第三話 芽生えた野心
春の茶会を終えた馬車は、夕暮れの王都を静かに走っていた。
向かいに座るエレノアは、今日の出来事を楽しそうに父へ話している。
「王妃様から、新しい礼法を教えていただきました。」
「殿下もお変わりなく、お元気そうでした。」
「そうか。」
父は満足そうに頷いた。
「順調なようで安心した。」
エレノアは穏やかに微笑む。
その笑顔を見つめながら、セシリアは窓の外へ視線を向けていた。
頭に浮かぶのは、アレクシスの姿ばかり。
優しい笑顔。
穏やかな声。
目が合った時の、あの微笑み。
気付けば何度も思い返してしまう。
「セシリア?」
エレノアが優しく声を掛ける。
「今日は疲れましたか?」
「い、いいえ。」
セシリアは慌てて笑顔を作る。
「初めての茶会でしたので、少し緊張しただけです。」
「そうでしたか。」
エレノアは安心したように微笑んだ。
「今日はゆっくり休みましょう。」
「はい、お姉様。」
その優しい声に、胸が少し痛んだ。
屋敷へ戻ると、公爵は執務室へ向かった。
エレノアも王妃教育の復習をすると言って書庫へ向かう。
廊下にはアンナとセシリアだけが残った。
「今日はどうだった?」
アンナが穏やかに尋ねる。
「……とても素敵な一日でした。」
セシリアは自然と微笑む。
「王宮も、お庭も、とても綺麗で……。」
「そう。」
アンナも笑みを返す。
「それだけ?」
その一言に、セシリアの動きが止まった。
「え……?」
「王宮で、一番印象に残ったことは?」
セシリアは答えようとして口を閉じる。
言葉にしようとすると、胸が熱くなる。
やがて小さく俯いた。
「……分かりません。」
「でも。」
「殿下のお姿が、何度も頭に浮かぶんです。」
「どうしてでしょう。」
アンナは静かに娘を見つめた。
その頬は薄く紅潮し、瞳はどこか潤んでいる。
母親なら見間違えるはずがない。
(そういうことなのね。)
アンナは穏やかな笑みを崩さなかった。
「きっと初めての王宮だったからよ。」
「今日は疲れたでしょう。」
「早く休みなさい。」
「はい、お母様。」
セシリアは安心したように自室へ戻っていく。
その背中が見えなくなると、アンナはゆっくりと窓の外へ目を向けた。
庭では、書庫へ向かうエレノアが大切そうに本を抱えて歩いている。
未来の王太子妃。
誰もが疑わないその立場。
アンナは静かに目を細めた。
(あの子は確かに立派。)
(でも……。)
娘があれほど心を奪われた相手なら。
王太子妃という地位が、それほど価値のあるものなら。
(その場所に立つのが、セシリアであってはいけない理由があるのかしら。)
小さな野心が胸の奥で灯る。
まだ、それは炎ではない。
けれど、一度灯った火種は、静かに、確実に大きくなっていく。
アンナは誰にも聞こえない声で呟いた。
「手に入るものなら……手に入れてみせるわ。」
その日を境に、公爵家の歯車は少しずつ音を立て始めるのだった。




