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正義の味方はブラック業務  ——転生って異世界がテンプレじゃないの?(涙)——-  作者: 中林 旭G3


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堕ちる

第四十九話




リビングに差し込む光が、


やけに現実感を連れてくる。


夏休みも――残り、あと数日。


テーブルの上には、


出しっぱなしの教科書と課題。


(……まぁ、なんとかなるだろ)


牛乳を一口。


そんなことを考えていると――


「タイガくん」


声がかかる。


キッチンに立つ静香。


やはり俺にとっては、


どこか“委員長”のままだ。


「夏休み、もうすぐ終わりだけど」


少しだけ振り返る。


「準備、できてる?」


「あー……一応….」


曖昧に返す。


静香はじっとこちらを見る。


「本当?」


「たぶん」


「たぶんって……」


小さくため息。


(……変わんねぇな)


昔と同じ反応。


いや、立場は全然違うんだけど。


「あと数日あるからって、油断しないの」


「はいはい」


軽く流す。


「最後で焦るタイプみたいね、タイガくん」


「否定はしない」


即答。


静香が少しだけ笑う。


「でしょ」


そのまま視線を戻す。


「まぁ、無理しない程度にね」


「了解」


短く返す。


会話はそこで途切れる。


穏やかな朝。


(……息子、上手くやれてるよな….)


ぼんやりと、そう思う。



———————-



スマホに着信。


画面には――霧島。


(嫌な予感しかしねぇな)


