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第四十一話
夜の街。
ネオンが滲む中、柴崎直也は一人で歩いていた。
スマホを弄りながら、気だるい足取り。
(……まぁ、順調だな)
頭の中に、さっきまでのやり取りが浮かぶ。
乱れた部屋。
だらしない空気。
「……今日で最後な」
あっさり告げた、自分の声。
『金持ちの娘と結婚だっけ?』
「そう」
『また、しばらくしたら連絡きそうな気がするけど』
「まぁ、様子見てだな」
軽く返した。
いつも通り。
『やっぱ最低。その娘かわいそう』
「旦那がいるお前が言う?」
『あ、そっか。忘れてた』
くだらないやり取り。
けど――
(楽なもんだよな)
口元がわずかに緩む。
全部、うまく回ってる。
金も、女も、これからの生活も。
失う理由がない。
(あとは、適当に整理すりゃいい)
ポケットにスマホをしまう。
ふと。
背後に、気配。
ほんのわずか。
足音。
直也は気にも留めない。
前を向いたまま、歩き続ける。
(……人生って楽勝だな)
そう思った、その瞬間――
背後の距離が、静かに詰まっていた。
*
人気の途切れた路地。
足音だけが、やけに響く。
その背後から――
「柴崎さんですか?」
不意に、声。
直也は足を止めた。
振り返る。
「はい?……えっと……」
街灯の逆光。
相手の顔は、はっきりしない。
「松田聡美さん、ご存知ですよね?」
その名前に、直也の表情がわずかに止まる。
(……旦那か?)
一瞬で思考が回る。
(いや、違うな。旦那はもっと冴えない感じだったはずだ)
(……警察か?)
すぐに切り替える。
直也は、わざと肩をすくめてみせた。
「おたく、どちらさん?」
軽い口調。
警戒はしているが、まだ余裕は崩さない。
「聡美のご主人って感じじゃなさそうだし」
一歩、間を置いて――
「警察の人?」
わずかに笑う。
「だとしたら、こんな時間までご苦労さん」
「でも残念だけどさ――」
ポケットに手を突っ込み、気だるそうに言う。
「俺、アイツとは関係ねーよ」
「ただの元カレってヤツ」
「死んじまったんだろ」
あっさりと。
切り捨てる。
まるで、どうでもいい話のように。
その態度は――
あまりにも軽かった。
*
「松田聡美さんとは、不倫関係だった」
静かな声。
直也の眉がわずかに動く。
「……あぁ?」
「その他、多くの女性とも関係を持つ」
淡々と、続ける。
「まもなく、名家の娘と結婚予定」
そこで、直也は小さく鼻で笑った。
「……なんだ、テメー」
一歩、踏み出す。
相手を値踏みするような視線。
「あぁ、分かったあれか」
「探偵ってヤツ?」
勝手に納得したように頷く。
「依頼主は?聡美の旦那か?」
肩をすくめて、笑う。
「聡美、もう死んじまったのに、女々しいヤツだな」
間。
直也はポケットに手を突っ込み、
余裕たっぷりに言い放つ。
「あんた、俺の前に現れたってコトは――」
「アレか。ゆすりだな」
軽い口調。
完全に“理解したつもり”でいる。
「オッケー、いいぜ」
「いくらだ?」
少し身を乗り出す。
「依頼主の倍、払ってやるよ」
ニヤつく。
「だから帰って言っとけ」
指で軽く追い払う仕草。
「誰に雇われたか知らねーけど――」
「柴崎さんは関係ありませんでした、ってな」
その言葉に――
わずかな沈黙。
そして。
「……やはりクズだな」
低く、吐き捨てる声。
その一言で、
空気が変わった。
*
次の瞬間。
直也の身体が、横に弾かれる。
「――がっ!?」
何が起きたか分からないまま、地面に叩きつけられる。
速い。
見えない。
「な、なんだよ……テメェ……!」
顔を上げた先。
そこにいたのは――
人の形をした、何か。
指先が、異様に細く、鋭く変形している。
(……バケモノ……!?)
