第十九話 春を待つ庭
翌日。
北方別邸へ、一通の書簡が届けられた。
レオンはアルディス公爵家の紋章が刻まれた封蝋を見て、静かに封を切る。
そこには、レイモンド・アルディスからの感謝の言葉と、王宮へ正式に審理を願い出たことが丁寧に綴られていた。
読み終えたレオンは、書簡をそっと畳む。
「公爵からですか。」
エレノアが尋ねる。
レオンは穏やかに頷いた。
「公爵から、王宮へ正式に審理を願い出られたとのご連絡です。」
レオンは机の上へ視線を向けた。
そこには二人でまとめた証言書や記録が、整然と並べられている。
「私たちも、できることはすべてやりました。あとは王宮からの連絡を待ちましょう。」
エレノアは静かに頷いた。
「はい。」
これまで張り詰めていた心が、ほんの少しだけほどけていくのを感じていた。
静かな時間が流れる。
――コンコン。
控えめなノックの音が響く。
「失礼いたします。」
バーナードがティーワゴンを押しながら部屋へ入ってきた。
香り高い紅茶と焼きたての菓子が、丁寧にテーブルへ並べられる。
「お嬢様。」
「庭園の花壇も、蕾が少しずつ膨らんでまいりました。」
「この地の冬は厳しゅうございますが、春はもうすぐそこまで来ております。」
「よろしければ、お茶の後にご覧になってはいかがでしょうか。」
エレノアは窓の外へ目を向けた。
まだ花は咲いていない。
それでも、小さな蕾は確かに春を待っていた。
「……素敵ですね。」
思わずこぼれたその一言に、バーナードは嬉しそうに目を細めた。
「きっと、お嬢様にもお気に召していただけると思っておりました。」
レオンは静かにカップを置いた。
「お茶の後、ご一緒しませんか。」
エレノアは柔らかく微笑む。
「はい。ぜひ。」
***
二人は並んで庭園を歩く。
澄んだ空気の中、小鳥たちのさえずりが心地よく響いていた。
花壇には、春を待つ蕾が並んでいる。
エレノアは一つの蕾の前で足を止めた。
「もうすぐ咲くのですね。」
「楽しみです。」
そう言って微笑む。
その笑顔を見たレオンは、思わず足を止めた。
北方別邸へ来てから初めて見るような、心からの笑顔だった。
張り詰めていた表情は消え、その瞳は穏やかな光を宿している。
心から安堵する。
彼女には笑顔が似合う。
そう思った瞬間、自分でも説明できない願いが胸に芽生えていた。
(この方の笑顔を、もっと見ていたい。)
レオンは自分でも気付かぬうちに、優しく目を細めていた。
一方、エレノアは蕾を見つめたまま、小さく息を吐く。
(この花が咲く頃には……。)
レオン様は隣国へ戻られているのでしょう。
こうして並んで歩くことも、もうないのかもしれない。
胸の奥が少しだけ締めつけられる。
(咲いた姿を、レオン様と一緒に見られたらよかったのに。)
その想いを口にすることなく、エレノアはもう一度蕾へ微笑みかけた。
柔らかな風が二人の間を吹き抜ける。
まだ花は咲いていない。
けれど、その春は確かに近づいていた。
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