通話に出る。


「なんだ」


『大河』


妙に落ち着いた声。


『夏休みの課題って、知ってるか?』


「……霧島、お前……」


間。


『恐ろしい話だ』


「大袈裟だな」


『夏休みの学生には、ほぼもれなく課されるという……』


「分かったって」


『逃れられぬ宿命……まさに、夏の怪談――』


「やってないんだろ?」


ぴたり、と止まる。


『……』


「……まったく?」


『……白川くん』


呼び方が変わった。


『キミも、同類だよね?』


「……あと少しだ」


『この、裏切り者ォォォッ!!』


「うるせぇよ」


思わずスマホを耳から離す。


『どうするんだよ! あと数日だぞ!?』


「んじゃ、サクッとやれよ」


『それが出来たら電話してねぇよ!』


「知らねぇよ」


『頼む、見せてくれ……いや、見せてください白川様……!』


「断る」


『即答!?』


「当たり前だろ」


小さくため息。


「自力でなんとかしろ」


『くっ……友情ってなんだ……』


「軽いな、お前の友情」


『いいじゃねぇか減るもんじゃねぇし!』


「俺の努力が減るわ」



——————



午前中。


当たり前みたいな顔で霧島がやって来た。


「……何故来た?」


「……課題を写すためだ」


即答だった。


迷いも、恥もない。


「霧島……」


俺は深く息を吐く。


「昔の偉人サンが残したであろう、有難い言葉、知ってるか?」


「なんだよ?」


「若い時の苦労は、買ってでもしろ……だ」


一拍。


霧島は真顔のまま言う。


「……俺は金を払うんなら楽がしたい」


「……霧島」


「なんだよ」


「ロクな大人にならんゾ、お前。人生の落伍者待ったなしだ」


「うるせぇな」


適当なやり取り。


それでも、どこか気楽で、


こういう時間は嫌いじゃない。


「小春と澪も後から来るゾ」


霧島がノートを開きながら言う。


「……だから何故?」


騒がしくなる未来が見える。


しばらく、


どうでもいい話を続けながら、


ペンだけは一応動かす。


――が。


「……大河」


ふと、霧島が口を開いた。


「お前、北条のこと聞かねぇんだな?」


「……あぁ?」


顔も上げずに返す。


「あの手のやつは、どこにでもいんだろ」


「……こないだまで寝てたのに」


霧島が笑う。


「人生、何回目だよお前」


「……一般的にだ」


軽く流す。


深く突っ込まれると面倒だ。


霧島も、それ以上は追わない。


「中学ん時よ」


ぽつりと続ける。


「あいつが絡んできてよ。ボコったんが始まりだ」


ペンを止める。


「……」


「俺が小春といつも一緒にいるから気に入らんらしい」


肩をすくめる。


「まぁ、分かりやすいヤツだ」


「……」


「んで、年下にやられたのがムカついたんだろうな」


少しだけ、苦笑。


「取り巻きに囲まれて、今度は俺がボコられたってわけ」


「……へぇ」


淡々と聞く。


「まぁ、そのまま終わる俺様じゃねぇけどな」


霧島がペンを回す。


「一人ずつ、やり返した」


「威張って言うな」


想像はつく。


「んで――」


少しだけ間。


「こないだの国沢さん」


「ああ」


「中学の先輩でさ」


霧島の声が、ほんの少しだけ柔らぐ。


「格闘技の先輩でもある」


「……なるほどな」


あの場の空気を思い出す。


納得は、できる。


「だからまぁ……」


霧島は肩の力を抜く。


「完全に一方的ってわけでもねぇんだよな」


「……ふーん」


ペンを動かしながら返す。


「面倒くせぇな」


「だろ?」


短く笑う。


その空気が、


さっきまでと同じ“いつもの”に戻る。


「で、今の問題はコイツだよ」


霧島がノートを差し出す。


「そうだな」


「由々しき問題だ」


「……はぁ」


夏休み、残り数日。


課題も、人間関係も、


なかなか一筋縄ではいかないらしい。




———————-




立ちっぱなしの時間が、ようやく途切れる。


店内の喧騒から一歩引くだけで、


世界はこんなにも静かになる。


鏡越しに見る自分は、


さっきまでと同じ顔のはずなのに、


どこかスイッチが切り替わっている。


(……さて)


仕事の顔を外し、


ほんの少しだけ素に戻る時間。


美月は軽く息を吐き、


休憩室のドアを押した。


休憩室。


ひと息ついて、スマホを手に取る。


通知が一件。


――中原 司。


(あら、珍しい)


トークを開く。


『今日、時間あるかな?

久しぶりに、少し刺激が欲しくてね。

気が向いたら連絡してほしい』


相変わらず、


遠回しで、余裕のある言い回し。


美月は小さく笑う。


(中原 司……)


会社経営者。


金はある。


時間も、作る。


そして――


(ただの変態)


思い出すだけで、


少しだけ口元が緩む。


(いいわね)


指先で画面をなぞる。


少し考えてから、


短く打つ。


『ホテルのいい部屋で、飲みながらなら』


一拍置いて、


さらに続ける。


『一緒に楽しめる友達、連れて行く』


送信。


既読はすぐについた。


(さて……どう出るかしら)


スマホを伏せて、


美月は静かに息を吐く。


その目は、


もう次の“遊び”を見据えていた。




—————————




気づけば、いつもの面子が揃っていた。


そして何故か――場所は俺の家。


リビングのテーブルには、


教科書とノートと、現実逃避の気配。


「……なんで、お前らウチなんだよ」


「そういう流れだったろ」


霧島が当然のように言う。


「どんな流れだよ」


記憶にないぞ、そんな流れ。


「タイガくん、ごめんね。迷惑だったよね」


澪が申し訳なさそうに言う。


「あー、いや……迷惑ってわけじゃ――」


「タクちゃん、タイガー見て」


食い気味に小春。


「澪ちゃんには超優しいよ」


「差別だよね、コレは」


「だな」


即座に乗る霧島。


「レイシストだよ。タイガーは」


飛躍がすぎるだろ、小春。


「小春、黙れ」


「……タクちゃん……」


小春が肩を震わせる。


「タイガーは変わっちまったヨ……」


「何キャラだよ」


「あたしゃ、悲しいよ……」


「だな」


「お前も黙れ霧島」


ツッコミの連打。


「いやでも実際、澪ちゃんには優しいよね」


小春がまだ言う。


「普通だよ」


「さっき声のトーン違ったし」


「違わねぇよ」


「優しさがにじみ出てた」


「にじむかそんなもん」


「出てたし」


「もういいから課題やれ!」


ようやく本題に戻そうとする。


が――


「で、どこからやる?」


霧島がノートを開く。


「お前はまず最初からだろ」


「えっ、最初から!?」


澪が驚く。


「地獄じゃん」


小春、辛辣。


「….だな…」


霧島は現実を受け入れた様だ。



————————-



駅からほど近いホテル。


中原の会社が手掛けるその建物は、


外観からして、どこか落ち着いた格を漂わせていた。


通されたのは最上階。


広く取られたスイートルームは、


無駄な装飾こそないが、


ひとつひとつが上質で整えられている。


(さすがね)


