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婚約破棄された公爵令嬢ですが、すべては九年前から始まっていました  作者: 若松りこ


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第十三話 旅立ち

婚約破棄から五日。


アルディス公爵家には、重苦しい空気が流れていた。

執務室では、公爵が静かに窓の外を見つめている。

向かいにはアンナとセシリアが座っていた。


「……エレノアは食事を摂っているか。」


公爵が静かに尋ねる。

アンナは悲しげに目を伏せた。


「以前よりは召し上がっておりますが、それでも十分とは言えません。」


「夜も眠れていないようです。」


公爵は小さく息を吐いた。


「そうか……。」


セシリアが遠慮がちに口を開く。


「お父様。…私、お姉様のお部屋へ伺いました。」

ですが、お会いできませんでした……。

きっと、私の顔も見たくないのでしょう。」


公爵は首を横に振る。


「違う。

今は、誰にも会いたくないだけだ。

お前のせいではない。」


セシリアは俯き、小さく頷いた。


「……はい。」


しばらく沈黙が流れる。

やがて公爵は静かに立ち上がった。


「私は今でも、エレノアが努力を怠ったとは思っていない。」


アンナの表情が一瞬だけ強張る。

だが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。


「ですがあなた。」


「王太子殿下ご自身がお決めになられたことです。

王妃教育の記録も、課題もございます。

殿下も最後まで悩まれた末のご決断でしょう。」


公爵は苦しそうに目を閉じた。


「……分かっている。

だからこそ、このまま王都へ置いてはおけない。

ここにはエレノアを傷つける言葉が多すぎる…。

療養の準備を進めよう。」


公爵はエレノアの部屋へ向かう。

窓辺に座る娘は、以前よりもやつれて見えた。

それでも父の姿を見ると、微笑もうとする。


「無理をしなくていい。」


その一言で、張り詰めていた心が少しだけ緩む。

公爵は娘の前へ腰を下ろした。


「私は、お前を信じている。」


エレノアの瞳が揺れる。


「……ありがとうございます。

ですが、私は何一つ証明できませんでした。

殿下も、お父様も、皆様にご迷惑を……。」


「違う。」


公爵は静かに首を横へ振る。


「父親である私が、お前を守れなかった。

それが一番悔しい。」


しばらく沈黙が流れる。


「エレノア。」


「北方の領地で静養しないか。

王都を離れ、少し心を休めてほしい。」


エレノアはゆっくり頷いた。


「……分かりました。」


翌朝。

公爵家の門前には馬車が停められていた。

一人の青年が公爵へ一礼する。


「お待ちしておりました、アルディス公爵。」


公爵も深く頭を下げた。


「このたびはお力添えいただき、誠にありがとうございます。」


エレノアは青年の姿を見て、小さく目を見開く。


(あの方は……。)


婚約破棄の日。

人気のない回廊で、何も聞かずにハンカチを差し出してくれた青年だった。


公爵が静かに紹介する。


「エレノア。

こちらは隣国第二王子、レオン殿下だ。

今回、北方領までの護衛を買って出てくださった。」


エレノアは驚き、慌てて深く頭を下げた。


「……あの時は失礼いたしました。

殿下とは存じ上げず……。」


レオンは穏やかに微笑む。


「お気になさらないでください。

あの時は、

一人のご令嬢へハンカチをお貸ししただけです。」


その言葉に、エレノアの表情が少しだけ和らぐ。

公爵は娘を見つめる。


「エレノア。

レオン殿下なら安心してお任せできる。

少し休んでおいで。」


エレノアは父を見つめ、静かに頷いた。


「……行ってまいります。」


「必ず迎えに来る。」


「はい。」


父娘は短く言葉を交わす。

それだけで十分だった。

馬車はゆっくりと王都を離れていく。


しばらく沈黙が続いた。


レオンは無理に話しかけようとはしなかった。

エレノアもまた、窓の外を見つめたままだった。


やがてレオンが静かに口を開く。


「エレノア様。

今は、何もお話しくださらなくて構いません。

ですが、一つだけお伝えしたいことがあります。」


エレノアはゆっくりと顔を上げる。


「私は。あなたが努力を怠るような方だとは

思っておりません。」


その一言に、エレノアの瞳が大きく揺れた。


婚約破棄の日以来。

初めて、自分を信じると言ってくれた人がいた。

言葉は出なかった。

それでも胸の奥で、凍りついていた何かが、ほんの少しだけ溶け始める。


馬車は静かに北へ向かう。


誰もまだ知らない。

この旅が、失われた真実を取り戻す最初の一歩になることを。

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