ヒーロー3分ファイティング
第三十八話
「正義の味方だ」
言い切った直後。
――やべ。
大河の頬が、わずかに引きつる。
(今の、ちょっと恥ずくねぇか……)
空気が一瞬だけ止まる。
近藤は、ぽかんとした顔のまま――次の瞬間、鼻で笑った。
「……ガキの遊びなら、家帰ってやってくれよ」
興味なさそうに手を振る。
完全に見下している。
ノアが一歩前に出た。
「憧れてたのは、小さい時だけかと思ってたけど」
冷たい声。
視線は一切逸らさない。
「やりたいのね。そういうの」
「おい」
大河がすぐに噛みつく。
「お前がやれって言ったんだろ。“正義の味方”」
ノアは――無視した。
完全にスルー。
そのまま近藤へ。
「あんたが、仲間に力を与えてるのよね」
近藤の眉が、わずかに動く。
「あぁ?」
とぼけたような声。
だが、目は笑っていない。
「偽物ね」
ノアは続ける。
淡々と。
「仲間の力は中途半端」
評価するように。
切り捨てるように。
「あんたに力を与えたヤツの居場所は?」
一歩、踏み込む。
空気が張り詰める。
近藤は、数秒だけ黙った。
それから、口元を歪める。
「……事情通ってヤツだな」
低く笑う。
「知らねぇよ」
肩をすくめる。
「知ってても言わねーけどな」
ノアの表情は変わらない。
「知るわけないか」
一言。
間を置かず、続ける。
「あんた、ただのモブだもんね」
空気が、凍る。
近藤の目が、細くなる。
わずかに、口角が吊り上がる。
「……試してみるか」
一歩、踏み出す。
黒い霧が、じわりと滲む。
「モブかどうか」
*
その言葉が落ちた瞬間――
近藤が消えた。
踏み込み。
視界から消えるレベルの加速。
「ッ――!」
大河の身体が、反射で動く。
横。
ギリギリで外す。
次の瞬間、通り過ぎた拳が――
――ドゴッ!!
背後の遊具を、歪ませた。
(……重っ)
空気が震える。
一発でもまともに食らえば終わり。
「いいねぇ」
近藤が笑う。
すでに次の位置にいる。
「ちゃんと見えてんじゃねぇか」
間を与えない。
再び踏み込む。
直線。
速い。
大河は迎え撃つ。
警棒を振るう――
――カンッ!!
拳で弾かれる。
そのまま、もう一撃。
振り下ろし。
受ける。
流す。
身体を捻る。
近距離。
肘を叩き込む。
――ドッ!
確かな手応え。
だが。
「軽いな」
近藤は止まらない。
ニヤついたまま、踏み込む。
カウンター。
拳が迫る。
(速ぇ……!)
ガード。
間に合う。
――ゴンッ!!
衝撃が腕を抜ける。
骨が軋む。
そのまま後ろへ滑る。
「大河」
ノアの声。
位置は変わらない。
冷静。
「助けが必要なら言ってね」
余裕のあるトーン。
大河は口の端を上げる。
「いらねーよ」
地面を蹴る。
踏み込み返す。
ジャブ。
ストレート。
ロー。
連撃。
リズムを崩さない。
グローブ越しに、確実に捉える。
黒い霧が、わずかに揺れる。
(効いてる)
だが――
浅い。
近藤は笑う。
「いいじゃねぇか」
一歩も引かない。
「こういうの、嫌いじゃねぇ」
そのまま、拳を振り抜く。
大振り。
だが速い。
大河は踏み込む。
懐へ。
避ける。
打つ。
打つ。
打つ。
連撃。
だが――
「だから、軽いって言ってんだろ」
近藤の肩が、わずかに動く。
次の瞬間。
視界がブレる。
――ドンッ!!
衝撃。
大河の身体が、横へ弾かれた。
地面を滑る。
止まる。
息が詰まる。
「……っ」
肺に空気を押し込む。
痛みはある。
だが――
折れてはいない。
(やっぱ、タフだな俺)
ゆっくりと立ち上がる。
口元に笑み。
「……いいパンチじゃん」
近藤が首を鳴らす。
黒い霧が、濃く揺らめく。
「だろ?」
余裕の笑み。
——————
(なんだこのガキ……)
拳を交えながら、近藤の中で違和感が膨らむ。
(こっちは全力で殺りに行ってんのに――)
目の前の少年は、崩れない。
受ける。
流す。
そして――
(素人じゃねぇ)
打点。
タイミング。
迷いなく急所を狙ってくる。
反射速度も普通じゃねぇ。
(俺と同じ、“異形”とかいうヤツか?)
