夏の残響
第四十話
夏休みも、一週間が過ぎた。
同じ一日、のはずなのに。
学校の一日と、休みの一日。
どう考えても、長さが違う気がする。
昔からの疑問だ。
(誰か説明してくれねぇかな……)
答えは出ないまま、とりあえず日々は進む。
自動車学校の入校式も、あっさり終わった。
拍子抜けするくらい、淡々と。
そこからは――
バイトと、教習所。
そんな毎日。
高校生って立場もあって、シフトはだいたい決まってる。
夕方から仕込み。
そのまま流れで働いて、夜九時まで。
居酒屋として一番忙しくなる時間帯の、ちょっと手前で上がる形だ。
正直――
(なんか申し訳ねぇな)
とは思う。
一番忙しい時間に抜けるわけだから。
だが。
「気にすんな、働け」
そんな空気は一切ない。
むしろ――
「おい大河、それ終わったら次これな」
時間まで普通にコキ使われる。
(まぁ……)
軽く息を吐く。
(時給分は、働いてやるサ)
それくらいが、ちょうどいい。
———————
ある日の午後。
白川総合病院、医局。
外来の合間、束の間の静けさ。
白川静香はカルテを閉じ、そっと息を吐いた。
頭に浮かぶのは――あの夜。
大河が、警察関係者に付き添われて帰ってきた日。
「事件に巻き込まれた」
そう説明は受けている。
大きな怪我もない。
それでも。
帰宅した時の、あの様子。
言葉数の少なさ。
どこか、疲れ切った表情。
(……本当に、それだけ?)
思考が、同じところをなぞる。
やっと、目を覚ましたばかりなのに。
十五年。
ようやく動き出した時間。
それを取り戻すように、日常を過ごしているはずなのに。
(また、1人にるんじゃ……)
そこまで考えて、静香は小さく首を振る。
考えすぎ。
分かってはいる。
それでも――
母親としての感覚が、引っかかる。
(……まだ、分からないことが多すぎる)
目覚めてからの大河。
落ち着いていて。
状況への順応も早過ぎるくらい。
けれど、それは同時に――
“見えない部分”が多いということでもある。
その時。
「白川部長、少しよろしいでしょうか」
声をかけられ、静香は顔を上げる。
高瀬が立っていた。
「はい、どうしましたか」
完全に仕事の顔。
短く要件を済ませる。
周囲には、まだ人の気配。
高瀬もそれ以上は踏み込まない。
やがて、自然と人が引いたタイミングで――
高瀬が、少しだけ表情を緩めた。
「……静香さん、ちょっと疲れてる顔してるね」
声音が変わる。
先輩としての、柔らかいトーン。
静香は一瞬だけ間を置いてから、
「そう見えますか?」
変わらず敬語。
だが、わずかに力は抜けている。
「うん。少しね」
否定しない。
責めない。
ただ、受け止める。
静香は小さく息を吐いた。
「……息子のことが、少し気になっていて」
「ああ」
短い相槌。
「警察の人と夜遅くに帰ってきたんです」
静香は続ける。
「事件に巻き込まれたと説明は受けていますが……それだけではない気がして」
高瀬は、すぐには答えない。
少し考えてから、ゆっくりと。
「心配になるよね」
静香は、わずかに頷く。
「ええ」
「でも、無事だったんだよね」
「はい」
「だったら、まずはそこを安心していいと思うよ」
柔らかい言い方。
押し付ける感じはない。
静香は少しだけ視線を落とし、
「……そうですね」
静かに返す。
「全部をすぐに理解しようとしなくてもいいんじゃないかな」
高瀬が続ける。
「目を覚ましてから、まだあまり時間も経ってないって聞いてるけど」
「……ええ」
「これから見えてくることもあると思うよ」
静香は、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
「焦りすぎでしょうか」
「かもしれないね」
やわらかく笑う。
