自由なヤツと、そうじゃないヤツ
第四十八話
夏休みも、残りわずか。
照りつける日差しの中、
免許センターの建物を見上げる。
(……懐かしいな)
前にも、来たことがある。
――前世で、だ。
独特の空気。
妙に事務的な案内。
待ち時間の長さ。
全部、なんとなく覚えている。
(あの時も、こんな感じだったか)
少しだけ笑う。
「はい、次の方ー」
呼ばれて、手続きを進める。
写真を撮って、
書類を受け取って、
最後の確認。
そして――
「おめでとうございます」
その一言で、
全部が終わった。
(……取れたか)
小さく息を吐く。
卒検も問題なし。
筆記も一発。
そして今日、
晴れて――
自動二輪免許、取得。
「……よし」
ポケットの中で、
カードを軽く握る。
妙に、現実味がある。
(また乗れるんだな)
あの感覚。
風を切る感じ。
エンジンの振動。
全部、身体が覚えている。
(ま、今は別の身体だけどな)
苦笑する。
このあと――
翔太のガレージへ向かう。
俺のバイク。
整備も、保険も、
全部済んでいる。
「KH400……」
口に出してみる。
自然と、口元が緩む。
(最高だ)
「……行くか」
外に出てもう一度、空を見上げてから、
ゆっくりと歩き出した。
————————
駅直結のデパート。
開店直後から化粧品フロアは、ずっと賑わっている。
「いらっしゃいませ」
美月はカウンターに立つ。
整えられたメイク、
柔らかな笑顔。
すべて“仕事用”。
客の視線、足の止まり方で、
一瞬で見極める。
(迷ってるタイプね)
「こちら、新作なんです」
自然に声をかける。
押しすぎず、引きすぎず。
「お試しになりますか?」
一歩だけ踏み込む。
「……じゃあ」
(ほらね)
指先で軽く整え、
鏡を向ける。
「お似合いです」
言い切る。
迷わせない。
「これ、ください」
「ありがとうございます」
完璧な笑顔のまま、
内心で思う。
(簡単)
欲しいと思わせればいい。
男も女も――同じ。
*
昼下がりの化粧品カウンター。
ひと段落ついたタイミングで、
結衣がそっと近づいてくる。
「美月先輩、今日の夜は来てくれますか?」
甘えるような声。
周りに聞こえない距離感。
「気が向いたらね、考えとくわ」
視線も向けずに返す。
「サトルくんも来るんで、お願いします」
少し食い下がる。
「それじゃぁ、二人の邪魔したくないから、遠慮しとく」
さらりとかわす。
「そんな、イジワル言わないで下さい」
拗ねたように笑う結衣。
その様子を、
美月は横目で見る。
(可愛い)
表情は崩さないまま、
心の中でだけ、口元が緩む。
(いいのを手に入れたわね)
男も、女も。
どちらも――
手の中。
(さて、今日はどう遊んであげようかしら)
「……また、仕事終わったら連絡して」
それだけ言って、
美月は次の客へ向き直った。
————————-
シャッター半開きのガレージ。
中から、工具の音が響く。
「遅ぇよ」
翔太が振り返る。
「免許、取れたか」
「ああ」
ポケットを軽く叩く。
「大将、今日、バイト……」
「休みでいいぞ」
あっさり言う。
「乗りたいだろ」
「助かる」
「その代わり事故んなよ」
「気をつけるよ」
「頼むぜ、委員長に怒られちまう」
翔太は笑う。
工具を置いて、
奥を顎で指した。
「一応、整備はしてある」
それだけ言う。
余計なことは言わない。
大河も、
それ以上は聞かない。
「……ありがとう、大将」
短く返す。
翔太は一瞬だけ、
大河の方を見る。
何か言いかけて――やめる。
「鍵、そこだ」
ぶっきらぼうに言う。
*
「メットは?」
翔太が何気なく聞く。
「あっ、忘れてた」
「マヌケめ」
即ツッコミ。
「ダチのがいくつかある。好きなの持ってけ」
棚を顎で指す。
「ありがとう、大将」
(……俺のじゃねーか)
内心でぼやく。
「若干、加齢臭するかもだから、帰ったらファブっとけ」
「……」
(テメーも同類だろうが)
無言で流す。
棚に並ぶヘルメットに目をやる。
族ヘル。
コルク帽。
派手なのがいくつか。
(……なんか違うな)
手を伸ばして、止める。
選んだのは――
シンプルなジェット。
(これだな)
かつて使っていた感覚。
自然と、しっくりくる。
「それでいいのか?」
「ああ」
「地味だな」
「落ち着いてんだよ」