舌打ちを飲み込む。
だが、すぐに思考を切り替える。
(……ここで終わるわけにいかねぇ)
視線の奥に、別の景色が浮かぶ。
裏社会。
上にいる連中。
(あの連中全員殺って成り上がる)
拳に、わずかに力がこもる。
(この街、全部仕切ってやるんだよ)
呼吸を整える。
そして――
ふっと、口元が緩む。
(まぁいい)
空気の中に、微かな変化。
力が、引き寄せられる感覚。
(アイツらに貸した分……戻ってきてるな)
黒い霧が、わずかに濃くなる。
(徐々に、集まってきた)
目の前の少年を見る。
さっきより、少しだけ楽しそうに。
(まずはこのガキだ。今からが――本当の俺
の力だ)
————————
空気が、変わる。
じわりと。
目に見えない何かが、近藤へと引き寄せられていく。
黒い霧。
さっきまでとは、密度が違う。
ノアの目が細くなる。
「大河、気をつけて」
低く、短く。
「さっきから、近藤に霧が集まってる」
大河が眉をひそめる。
「はぁ?」
構えは崩さない。
視線は外さない。
「多分、与えてた力を回収してる」
一歩、踏み込む準備。
「なるほど」
口の端が上がる。
「ヤバいじゃん」
ノアはわずかに肩をすくめた。
「手、貸そうか?」
そのやり取りに――
近藤が、笑う。
「あんた、なんでも知ってんな」
低い声。
だが、その奥にあるのは明確な“優位”。
「ただ――手遅れだ」
次の瞬間。
黒い霧が、爆ぜるように膨れ上がる。
全身を覆う。
絡みつく。
固まる。
まるで――鎧。
圧が、段違いに変わる。
「小僧」
近藤が、ゆっくりと顔を上げる。
その目が、大河を捉える。
「楽しかったが」
一歩。
踏み出すだけで、地面が軋む。
「お前から退場だ」
視線が、ノアへ流れる。
「……あの女に、聞きたい事ができた」
口元が歪む。
「“異形”……そう呼んだ、俺の力の事」
「他の異形の事」
舐めるような視線。
「後で、ゆっくり教えてくれや」
ノアの表情は変わらない。
一歩も引かない。
「あんたが知る事は無いわ」
静かに言い切る。
「……あんたが、ここで退場だから」
近藤が、鼻で笑う。
「はっ……笑えるゼ」
その瞬間――
大河が踏み込んでいた。
消えるような加速。
懐へ。
渾身。
ボディ。
――ドゴッ!!
深く、めり込む。
間を置かず――
沈んだ顔面へ、膝。
――ガンッ!!
鈍い衝撃。
近藤の身体が、わずかに揺れる。
口が開く。
そこから――
黒い霧が、吐き出される。
まるで、血を吐くように。
濃く。
重く。
夜に、溶けていく。
——————-
(子どもの頃――ヒーローに憧れた)
戦隊モノ。
仮面◯イダー。
今でも普通に好きだ。
◯ベンジャーズとか、最高じゃん。
(ただ…..)
ふっと、思い出す。
(ウ◯トラマンだけは、納得いかなかったんだよな)
三分。
ヒーローなのに制約。
(いや、そこは根性で頑張れやって思ってた)
――だが。
目の前。
異様な圧。
人間じゃない速度と力。
(……間違ってたわ)
小さく、息を吐く。
(ごめん、ウ◯トラマン)
視線は逸らさない。
(あんた、デカくなって三分も怪獣とやり合ってたんだな)
(そりゃキツいわ)
口の端が上がる。
(デカいだけで、もうすげぇよ)
(俺なんて昔、人間相手の1R3分もキツかったよ)
拳を握る。
感覚が、研ぎ澄まされる。
(――リミッター解除)
身体の奥で、何かが弾ける。
一気に、出力が上がる。
時間は――
(残り……三分)
視界が、クリアになる。
「……よし」
一歩、踏み出す。
*
リミッター解除。
その瞬間から――流れが変わった。
大河の動きが、別物になる。
速い。
鋭い。
重い。
連撃。
止まらない。
――ドッ、ドドッ!!
打ち込むたび、黒い霧が揺れる。
削れる。
近藤が、初めて後ろへ下がった。
受けに回る。
「……チッ」
歯噛み。
(なんなんだよ、コイツ……!)
腕で受ける。
弾く。
だが、押される。
(バケモノめ……!)
さらに一撃。
さらに一撃。
視界を埋める連打。
(……?)
違和感。
(焦ってるのか?)
大河の動き。
速いが――荒い。
(さっきより、攻撃が雑だ)
息が荒い。
時間制限。
見抜く。
その間にも――
黒い霧が、じわりと剥がれていく。
密度が落ちる。
(削れてる……!)
近藤の目が細くなる。
「――っらぁ!!」
腕を大きく薙ぎ払う。
空間ごと叩き潰す一撃。
――ドゴンッ!!