美月は軽く室内を見渡す。


その後ろで、


結衣とサトルはわずかに足を止めていた。


見慣れない空間。


漂う空気。


自然と、警戒がにじむ。


「よく来てくれたね」


低く、落ち着いた声。


ソファの前に立つ男――中原 司。


無駄のない身なり、


余裕を感じさせる佇まい。


その視線が、三人を順に捉える。


結衣とサトルの表情が、わずかに強張る。


「こちら、中原社長」


美月が一歩前に出る。


「私が、随分前からお世話になってるの」


「お世話になっているのは、どちらかわからないけど」


軽く笑う。


冗談とも本音ともつかない声音。


そのまま、自然な仕草で手を広げた。


「さぁ、そんなに緊張しないで」


「楽しみましょう」


柔らかいが、どこか逃げ場を与えない響き。


「ウチのホテルは、料理もそこそこ評判がいいですよ」


視線が結衣とサトルに向く。


「美月さんのお友達には――」


一拍。


「特別なおもてなしを、させて頂きますよ」


その言葉に、


空気がわずかに重くなる。


結衣が息を飲み、


サトルも無意識に姿勢を正す。


美月だけが、


わずかに口元を緩めていた。


(いいわね)


(始まりそうだわ)



テーブルには、


彩りよく並べられた料理。


グラスの中のワインも、


いつの間にか二杯目、三杯目と進んでいた。


最初にあった張り詰めた空気は、


ゆっくりとほどけていく。


結衣もサトルも、


少しずつ肩の力が抜けていた。


「……そうですか」


中原がグラスを傾けながら言う。


「サトルさんは、税理士さんなんですね。素晴らしい」


「いえ……と言っても、雇われの身の駆け出しで」


サトルは照れたように笑う。


「それでも立派ですよ」


穏やかな声。


否定する余地を与えない、


自然な持ち上げ方。


「それじゃあ、いずれは独立されるんでしょう?」


「そう……できれば、ですけど」


「できるかどうか、ではなく」


中原は軽く視線を上げる。


「するかどうか、ですよ」


静かに言い切る。


その言葉に、


サトルの表情がわずかに引き締まる。


「独立して――」


中原の視線が、結衣へと移る。


「結衣さんを、幸せにしてあげないとですね」


不意に振られた言葉に、


結衣の顔がぱっと緩む。


「……はい」


思わず、そんな返事が出る。


中原は小さく頷く。


「何かの縁です」


グラスを置きながら、


さらりと言う。


「独立された時は、私も微力ながらお力をお貸ししますよ」


「えっ……」


サトルが目を見開く。


冗談には聞こえない。


かといって、


重すぎる押しつけでもない。


絶妙な距離感。


「いえ、そんな……」


言葉に迷うサトルに、


中原は軽く笑う。


「遠慮は無用ですよ」


「人の縁は、大事にする主義なので」


その一言で、


場の空気がまた少し柔らぐ。


結衣も、サトルも、


明らかに警戒を解いていた。


――自然に。


美月はグラスを揺らしながら、


その様子を眺める。


(上手いわね)


(こうやって、懐に入るの)


中原は何も強要していない。


ただ、


気づけば距離が縮まっている。


(さすがね)


美月は静かに微笑んだ。


(だから、面白いのよ)



