接近
第四十二話
人の流れに紛れながら、男は歩く。
どこにでもいる、ただの一人。
その顔に、特別な感情は浮かんでいない。
だが――
(選ばれるはずだった)
確信に近い思い。
根拠など無い。
それでも、そう思っていた。
(あの人は……)
一瞬だけ、視線が揺れる。
思い出すのは、
自分ではない誰かの隣に立つ姿。
(あいつが、選ばれた)
喉の奥に、苦いものが広がる。
(違う)
すぐに、否定する。
(選ばされたんだ)
静かに、思考を塗り替える。
(あんな形で決まるなんて……間違ってる)
足は止まらない。
人混みの中を、同じ速度で進み続ける。
(だから――)
わずかに、目が細くなる。
(正さないといけなかった)
(そしてあの人も……..)
その表情は、すぐに消えた。
誰も気づかない。
ただ一人の通行人として、
男は街の中に溶け込んでいく。
————————-
ある夏休みの金曜日。
白川家、ペントハウス。
朝の光が、ダイニングに差し込んでいる。
テーブルには、ホテルみたいな朝食。
(朝飯はなんか力入れてんな)
静香はすでに身支度を整え、コーヒーに口をつけていた。
向かいに座る大河は、トーストをかじりながらスマホをちらっと見る。
静かな時間。
どこか、まだ少しだけ距離のある空気。
「今日も教習所とバイト?」
静香が視線を向ける。
「うん」
短く返す。
「午前中は教習所で、夕方からバイト」
「そう」
小さく頷く。
少しだけ間が空く。
「私、今日ちょっと遅くなると思う」
「そっか」
大河は特に気にした様子もなく、コーヒーを飲む。
「晩ご飯……」
静香が言いかける。
大河が先に口を開いた。
「大丈夫。大将にまかない頼むよ」
「あ……そう」
一瞬だけ、考えて。
「悪いわね」
「平気だと思うよ」
軽く返す。
あの店の雰囲気を思い出す。
多分、問題ない。
静香は少し迷ってから、
「坂本くんに、連絡入れておくわ」
「……ああ、うん」
小さく頷く。
(律儀だな……)
内心で思う。
会話はそこで一度途切れる。
食器の触れる音だけが、静かに響く。
ふと。
静香が、何かを言いかけて――やめた。
大河は気づかないふりをして、トーストに手を伸ばす。
(……まぁ、こんなもんか)
まだ、ぎこちない。
でも――
悪くない。
そんな朝だった。
—————————
昼下がり。
教習所の駐車場。
エンジン音と、夏の熱気がまだ残る中、
大河は建物の外に出て、軽く背伸びをした。
「……あっつ」
思わず漏れる。
ポケットからスマホを取り出す。
画面を確認して――
「……着信?」
履歴。
澪。
少しだけ意外に思いながら、親指で発信ボタンを押す。
数コール。
すぐに繋がった。
『もしもし』
「澪、どうした?」
『夏休み何してるのかなと思って』
「別になんも。教習所とバイトだけ」
素っ気なく返す。
事実、その通りだ。
『ふーん』
一拍。
『白川くん、今時間ある?』
「……夕方、バイトの時間までなら」
少し考えてから答える。
「なんで?」
ほんのわずか、警戒が混じる。
間。
そして――
『デートの誘い』
「――は?」
思考が止まる。
一瞬遅れて、声が裏返る。
「はぁ!?」
電話の向こうで、くすっと笑う気配。
『女の子に言わすかなぁ』
「いやいやいや……」
思わず周りを見渡す。
誰も聞いていないのに、なぜか落ち着かない。
「ちょっと待て、澪」
心拍が、妙に早い。
「それ、どういう意味だよ」
*
駅前。
いつものカフェレストラン。
ガラス越しに見える店内は、昼過ぎの落ち着いた空気に包まれている。
大河は入口の前で一度足を止めた。
(……デートって、まぁ相手は女子高生。小娘だ…)
小さく息を吐く。
ドアを開ける。
視線を店内に走らせて――すぐに見つけた。
澪。
窓際の席。
一人で座っている。
そして。
(……誰だよ)
一瞬、そう思う。
いつもの制服じゃない。
(そりゃ夏休みだからな)
上品なワンピース。
派手ではないが、質の良さが分かる落ち着いた色合い。
姿勢も、仕草も、どこか自然に整っている。
(……似合ってんな)
正直な感想が、先に出た。
同時に、少しだけ距離を感じる。
(……やっぱ、お嬢様か)
前に送り届けた家を思い出す。
あの敷地の広さ。
あの雰囲気。
軽く“家”って言っていいレベルじゃなかった。
(帰国子女って言ってたしな)
妙に納得する。
場違いな感じが、少しだけよぎる。
それでも。
澪がこちらに気づいて、軽く手を振った。