大河の身体が弾き飛ばされる。
地面に叩きつけられる。
転がる。
土煙。
「……ッ」
息が詰まる。
だが、止まらない。
立ち上がろうとする。
そこへ――
近藤が詰める。
一瞬で距離を詰める。
影が覆う。
「終わりだ」
振り上げる脚。
トドメ。
――その直前。
「ノアさーん、ヘルプ」
間の抜けた声。
ノアが、ため息混じりに。
「最初から言えばいいのに」
――パシュッ、パシュッ。
乾いた音。
二発。
サプレッサー越しの低い銃声。
近藤の背中。
両肩。
弾丸が突き刺さる。
「……ッがぁ!」
身体が跳ねる。
バランスを崩す。
転がる。
ノアが銃口を下げる。
「私のは特別製」
淡々と。
「痛いでしょ」
その隙を――大河は逃さない。
地面を蹴る。
跳ねるように接近。
蹴り上げる。
――ドンッ!!
近藤の身体が浮く。
黒い霧が、大きく剥がれる。
ばらける。
その中心。
――脈打つ何か。
核。
「……あったな」
大河の拳に、力が集まる。
バチバチと弾ける。
火花。
いや――電気のような何か。
「これで――終わりだ」
踏み込み。
腰を回す。
全身の力を乗せる。
渾身。
一撃。破壊。
――ドォンッ!!
拳が、核を砕く。
弾ける。
黒い霧が、霧散する。
一瞬で。
音もなく。
近藤の身体が、崩れ落ちた。
力が抜ける。
ただの人間のように。
静かに。
地面へ。
————————
近藤が崩れ落ちたあと。
夜の公園に、静けさが戻る。
さっきまでの圧が嘘みたいに消えていた。
その静寂を破るように――足音。
ゆっくりと、一人の男が歩み寄ってくる。
「ノアくん、ご苦労様」
落ち着いた声。
ノアがわずかに視線を向ける。
「いらしてたんですね。室長」
男は軽く肩をすくめた。
「さっきね。一応、狙撃班も配備してた」
周囲に目を走らせる。
「……ただ、ノアくんの“殺さず”のポリシーがあるから、実際は難しいんだよ」
ノアは小さく頷く。
「危ない時はお願いします」
淡々と。
それから、すぐに大河へ視線を戻す。
「大河、大丈夫そう?」
大河はその場に座り込んだまま、天を仰ぐ。
「ダメ。疲れたし、身体痛い」
肩で息をしながら、ちらりと男を見る。
「ノア、誰この人?」
「異形対策室の山瀬室長よ」
「……ふーん……」
一拍。
「!? 仏の山さん?」
ノアが即座に返す。
「そういうコードネーム制度ないから」
「そうなん?残念」
大河は気の抜けた顔のまま、ふと思い出したように。
「そういえば、シュガーナッツは?生きてるか?」
「多分、大丈夫だと思う」
ノアは短く答える。
そのやり取りを見て、山瀬が口元を緩めた。
「君が白川大河くんだね」
一歩、距離を詰める。
「いや……朝倉さんと呼んだほうがいいかな?」
「……!?」
大河の表情が変わる。
「知ってるんですか?」
ノアが横から補足する。
「異形対策室や警察上層部には数名、私の事情と、あんたの事を知ってる人がいるの」
「室長はその一人」
「へー……そうなん」
まだ少しだけ警戒を残しつつ、大河は頷く。
「今何時?」
山瀬が腕時計を見た。
「もうすぐ午前一時になるね」
「マジかよ……」
大河はスマホを取り出す。
画面を見て――固まる。
「ヤバい」
ノアも覗き込む。
「委員長から鬼電、LINE来てた」
一拍。
「……忘れてた」
山瀬が苦笑する。
「大丈夫。そっちは既に解決済みだ」
「?」
大河が顔を上げる。
「君のお母さん――いや、違うな」
「もう母親でいいッス。ややこしいから」
即答。
山瀬は軽く頷いた。
「お母さんには、“ちょっとした事件に巻き込まれた”と説明してある」
「警察に、息子が帰ってこないって駆け込んできたらしい」
大河は一瞬だけ目を伏せる。
「……そっか」
小さく息を吐く。
「心配かけちまったな」
ノアが、ほんの少しだけ視線を落とす。
「……上手くやる方法、考えないと……」
山瀬が続ける。
「実は白川先生、知らない仲じゃないんだ」
「えっ」
ノアが珍しく反応する。
「初耳なんですけど」
「言ってないからね」
さらりと言う。
「そこら辺はまた、ノアくん。考えよう」
「……はい」
短い返事。
空気が少しだけ、緩む。
大河はそのまま後ろに倒れ込む。
「あー……疲れた」
ノアがちらりと見る。
「めずらしいわね」
「今日、昼間テスト勉強したからな」
「そっち?」
呆れたように言う。
だが、その声はどこか柔らかかった。
夜は、静かに更けていく。