グラスが何度も満たされ、


時間の感覚がゆるやかにほどけていく。


会話も、距離も、


最初よりずっと近い。


「社長、結衣かわいいでしょ?」


美月が軽く笑いながら言う。


隣で、結衣が少しだけ身を固くする。


「そうだね」


中原は穏やかに頷く。


「でも――サトルさんも、かなり魅力的な青年だと思うよ」


不意に向けられた言葉に、


サトルが一瞬戸惑う。


「でしょ?」


美月は満足そうに微笑む。


「私が最近、一番可愛がってる二人なの」


「そうなんだね」


中原の視線が、


ゆっくりと三人の間を巡る。


「結衣、こっちにおいで」


美月がソファを軽く叩く。


結衣は一瞬だけ迷う。


けれど――


その視線から逃げることはできない。


「……はい」


小さく答えて、隣に座る。


その距離は、


さっきまでよりもずっと近い。


美月の指先が、


何気ないように結衣に触れる。


ほんのわずかな接触。


それだけで、


結衣の身体がわずかに反応する。


「……」


呼吸が浅くなる。


「本当に可愛らしい」


中原が静かに言う。


その声には、


感心と、別の何かが混じっている。


「でしょ」


美月は楽しそうに返す。


結衣の呼吸が、


少しずつ乱れていく。


場の空気が、


ゆっくりと質を変えていく。


「ああ、美月さん」


中原がグラスを置く。


「僕も――少し、気分が高まってきたよ」


言葉は穏やか。


だが、その意味は曖昧じゃない。


美月は目を細める。


「そう」


軽く頷いてから、


視線をサトルへ向ける。


「サトルさん」


その一言で、


空気が張り詰める。


「社長に、少しお近づきになってみたら?」


柔らかい言い方。


けれど、


逃げ道は用意されていない。


「え……?」


サトルの声が揺れる。


「いいのかい?」


中原はあくまで落ち着いたまま問う。


美月は微笑む。


「かまわないわよね?」


ゆっくりと、念を押す。


「サトルさん」


言葉ではなく、


選択を差し出すように。


サトルは視線を落とす。


迷い。


躊躇。


それでも――


「あなた」


美月が静かに続ける。


「社長に気に入られるチャンスよ」


間。


「結衣を幸せにするんじゃないの?」


その一言が、


背中を押す。


結衣が息を飲む。


サトルの指先が、


わずかに震える。


そして――



結衣の意識は、


目の前と、別の場所とで引き裂かれていた。


美月の指先が触れるたびに、


身体は正直に反応してしまう。


あと少しで――


そう分かるのに、


どうしても視線が逸らせない。


(……あっち……)


サトルの方。


何が起きているのか、


はっきり見ているわけじゃない。


それでも、


空気と、音と、


断片的な気配で理解してしまう。


「結衣」


美月の声。


甘く、逃げ場を与えない。


「一人で出来るわね?」


「えっ……そんな……」


息が揺れる。


思考が追いつかない。


「今は――」


美月が静かに囁く。


「サトルさんを、盛り上げてあげなくちゃ」


その言葉に、


結衣の胸が強く脈打つ。


視線の先では、


サトルが必死に何かに応えている。


ぎこちなく、


それでも逃げずに。


その様子に、


胸の奥がざわつく。


(どうして……)


好きな人なのに。


目を逸らしたいのに、


逸らせない。


美月はゆっくりと立ち上がる。


いつの間にか、


余計なものはすべて取り払われている。


そのまま、


静かにサトルのそばへ。


「……頑張ってるじゃない」


からかうような、


それでいてどこか優しい声音。


サトルは何も言えない。


ただ、


必死にその場に留まっている。


その様子を一瞥して、


美月はふっと笑う。


そして――


自然な流れのまま、


もう一つの“緊張”に触れる。


触れられた瞬間、


サトルの身体がびくりと反応する。


分かりやすいほどに。


「……素直ね」


指先が、


ゆっくりと動き始める。


一定のリズム。


逃げ場のない感覚。


サトルの呼吸が乱れる。


それでも、


目の前の役割から逃げることはできない。


結衣は、


その光景を見ている。


見せられている。


自分は、


一人で取り残されているはずなのに――


身体は、止まらない。


(なんで……)


分からないまま、


ただ、


その場に縛りつけられていた。


中原は何も言わない。


ただ、


目を細めてその空気を味わっている。


すべてを受け入れ、


すべてを楽しむように。


部屋の中には、


もう言葉はほとんどない。


代わりに、


重なり合う呼吸と、


わずかな音だけが、


静かに広がっていた。



サトルは、ふっと顔を上げる。


息が乱れている。


「……美月さん、もう……」


声がかすれる。


限界に近いのは、


見ていれば分かる。


「ダメよ」


美月はあっさりと言う。


「社長より先なんて、おかしいでしょ」


逃げ道はない。


中原は穏やかに笑った。


「サトルさん、ありがとう」


その一言に、


労いと、次を促す響きが混ざる。


「今度は――こちらで楽しもう」


静かな声音。


だが、その意味は十分に伝わる。


サトルの身体が、


ぎこちなく動かされる。


自分の意思というより、


流れに従うしかない。


「……っ」


思わず漏れる息。


中原の手が、


ゆっくりと背後から触れていく。


確かめるように、


なぞるように。


やがて、


その距離は完全に詰まる。


逃げ場は、もうない。


サトルの表情が歪む。


戸惑いと、


押し寄せる感覚と、


それでも抗えない現実。


美月はそれを見ていた。


(あぁ……たまらない)


グラスを傾けながら、


目を細める。


(その顔……)


(ツラいのね)


(分かるわ)


(“社長の”は、凶暴だもの)


中原は何も急がない。


ただ、


ゆっくりと、


確実に、


相手を支配していく。


「……サトルくん……」


結衣の声。


心配そうに揺れる。


けれど――


その手は止まらない。


むしろ、


さっきよりも強く、


自分を追い込むように。


視線は、


逸らせないまま。


(いいわ)


美月は微笑む。


(ちゃんと堕ちてる)


結衣も、


サトルも。


逃げ場なんて最初からなかった。


(結衣、アンタが悪いのよ)