背筋が凍る。
本能が叫ぶ。
勝てない。
「ま、待て……!」
這うように後ずさる。
「金だろ!?金なら払う!!」
声が裏返る。
「もうすぐ金持ちの娘と結婚するって、さっき….知ってんだろ……!」
「いくらでも用意できる……だから――」
「だから?」
冷たい声。
直也の言葉が止まる。
その目を見て、悟る。
最初から――助かる選択肢なんて無い。
「頼む……!助けてくれ……!」
完全に崩れる。
その瞬間。
じわり、と。
下半身に広がる温かい感覚。
(……嘘だろ……)
失禁。
自分でも分かる。
情けない。
惨めすぎる。
だが、止まらない。
「やめろ……やめてくれ……!」
地面に額を擦りつけるようにして懇願する。
さっきまでの男とは、別人だった。
ただの――
救いようのないクズ。
地面に這いつくばる直也を蹴り上げる。
男は、見下ろしながら、
ゆっくりと呟く。
「今まで、散々好き勝手やってきたんだ」
視線が、直也の下半身へ落ちる。
「……報いだ」
嫌悪。
そして、歪んだ怒り。
その言葉と同時に、手が動く。
布が裂け、血飛沫が飛び散る。
短い悲鳴。
すぐに途切れる。
それ以上は、長くは続かなかった。
やがて。
静寂。
男は、足元を一瞥する。
そこには――
衣服ごと切り刻まれ、性器までも奪われた無残な姿の直也が転がっていた。
もはや、さっきまでの面影はない。
「……これでいい」
淡々とした声。
興味を失ったように背を向ける。
壁へ歩き、
指先から滴る血で、ゆっくりと刻む。
「天誅」
書き終えると、
振り返ることなく闇へ消えた。
—————————
夜明け前。
空はまだ青黒く、街は眠りから覚めきっていない。
その静寂を切り裂くように――
赤色灯が回っていた。
無機質な光が、路地の壁とアスファルトを交互に照らす。
規制線。黄色のテープとブルーシート。
制服警官と鑑識が慌ただしく動く中、
ノアはゆっくりと現場へ足を踏み入れた。
すでに、先着していた佐藤がこちらに気づく。
「ノアさん」
軽く手を上げて近づいてくる。
その表情は、いつもの軽さがない。
「被害者は――柴崎直也、三十二歳」
短く、報告する。
その名前に、
ノアの思考が一瞬止まった。
(……柴崎直也)
頭の中で、別の事件の記録が結びつく。
松田聡美。
あの夜の被害者。
その関係者として、確かに名前が上がっていた。
(繋がった……?)
今までの被害者たち。
共通していたのは、
“何らかの不貞行為に関わっていた”という、
曖昧で弱い線だけだった。
だが――
今回は違う。
明確に、“前の事件”と繋がっている。
ノアの視線が、わずかに鋭くなる。
その時。
「……ノアさん」
佐藤が、少し気まずそうに口を開く。
「ガイシャは……見ない方がいいかもですよ」
妙な言い方だった。
しかも、どこか落ち着きがない。
よく見ると、足の開き方が不自然で――
内股になっている。
ノアは一瞬だけ怪訝な表情を浮かべ、
「……?」
そのまま、視線を遺体へ向けた。
――次の瞬間。
わずかに、息を止める。
衣服は、原形を留めていない。
刃物で無造作に引き裂かれたように、
布と肉の境界が曖昧になっている。
大量の出血。
路面に広がった黒い染みは、
すでに乾き始めていた。
ほぼ全裸。
そして――
下半身にあるはずのものが、
そこには、無かった。
少し離れた場所に、
それは無造作に転がっている。
異様な光景。
意図的で、
執拗で、
明確な“悪意”を持った損壊。
ノアは、無言でそれを見つめたまま、
静かに目を細めた。
(……間違いない)
前の事件と、
同じ手口。
同じ思想。
「……感情的になってる」
小さく、呟く。
それは確信だった。
視線を上げ、見つめる壁の天誅の血文字も、今までより荒々しく見えた。
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