「ガキのセンスじゃねぇな」
「中身はな」
ぼそっと呟く。
「?」
「若者は族ヘルは被んねーと思う」
「うんなこたぁネーだろ」
二人で笑う。
*
シャッターの外に車体を引き出す。
日差しの中に出ると、
ライムグリーンの車体が少しだけ鈍く光った。
翔太が後ろでシャッターを下ろす。
ガラガラと音がして、
最後に鍵を掛ける。
「俺ぁ、仕込みあるからよ」
振り返らずに言う。
「気ぃ付けてな」
「ああ」
短く返す。
翔太はそのまま原付にまたがる。
「事故んなよー」
エンジン音を残して、
そのまま走り去っていった。
静かになる。
大河はポケットからスマホを取り出す。
「……もしもし、霧島」
用件だけ伝える。
「いつものコンビニな」
通話を切る。
一呼吸。
視線を、目の前の車体に落とす。
「……さて」
軽く跨る。
足に伝わる重さ。
グリップを握る感触。
(問題ねぇな)
キックを踏み込む。
――一発。
乾いた爆発音。
続いて、
独特のリズム。
「……いい音だ」
思わず、口元が緩む。
2スト特有の鼓動。
軽く煽ると、
甲高い音が弾ける。
(バラチャン、最高かよ)
スロットルをひねる。
煙とともに、
音が伸びる。
「……行くか」
ゆっくりとクラッチを繋ぐ。
車体が前に出る。
そのまま――
走り出した。
*
霧島といつものコンビニで合流した。
港まで、流すように走る。
片道三十分。
風はまだ熱いが、
海の匂いが少しだけ混じる。
バイクに乗ると自由になる気がするのは俺だけだろうか?
並んで停める。
エンジンを切ると、
急に静かになる。
自動販売機の前。
「納車祝いだ。奢るよ」
霧島がコインを入れる。
「悪いな。ありがとよ」
缶コーヒーを受け取る。
プルタブを開ける音。
「しかし、派手だな」
ライムグリーンを見て、苦笑い。
「そうか?」
「目立つだろ、それ」
「カッチョいいだろ」
他愛もない話を、少しだけ。
時間にしては短い。
でも、青春再び。
控えめに言って、最高だ。
「そろそろ帰るか」
「ああ」
再びエンジン音。
帰り道。
途中まで並走して、
住宅街の手前で分かれる。
霧島が先にウインカーを出す。
軽く手を上げて、
そのまま曲がっていった。
大河も、少し遅れてスロットルを戻す。
(……上手くなったな)
最初に見た時は、
正直、少しだけヒヤッとした。
でも今は――
安心して見ていられる。
(霧島、夏休み相当乗ったんだな)
そのまま、
家の方へ向きを変えた。
——————-
結衣からの連絡は、ほとんど懇願に近かった。
あの夜以降、
何度か同じ時間を重ねた。
刺激と、甘さと、
少しの背徳。
その度に――
二人は少しずつ、形を変えていった。
(素直でいいわ)
部屋のドアを開ける。
「美月先輩、嬉しいです」
結衣が駆け寄る。
「美月さん、ワイン注ぎますね」
サトルもどこか緊張した様子で続く。
美月は二人を見渡して、
小さくため息をついた。
「……あなた達」
「?」
「違うでしょ」
静かに言う。
「何故、そんなに構えてるの?」
その一言で、
空気が変わる。
結衣とサトルが顔を見合わせる。
「もっと、楽にしなさい」
「……はい」
慌てて動く二人。
美月はヒールを脱ぎ、
結衣がゆっくりとソファへ案内する――が、
途中で足を止める。
「結衣」
「はいっ」
「そこじゃない」
視線だけで示す。
サトルが一瞬迷い、
すぐに理解する。
「……はい」
低く答え、
その場に身を落とす。
美月は何も言わず、
その上に腰を下ろした。
「結衣」
「……はい、美月先輩」
「ちゃんと、理解してね」
差し出された足先。
結衣は一瞬だけ躊躇して――
すぐに表情を整える。
「……はい」
静かに応じる。
部屋には、
ワインの香りと、
わずかな緊張が混ざる。
美月はグラスを傾けながら、
二人を見下ろした。
(いいわ)
(ちゃんと、分かってきてる)
口元が、わずかに緩む。
(もう少しで――完成ね)
*
美月はソファに移り身体を預ける。
「……疲れてるの」
小さく息を吐く。
「マッサージ、させて頂きます」
サトルがすぐに応じる。
「……頼める?」
足を軽く伸ばす。
サトルはその足元に座り、
つま先から、慎重に触れていく。
最初はぎこちなく、
だが次第に手つきが変わる。
ふくらはぎ、
膝、
そして――
少しずつ上へ。