心の中で呟く。


(私に、あんな顔で彼氏の自慢なんてするから)


ほんの少しの悪意。


それ以上に――


(でも……楽しい)


素直な感情。


部屋の空気は、


もう最初とはまるで違う。


言葉はほとんどなく、


ただ、


重なり合う気配だけが、


静かに満ちていた。



空気が、張り詰めたまま――


やがて、


ゆっくりとほどけていく。


重なっていた呼吸が、


一つ、また一つと乱れ、


そして、途切れる。


サトルは身体を震わせ、崩れるように揺れた。


力が抜けきったように、


その場に留まることしかできない。


結衣もまた、


同じタイミングで、


小さく息を漏らす。


何か苦しそうな表情で、


ただ、その場で身体を痙攣させている。


中原は、


深く息を吐きながら、


静かに目を細めていた。


満足と余韻。


それだけで十分だと言わんばかりに。


美月は、


その一部始終を見下ろしている。


「……結衣」


静かな声。


けれど、逆らえない響き。


「もう済んだのなら」


ゆっくりと続ける。


「お掃除して差し上げて」


結衣はふらつく足で立ち上がる。


視線が揺れる。


理解しているのに、


どこか現実感がない。


それでも――


身体は、命令に従う。


ほんの少しの戸惑いを残したまま、


その場に膝をつく。


サトルは何も言えない。


ただ、


その様子を見ていることしかできない。


部屋の中に、


再び静かな時間が流れる。


美月は立ったまま、


グラスを手にしていた。


その瞳は、


目の前の光景を余すことなく捉えている。


(……いいわ)


心の中で呟く。


(最高)


結衣も、サトルも、


もう最初の位置には戻れない。


(本当に――)


わずかに唇が緩む。


(いい顔するじゃない)


崩れた均衡。


歪んだ関係。


それを見下ろす位置。


美月は静かに、


そのすべてを味わっていた。



結衣は、最初こそ丁寧に応えていた。


けれど――


次第に、その動きが鈍くなっていく。


思うようにいかない。


呼吸が乱れ、


身体がついてこない。


(……分かるわ)


美月は静かに見ている。


(それ、簡単じゃないもの)


ほんの少しだけ、


共感にも似た感情。


「ああ……」


中原が、わずかに息を吐く。


「普段は、こんな事ないんだけどね」


余裕のある声。


「二度目は難しいんだ」


一拍。


「でも――」


視線が二人をなぞる。


「今日は特別みたいだ。あまりにも魅力的すぎて」


「あら」


美月が口元を緩める。


「私は?」


「もちろん」


中原は即座に返す。


「美月さんも、その一人さ」


そのまま――


空気が一段、重くなる。


結衣の身体が大きく震える。


「……っ!」


声にならない反応。


拒むでもなく、


ただ、抗えない。


二人は、完全に重なっていた。


その光景を横目に、


美月は視線を移す。


サトル。


彼は、


自分を慰める為に、


必死に動かしている。


逃げることも、


目を逸らすこともできずに。


「……こっちも、放っておけないわね」


美月はゆっくりと近づく。


そのまま、


迷いなく距離を詰める。


触れた瞬間、


サトルの身体が跳ねる。


分かりやすい反応。


「素直ね」


くすり、と笑う。


そのまま――


二人の距離もまた、


一気に縮まっていく。


部屋の中で、


二つの流れが同時に進んでいく。


言葉はない。


ただ、


荒くなる呼吸と、


押し殺された音だけ。


結衣の意識が揺らいで行く。


限界が近い。


耐えきれず、


声が漏れる。


そして――


糸が切れたように、


その場に崩れ落ちた。


動かない。


ただ、


微かに上下する胸だけが、


まだ意識の名残を示している。


床には、


ほんのわずかな痕跡。


本人すら気づかないほどの。


中原は静かに息を吐き、


重なったまま、その余韻に身を任せている。


一方で――


サトルの呼吸も、


限界に達していた。


細かく震える身体。


抑えきれない波。


美月はそれを、


真正面から受け止めている。


「……誰がいいって言ったの?」


低く、静かな声。


サトルはびくりとする。


「……すいません……」


かすれた声。


「罰は……受けます」


その言葉に、


美月はわずかに目を細める。


(ああ……)


身体の奥で、


満たされていく感覚。


(楽しい)


ゆっくりと息を吐く。


(本当に)


視線の先には、


壊れかけた関係と、


戻れない場所に踏み込んだ二人。


(いい玩具になったわ)


心の中で、そう呟く。








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