その仕草は、いつもと同じだった。
「白川くん」
柔らかく笑う。
その瞬間。
周りの男達の羨望の眼差しとため息。
(….なんか申し訳ない……)
大河は肩の力を抜いて、席へ向かった。
*
大河が席に着く。
向かいの澪は、ストローでグラスを軽く回しながらこちらを見る。
「……で?」
大河が先に口を開く。
「デートって、なんだよ」
澪は少しだけ首を傾げて、
「言葉通りだけど?」
さらっと返す。
「いや、そういうことじゃなくてだな……」
言い淀む大河を見て、澪はくすっと笑う。
「小春ちゃん、今日いないの」
「ん?」
「家の用事だって。だから塾の後、私一人」
窓の外、駅前のビルを軽く指さす。
「あそこ」
「あー……」
大河は頷く。
確かに、ここからすぐだ。
「で、白川くん家のマンションも近いでしょ?」
「まぁな」
「だから、電話しちゃった」
あっさりした口調。
余計な含みはない…はず。
「……なるほどな」
大河もそれ以上は突っ込まない。
一応、筋は通っている。
澪はストローを置いて、少しだけ身を乗り出した。
「で」
「うん?」
「このあと、買い物付き合って」
「は?」
「デートでしょ?」
当然のように言う。
「いや、だからその言い方……」
「なに、嫌?」
じっと見てくる。
少しだけ意地悪な目。
「……別に、いいけど」
視線を逸らしながら答える。
「でしょ?」
澪は満足そうに笑った。
*
駅直結のショッピングモール。
冷房の効いた空気に、大河は息をついた。
「……生き返る」
「大げさ」
澪があっさり返し、そのまま店に入っていく。
最初はコスメ雑貨の店。
「女子ってみんなこういうとこ好きだよな」
「偏見」
即否定。
澪はリップを手に取り、振り返る。
「これどう思う?」
「……..」
「もうちょっと興味持って」
「違い分かんねーし」
「正直すぎるのもどうかと思う」
呆れながらも、どこか楽しそうだ。
結局、何も買わずに店を出る。
「買わねーのかよ」
「今日は見るだけ。デートっぽいでしょ?」
「それまだ言うのか」
次は服屋。
澪が二着並べて見せる。
「どっちがいい?」
「……分からん」
「却下。ちゃんと見て」
「めんどくせぇな……じゃあ、そっち」
「理由は?」
「なんとなく」
「雑すぎるんですけど」
それでも澪はそのまま試着室へ。
数分後。
「どう?」
カーテンが開く。
出てきた澪を見て、大河は一瞬止まる。
(……似合ってるな)
「……まぁ」
「“まぁ”?」
「似合ってる」
ぶっきらぼうに答えると、
澪は少しだけ笑った。
「じゃあ、これ買う」
「結局かよ」
「白川くんが選んだし」
「適当だぞ」
「知ってる」
即答。
「でも、それでいいの」
そう言ってレジへ向かう。
大河は頭をかいた。
(……なんなんだよ)
よく分からない。
けど――
悪い気は、しなかった。
*
アクセサリーショップの前。
ガラス越しに、澪が真剣な顔で商品を見ている。
小さなピアスやネックレスを、ひとつひとつ手に取り、比べては戻す。
(……長ぇな)
大河は店の向かいのベンチに腰を下ろし、ぼんやりとそれを眺めていた。
やがて。
澪が小さな紙袋を手に、店を出てくる。
「お待たせ」
「結構ガチで選んでたな」
「そりゃね」
少しだけ満足そうに笑ってから、
「休憩しよっか」
と、自然に言った。
⸻
近くのファストフード店。
トレーを持って席に着く。
冷たいドリンクに口をつけたところで、澪がふと顔を上げた。
「白川くん、この間誕生日だったよね」
「あぁ。その日お前らウチ来たじゃん」
「うん」
澪は頷いて、
小さな包みを取り出した。
「プレゼント、渡してなかったから」
差し出される。
「開けてみて」
言われるままに、大河は包装をほどく。
中にあったのは――
ネックレスだった。
「誕生石、ムーンストーンのネックレス」
「えっ…いいのかよ、こんなの」
思わずそう言うと、
澪は少しだけ視線を逸らした。
「そんなに高価な物じゃないから……」
一拍置いて、
少し照れたように続ける。
「お揃いの……私のも買っちゃった」
「!?」
思わず顔を上げる。
澪は、指先で自分の胸元を軽く示した。
「私は九月生まれだから、サファイア」
「こっちの方が高価かな」
いたずらっぽく笑う。
「……でも」
少しだけ真面目な声になる。
「バイト代はたいたんだから、ちゃんと着けてくれると嬉しいかな」
「バイト?」
大河が眉をひそめる。