サトルの呼吸が、わずかに乱れ始める。
その変化を、
美月は見逃さない。
くすりと笑う。
向かいでは、
結衣がグラスを握りしめている。
視線は逸らさない。
逸らしたくないらしい。
「……ありがと」
美月はゆっくり身体を起こす。
「お返し、するわ」
サトルの顎に触れ、
そのまま引き寄せる。
距離が一気に近づく。
サトルの意識は、
完全に持っていかれる。
結衣の表情が揺れる。
「サトルくん……」
思わず立ち上がりかける。
だが――
「結衣、ダメよ」
静かな一言。
それだけで、動きが止まる。
「……先輩」
声が震える。
「お願い……」
「見てなさい」
きっぱりと遮る。
「ちゃんと」
その言葉の意味を、
結衣は理解してしまう。
視線を落とし、
震えながらも――従う。
自分でも分からない感情が、
ぐちゃぐちゃに絡み合う。
好き。
嫌。
見たくない。
でも、目が離せない。
美月はその様子を横目で見ながら、
ゆっくりとサトルとの距離を詰めていく。
サトルは抗えない。
完全に引き込まれている。
部屋の空気が、
重く、甘く、絡みつく。
「そう……すごいわ」
美月の声だけが、
静かに響く。
結衣は唇を噛み、
自分を抑えきれないまま、
ただ従うしかない。
美月はグラスを傾けながら、
二人を見下ろした。
(いいわ)
(ちゃんと壊れてきてる)
目を細める。
(もう、戻れないわね)
*
サトルの呼吸が、限界まで乱れる。
やがて――力が抜けた。
その場に崩れるように沈む。
少し遅れて、
向かいの結衣もまた、
堪えきれずに身体を震わせている。
静寂。
荒い呼吸だけが残る。
それでも――
結衣の視線は、
まだ美月から離れない。
「……先輩」
かすれた声。
「お願い……」
縋るように。
満たされたはずなのに、
足りない。
「そんなにしてるのに」
美月は小さく笑う。
「悪い娘ね」
結衣は首を振る。
「……先輩、私も」
その言葉に、
美月はゆっくりとグラスを置いた。
「なら――」
視線を落とす。
「あなたが、キレイにしなさい」
命令。
迷いはない。
結衣は一瞬だけ目を伏せ、
そして――頷く。
「……はい、美月先輩」
距離が、ゆっくりと縮まる。
サトルはその様子を、
動けないまま見ている。
部屋の空気は、
さらに濃くなる。
美月は背もたれに身体を預け、
すべてを受け入れるように目を細めた。
(いいわ)
(ちゃんと、形になってきた)
結衣の動きはまだぎこちない。
それでも、
必死に応えようとしている。
その姿を見下ろしながら、
美月は静かに息を吐く。
(可愛いわね)
(本当に)
—————————
マンションの前にバイクを止める。
エンジンを切ると、
さっきまでの音が嘘みたいに静かになる。
メットを外して、
軽く息を吐く。
「……」
視線をずらす。
「いたのか」
街灯の下。
いつもの場所に、ノア。
「いいかげんにアポ取ってから来いよ」
「免許取れたんだ」
こっちの言葉は無視。
「ああ」
短く返す。
ノアはバイクを一瞥する。
「へぇ……いいじゃない」
「だろ」
「私も買おうかなぁ、バイク」
「いいよな、金持ち設定」
適当に返す。
ノアは肩をすくめる。
「普段は警察官、実態はお金持ちの御令嬢」
「よくある設定よ」
「正体は――」
少し間を置く。
「高飛車なあの世の住人だろ」
「失礼ね」
あっさり返す。
「事実だろ」
「否定はしないわ」
「する気もねぇだろ」
小さく笑う。
ノアはもう一度バイクを見る。
「……でも、似合ってるわよ」
「ガキのくせに、って言わないのか?」
「言わない」
少しだけ目を細める。
「アンタ、中身オッさんだもの」
「うるせー」
ふっと視線を外す。
いつもの調子。
「で、何しに来た」
「別に」
「顔見に来ただけ」
「暇人か」
「忙しいわよ」
即答。
「だから、こういう時間くらいは好きにするの」
「都合いいな」
「でしょ?」
軽く笑う。
夜風が少しだけ涼しい。
さっきまでの熱が、
ゆっくり引いていく。
「……じゃあ、帰るわ」
ノアが背を向ける。
「また来る」
「だからアポ取れって」
「考えとく」
考えないやつだ。
そのまま、
音もなく去っていく。
「……自由だな、あいつ」
小さく呟く。
ポケットに手を突っ込み、
大河はマンションの駐車場のゲートを開けた。




