第十五話 動き始める者たち
北方領への旅は、静かに続いていた。
その日の宿へ到着した頃には、空は茜色に染まり始めていた。
夕食を終えた後、レオンは宿の中庭へ足を運ぶ。
夜風が木々を揺らし、虫の音が静かに響いていた。
ほどなくして、エレノアも姿を現す。
「眠れませんか。」
レオンが穏やかに尋ねる。
エレノアは小さく頷いた。
「少しだけ、風に当たりたくて。」
しばらく二人は黙って夜空を見上げていた。
やがてレオンが静かに口を開く。
「昨日、お約束しました。真実を明らかにすると。
そのためには、
あなたのお話を聞かせていただきたいのです。
もちろん、話したくないことまで
無理に伺うつもりはありません。」
エレノアは目を閉じた。
長い沈黙が流れる。
やがて、小さく頷く。
「……お話しいたします。」
エレノアは三年間の出来事を、一つひとつ思い返しながら語った。
アンナが公爵家へ嫁いできたこと。
幼いセシリアと、本当の妹のように過ごしていた日々。
三年ほど前から、教本や髪飾りがなくなるようになったこと。
やがて「体調が優れないのだから休みなさい」と言われ、王太子妃となるための教育へ向かえない日が増えたこと。
課題だけは欠かさず書き、毎回使用人へ託していたこと。
それなのに「未提出」と言われ、理由が分からないまま謝ることしかできなかったこと。
部屋で過ごす日が増え、食事も運ばれてくるようになったこと。
当時は、それが自分を気遣ってのことだと信じていたこと。
そして、いつしかアレクシス殿下と会う機会もなくなり、公の場から姿を消していったこと。
「……これが、私の知っているすべてです。」
レオンは最後まで一度も口を挟まなかった。
「ありがとうございます。
おつらいことを思い出させてしまいました。」
エレノアは静かに首を横へ振る。
「いいえ。
私も、思い出せることは全てお話したいのです。
少しでも、真実に近づくために。」
レオンは穏やかに微笑んだ。
「そのお気持ちだけで十分です。
調査は私が進めます。」
すると、エレノアは真っ直ぐレオンを見つめた。
「レオン様。
私にも、できることをさせてください。」
「何をお考えですか。」
「今日お話ししたことを、すべて書き残します。
年月は曖昧でも、
出来事なら思い出せるかもしれません。
小さなことでも記しておけば、
何かの手掛かりになると思うのです。」
レオンは静かに頷いた。
「それは良い考えです。
あなたにしかできない、大切な役目です。」
「ありがとうございます。」
「一緒に真実を見つけましょう。」
「はい。」
その夜。
レオンは護衛隊長を部屋へ呼んだ。
「調査対象に変更はありません。」
「王妃教育。」
「アルディス公爵家の使用人。」
「公爵夫人アンナ。」
「セシリア嬢。」
「加えて、課題の提出経路。」
「エレノア様の部屋への出入り。」
「三年前から現在までの生活状況。」
「一つずつ確認してください。」
「どんな小さなことでも見逃さず、報告を。」
「承知いたしました。」
護衛隊長は深く一礼し、部屋を後にした。
同じ頃。
王都――アルディス公爵家。
書斎で一人、公爵は古い書類に目を通していた。
幼い日のエレノアが受けた教育の記録。
王妃教育が始まった頃の報告書。
教師たちから寄せられた評価。
どの紙にも、同じような言葉が並んでいた。
『努力家』
『礼儀正しい』
『将来が楽しみ』
公爵は静かに目を閉じる。
「……なぜ私は、気付けなかった。」
三年前。
娘が変わったのではない。
娘を取り巻く環境が変わっていたのではないか。
そんな考えが、初めて胸をよぎった。
公爵は立ち上がる。
「明日、王宮へ向かう。」
「もう一度、教師方のお話を伺おう。」
父として。
今度こそ、自分の目で娘の歩んできた道を確かめるために。
北方領では、エレノアが机へ向かっていた。
王都では密偵たちが静かに調査を始める。
失われた三年間。
その真実へ向けて、それぞれが歩き始めていた。