「……金持ちの娘なのに」
澪は小さく首を振った。
「家は関係無いよ」
ストローをくるくる回しながら、
「小さい子に英語教えてるの。英会話教室で」
「そうなん?」
「毎日じゃないけどね。案外楽しいよ」
穏やかに笑う。
大河はネックレスを見つめてから、
「……ありがとな」
と、短く言った。
「うん」
澪は満足そうに頷く。
少しの間。
静かな空気が流れる。
そして、ぽつりと。
「……やっぱり、白川くんとは全然平気」
「ん?」
顔を上げる。
澪は、少しだけ迷うように視線を揺らしてから、
ゆっくりと言った。
「前に話したでしょ。怖い目に遭ったって」
「……ああ」
「あのね……」
小さく息を吸う。
「私も、タイガくんって呼んでもいいかな?」
———————-
居酒屋の店内は、いつも通りの喧騒に包まれていた。
グラスのぶつかる音。
酔っ払いの笑い声。
注文を飛ばす声。
その中で、大河は手を動かしながら――
どこか上の空だった。
(……タイガくん、ねぇ)
ふと、昼間のやり取りが頭をよぎる。
あの時の澪の表情。
少しだけ遠慮がちで、それでいてまっすぐな視線。
(イヤイヤ……)
無意識に、手が止まりかける。
(相手は女子高生だぞ)
自分に言い聞かせるように、心の中で呟く。
(俺は中身オッさんなんだぞ)
皿を拭きながら、軽く首を振る。
だが――
(……でも)
思考が、止まらない。
(俺、このまま普通に白川大河として生きていくんだよな)
目の前の現実。
高校生活。
友達。
日常。
全部、“今の自分”として積み上がっていく。
(だったら……)
一瞬、よぎる。
(ワンチャン、女子高生もありっちゃありなのか……?)
「……」
自分で考えておいて、
(イヤ、何考えてんだ俺)
小さくため息をついた、その時。
「おい、大河」
低い声が飛んでくる。
振り向くと、
腕を組んだ翔太が、じっとこちらを見ていた。
「何惚けてやがる」
呆れたように言って、
顎で厨房の奥を指す。
「働け」
「……あいよ」
現実に引き戻される。
大河は軽く頭をかきながら、
再び手を動かし始めた。
———————-
バイト終わり。
店を出た瞬間、夜の空気が少しだけ涼しく感じた。
大河は軽く肩を回しながら、マンションへと歩く。
(……疲れた)
身体のだるさと、ほんの少しの充実感。
そんな余韻を引きずったまま、エントランスに差し掛かった、その時。
「遅かったわね」
聞き慣れた声。
「……」
ため息。
そこにいたのは――ノアだった。
「だから、アポ取れよ」
「気にしないで」
即答。
全く気にしていない。
「ニュース見た?」
「いや、見てない」
大河は肩をすくめる。
「いいわねぇ、学生は呑気に夏休みしてて」
「学生も忙しいんだゾ」
「何してたのよ」
一瞬だけ間。
「……アレだ、教習所と……バイトだ」
わずかに言葉を濁す。
ノアはじっと見たあと、
「ふーん。まぁいいわ」
と興味なさげに流した。
そして、表情が少しだけ変わる。
「新たな犠牲者が出た」
空気が、一段落ちる。
「またか。終んねーな」
大河の声も、自然と低くなる。
ノアは静かに頷いた。
「ただ――今回は、いつもと違う」
「違う?」
「今までは、被害者の共通点は“直接的には”確認できなかった」
一拍。
「でも今回は違う」
視線が、まっすぐ大河に向く。
「前の被害者と、関係が確認されてる」
夜の静けさが、わずかに重くなる。
「関係って……」
大河が眉をひそめる。
ノアは短く答えた。
「前の被害者――松田聡美。その関係者よ」
「……関係者?」
「柴崎直也。三十二歳」
名前が落ちる。
「松田聡美殺しの容疑者候補でもあった」
「なるほど….」
短いやり取り。
軽さは、もう無い。
ノアは続ける。
「それと、もう一つ」
「まだあんのかよ」
「小さいけど」
一拍。
「殺害後。前回と今回は“意図”が強い」
「意図?」
「以前よりも、執着してる」
大河は小さく息を吐いた。
「……エスカレートしてんのか?」
「してるわね」
即答。
ノアは視線を上げる。
「点だったものが、線になり始めてる」
短く、言い切る。
「こうなると――追える」
その一言で、空気が締まる。
大河は頷いた。
「やっとか」
「ええ」
ノアは小さく息を吐く。
「まだ断片だけど」
でも、
「……近づいてる」
静かに、そう言った。
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