「でも、それくらいでちょうどいい気もするよ」
その言葉に、静香もわずかに笑みを浮かべた。
(……そうですね)
まだ、始まったばかりだ。
母としての時間も。
あの子との関係も。
無理に埋めようとしなくていい。
少しずつでいい。
そう思いながらも――
胸の奥に残る違和感だけは、
静かに、消えずに残っていた。
————————-
ある夏の夜。
店のカウンター越し。
坂本翔太は、皿を拭きながら店内を眺めていた。
視線の先。
白川大河。委員長の息子。
「おい、大河、それ三番テーブルな」
「はいよー」
軽い返事。
動きも悪くない。
――いや、むしろいい。
(もう、だいぶ慣れたな)
バイトに来るようになって、そこそこ経つ。
仕事の覚えも早いし、要領もいい。
何より。
酔っ払いのオヤジ連中の受けがいい。
適度に軽くて、距離感も絶妙。
ああいうのは、教えてどうこう出来るもんじゃない。
「兄ちゃん、もう一杯!」
「はいはい、飲み過ぎんなよー」
笑いながら、自然に場を回す。
(……なんだかな)
ふと、思う。
初めてのはずなのに。
まるで――
前からこの店を知っていたみたいな動き。
空気の読み方。
立ち位置。
全部が、妙にしっくり来ている。
(気のせいか……?)
皿を拭く手を止める。
もう一度、視線を向ける。
大河が、ふとこちらを見た。
一瞬、目が合う。
その目。
やはり――
(……似てる)
胸の奥に、引っかかる感覚。
思い出すのは――
昔の顔。
「……」
小さく息を吐く。
(何考えてんだ、俺)
苦笑する。
あいつは、もういない。
死んだんだ。
それに――
目の前にいるのは、
まぁまぁイケメンの高校生。
かたや、
あいつは、くたびれた中年リーマン。
(全然、違うだろ)
無理やり納得させる。
それでも。
視線は、もう一度だけ大河に向く。
(……なのに、なんでだ)
ほんの一瞬。
あいつの面影が、重なった気がした。
————————-
夏休みの午後。
照りつける日差しの中、ロードバイクを走らせる。
ペダルを踏むたびに、アスファルトの熱がじわりと返ってくる。
教習所帰り。
頭の中では、さっきの教官の声がまだ残っている。
(……今更ニーグリップだの何だの。まぁ、なんとかなるだろ)
その時。
背中のリュックの中でスマホが鳴る。
霧島からの着信。
「どうした?」
『大河、今どこだ』
「もうすぐマンション見える。教習所帰り」
『お、タイミングいいな。いつものコンビニにいる。集合』
「….了解」
通話を切って、ハンドルを切る。
見慣れたコンビニの駐車場に滑り込む。
そこに――
霧島が、やたら誇らしげに立っていた。
片手にペットボトル。
キャップを開けながら、余裕の表情。
その横には。
白いタンクに、青いライン。
RZ350。
日差しを受けて、妙に存在感を放っている。
霧島が軽く手を挙げた。
「イヤイヤ、白川くん。教習所ご苦労様」
「……」
「順調かね」
(なんだコイツ……)
じわっと、イラっとする。
大河は自転車を降りながら、ため息をついた。
「なんだよ。自慢しにきたのかよ」
「まぁ、そう言いなさんな」
霧島は肩をすくめる。
「人のバイク見るとモチベ上がるだろ?」
「……けっ」
視線を逸らす。
その時。
――ドドドドド……
低く、腹に響く音。
二人同時に振り返る。
コンビニの駐車場に滑り込んできたのは、
黒いハーレー。
ジョッキーシフトのショベルヘッド。
見覚えのある一台。
エンジンを切る。
静寂が戻る。
ヘルメットを外した男が、こちらを見た。
「大河じゃねーか、何してんだ」
「大将」
坂本翔太。
いつものラフな格好で、軽く顎をしゃくる。
ふと、視線が横に流れる。
「……?RZか」
「コイツの、友達の」
翔太は霧島を見る。
「また、古いの乗ってんな」
霧島は少しだけ姿勢を正した。
