんでした。」
「お姉様は『私はこういう飾りはあまり似合わないから、あなたが使った方がいいわ』と、おっしゃったのです。何度もお返ししようとしたのですが……。」
セシリアは潤んだ瞳で自分の胸に手を当てる
「せっかく殿下が心を込めて贈られたものですもの。」
「私には、そのまましまっておくことなどできませんでした。」
そう言って、少し寂しそうに笑う。
「どうか、お姉様を責めないで差し上げてください。」
その言葉は優しさのように聞こえた。
だが実際には、アレクシスの胸へ最も深い疑念を植え付けていた。
王宮で耳にする噂。
夜会を好み、派手な装いを好む婚約者。
そして、自分が贈った髪飾り。
すべてが一つにつながったように思えた。
アレクシスは静かに目を伏せる。
「……そうか。」
その一言が、九年間積み重ねられた偽りを、真実だと信じる決定的な一歩となった。