「オヤジの形見なんス」
一瞬の間。
翔太の表情が、わずかに変わる。
「……そっか」
短く頷く。
「なら大事にしなきゃな。事故んなよ、少年」
「はい」
素直に返す霧島。
翔太は再び大河に目を向ける。
「そういや、大河。お前、免許取ってどうすんだ?」
「……まぁ、そのうち」
曖昧に返す。
横から霧島が食いつく。
「何買うんだよ?てか、結構すんぞ?」
「うるせーな」
翔太は小さく笑って、少し考える様な表情。
「……お前ら、ヒマか?」
大河と霧島、顔を見合わせる。
「まぁ……」
「バリバリの暇人っス」
即答する霧島。
翔太はニヤっと笑った。
「じゃあ、俺ん家のガレージ見に来るか?」
「お邪魔します」
霧島、再び即答。
「よし。んじゃ待っとけ。ヤニ買ってくる」
翔太…禁煙外来行ってもやめられなかったもんな。俺もだけど…..。
*
場所の説明は、正直あいまいだ。
住宅街を抜けて、少し開けた道。
畑が増えてきたあたり。
だが――
大河は知っている。
ここに来るのは、初めてじゃない。
(……久しぶりだな)
前世で、何度も通った場所。
翔太の家、ではない。
正確には――翔太のじいさんの家。
農家の敷地の一角。
倉庫兼ガレージ。
無駄に広い。
いや、無駄なんかじゃない。
あの頃は、ここが世界の中心みたいな場所だった。
先に着いた霧島が、手前の道路で手を振っている。
そういや、霧島ん家も農家だったな。
「大河、こっちこっち!」
「うっせぇ……」
チャリを漕ぎながら、小さく毒づく。
(チャリ舐めんなよ……マジで暑ぃ……)
照り返しがキツい。
風がぬるい。
体力がじわじわ削られていく。
なんとか敷地に入り、ブレーキをかける。
「……はぁ……」
息を整える間もなく、視界に入る。
開け放たれたガレージ。
中は日陰。
それだけで、天国みたいに見える。
翔太が先に入っていく。
「冷蔵庫あるから、好きなの飲め。ビールは飲むなよ、ガキ共」
「いただきます!」
霧島は即答で、中に突っ込む。
大河も後に続く。
ガレージの奥。
古い冷蔵庫。
扉を開けると、冷気が流れ出る。
(……生き返る)
スポーツ飲料を取り出し、一気に飲む。
喉が、ようやく落ち着く。
そのまま視線を上げる。
ガレージの中。
カバーのかかった車両が並んでいる。
バイク三台。
そして、車が二台。
(……)
胸が、わずかに高鳴る。
一台は分かる。
翔太のサンパチ。
あの頃から変わらない。
じゃあ、残りは――
車も同じだ。
一台は翔太のZ31。
見覚えがある。
もう一台は――知らない。
翔太が、ぽつりと言う。
「まぁ、俺の趣味部屋だな」
ガレージを見渡す。
「嫁さんにはいい加減処分しろって言われるが……」
少しだけ笑う。
「俺の青春そのものなんだ。無理だろ」
「わかります」
霧島が即答する。
(なにが分かるんだよ……)
内心ツッコみながら、大河は視線を戻す。
翔太がカバーに手をかける。
一枚、外す。
「俺のだけじゃねー」
次のカバーへ。
「死んだ親友のも、預かってる」
――その言葉に。
大河の心臓が、跳ねた。
「……っ」
カバーが外れる。
現れる。
ソアラ。
ナナハンF。
そして――
(……)
言葉が出ない。
視界が、滲みそうになる。
(……残ってたのか)
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
翔太が続ける。
「死んだダチのねーちゃんから相談されてな」
「無理言って引き取った」
少しだけ、遠くを見るような目。
「金も払おうとしたんだけど、断られたよ」
「“あんたが貰ってくれた方が、アイツも喜ぶ”ってな」
(……ねーちゃん)
心の中で呟く。
(ありがとう)
でも――
(……俺の普段乗りのジムニーのジム子、どうした?)
今となってはくだらない疑問が、ふと浮かぶ。
それすら、既に懐かしい。
その時。
翔太が、もう一台のカバーを外す。
現れたのは――
ライムグリーン。
鮮やかすぎる色。
そして、あのフォルム。
(……KH)
バラチャンの音が、頭の中で蘇る。
一番付き合いが長かった。
何度もいじって。
何度も乗って。
ゴリゴリにカスタムした――
“自分の”バイク。
「大河」
翔太が振り返る。
「お前、このKH乗るか?」
「――は?」
思わず声が出る。
「……いいのか?」
(まぁ、俺のなんだが……)
心の中で苦笑する。
翔太はあっさり言う。
「あぁ」
「維持費はテメーで払えよ」
そして、ニヤっと笑う。
「まぁ、貸しといてやるよ」
「もちろん、免許ちゃんと取ったらな」
霧島が食いつく。
「大河、よかったなぁ!」
「この夏休みツーリング行こうぜ!」
「海がいいな、海!」
「ビキニの女見に行こうぜ!」
(……コイツ)
心の中でため息をつく。
(自称将来の嫁にチンコロすんぞ……)
そして、もう一つ。
(このクソ暑い中、昼にバイクとか無理だろ……)
教習所の一時間ですら地獄なのに。
それでも――
目の前のKHから、視線を外せない。
(……また、乗れるのか)
胸の奥で、何かが静かに熱を帯びていった。
——————
人通りの途切れない街。
ネオンと街灯が、地面をまだらに照らしている。
その中に紛れて、男は立っていた。
視線の先。
柴崎直也。
何気ない顔で歩く。
笑いもせず、焦りもなく。
ただの、ありふれた男。
(……次はヤツだ)
胸の奥で、静かに何かが沈む。
これまで。
裁きに、関連性を持たせないようにしてきた。
偶然に見せる。
無差別に見せる。
そうすれば――
警察は、的を絞れない。
だが。
(警察もバカじゃない)
ここまでくれば、気づく。
死んだ者たちの共通点。
繋がり。
いずれは、線になる。
リスクはある。
それでも。
(あの男だけは……)
視線を細める。
柴崎直也。
松田聡美に裁きを与えた後。
しばらく、観察していた。
その結果は――
明確だった。
(正真正銘のクズだ)
ためらいは、ない。
罪の意識も、ない。
むしろ――
確信がある。
(あれを、放置する理由がない)
直也がスマホを取り出す。
誰かに連絡を取るつもりか。
軽い足取り。
何も知らない顔。
(……許されると思うな)
金。
家。
将来。
すべてを手に入れる側の人間。
そんな場所に、あの男が立つ資格はない。
(お前のような人間が)
視線を外さない。
(幸せを手に入れていいはずがない)
一歩、踏み出す。
雑踏に溶け込むように。
音もなく。
距離を詰める。
(この手で、裁く)
そのために。
ここまで来た。
直也の背中が、すぐそこにある。
伸ばせば、届く距離。
男は、わずかに笑った。
お読みいただきありがとうございます。
本作を楽しんでいただけましたら、
ブックマーク・☆評価で応援していただけると励みになります。
一つ一つの反応が、執筆の力になっています。
作者モチベーション維持の為にも、
ご意見、ご感想をお待ち致しております。
また、気に入ってくれる方がいらしたら、
是非、ご家族、ご友人、お知り合いの方に本作をお勧め頂けますと幸いで御座います。
皆様のご協力、何卒宜しくお願い申し上げます。




