よくある話
第三十六話
住宅街の角に、低く唸るエンジン音が滑り込んできた。
黒っぽいクーペ。
無駄に存在感がある。
ヘッドライトが一瞬だけ大河を捉え、そのまま静かに止まった。
助手席のドアが、内側から解錠される。
「乗って」
窓がわずかに下がり、ノアの声。
大河は小さく息を吐いて、ドアを開けた。
シートに身体を沈める。
包み込まれるような感覚。
ドアを閉めた瞬間、外の音が遠ざかる。
「……何の悪いことしたらこんな車買えるんだよ」
思わず口に出た。以前乗ったのは覆面パトカーだった。
内装に視線を走らせる。
質感が違う。
明らかに“いいやつ”だと分かる。
ノアは前を見たまま、さらっと言った。
「私、現世ではお金持ちのお嬢様の設定なの。言ってなかった?」
「お嬢様がお巡りさんなんかやるかね」
「やるでしょ。よくある設定よ」
軽い調子。
だがハンドルを握る手つきは、無駄がない。
車が滑るように走り出す。
夜の街に、静かに溶け込んでいく。
*
しばらくして。
ノアが本題に入る。
「近藤、港の倉庫をアジトにしてるっぽい」
「こっちはベタな設定だな」
大河はシートに背を預けたまま、気のない声で返す。
「張ってる捜査員からは、今日は姿を確認出来てないって」
「なんで場所分かった?」
「そこだけじゃないんだけど」
ノアは視線を前に固定したまま続ける。
「自分が襲った組織の拠点を、そのまま使ってるみたい」
「なるほどな」
短く頷く。
筋は通っている。
力で奪って、そのまま居座る。
分かりやすい。
「今から通報があったスナックに向かう」
「通報?」
少しだけ身を起こす。
「営業自体やってないっぽいけど、いかにもなのが出入りしてるみたい」
淡々とした口調。
だが内容は、分かりやすく黒い。
「半グレの一人が所有してる雑居ビル」
「半グレね…何の悪い事したらビル買えるんだよ」
小さく鼻で笑う。
まぁどこにでもある話だ。
「この件はさっさと処理するわよ」
ノアが言い切る。
迷いがない。
「随分簡単に言うじゃねぇか」
大河は軽く返すが、その横顔をちらりと見る。
表情は変わらない。
ただ、どこか――
温度が下がっている。
「……あんたを殺した連続通り魔」
その一言で。
車内の空気が、わずかに張り詰めた。
「……」
大河は何も言わない。
視線を前に戻す。
流れていく街の灯りが、ガラスに反射する。
ノアは続ける。
「アイツは賢いから、次の犯行まで時間が空く。けど……」
一瞬だけ、間。
「そろそろ動く気がする」
確信めいた声音。
エンジン音だけが、静かに響く。
夜の中へ、車は加速していった。
———————-
雑居ビルの向かい。
通りに停めた軽自動車の中で、佐藤 夏は張り込みを続けていた。
エンジンは切ってある。
フロントガラス越しに見えるのは、古びた看板。
――スナック「ルージュ」。
灯りはついていない。
どう見ても営業している店には見えない。
(……やってるわけないよな、これ)
それでも、人は出入りする。
さっきも一人。
今もまた一人。
スーツ姿だったり、ラフな格好だったり。
一見すれば普通。
だが、どこか“関わりたくない側”の匂いだけは共通している。
佐藤は小さく息を吐いた。
スマホで時刻を確認する。
(そろそろ来てもいい時間なんだけどな……)
自然と背筋が伸びる。
理由は単純。
ノアが来るからだ。
(今日はどうだろうな……)
ふと、余計なことを考える。
(いや、落ち着け俺)
首を振る。
(仕事だぞ、仕事)
分かっている。
分かっているが――
(でもなぁ……ワンチャン、「ありがとう」くらい言われてもいい働きはしてるよな)
できれば少し微笑んで。
いや、そこまで贅沢は言わない。
真顔でもいい。
(いや、真顔はちょっとキツいか……)
一人で勝手にハードルを調整する。
視線は外さないまま。
「……いや何考えてんだ俺」
小さく呟いて、自分でツッコむ。
その時。
また一人、ビルの中へ入っていく男。
特別目立つわけでもない。
だが、さっきから同じような連中ばかりだ。
(やっぱ黒だな)
確信に近いものを感じる。
無線に軽く手を伸ばしかけて、止める。
(まだだ)
ノアの指示待ち。
勝手な判断はしない。
そういうところは、ちゃんとしている。
視線をビルに戻す。
静かな夜。
動きはあるのに、どこか落ち着かない。
(……早く来てくれよ、ノアさん)
仕事のためか。
それとも――
自分でも、よく分かっていなかった。
———————
暗い部屋。
明かりはつけていない。
ロックグラスの中で、氷が小さく鳴る。
近藤は、一人。
背もたれに身体を預け、ゆっくりとグラスを傾けた。
(成り上がる)
それだけは、ずっと変わらない。
(ヤツらに、取って代わる)
売人。
ヤクザ。
半グレ。
闇金。
頭の中に浮かぶ顔を、順に潰していく。
(どうせクズどもだ)
吐き捨てるように思う。
自分も同じ場所にいたことなど、もうどうでもいい。
グラスを置く。
静寂。
(サツは、俺を捜している)
それも分かっている。
だが――
それもどうでもいい。
口元が、わずかに歪む。
(この力があれば)
ゆっくりと、拳を握る。
(全部、奪える)
(支配できる)
暗闇の中で。
その確信だけが、はっきりと形を持っていた。
———————-
夜の街を滑るように走る車内。
一定のリズムで流れる街灯を横目に、ノアがふと思い出したように口を開く。
「そういえば、装備持ってないでしょ?」
「イヤ、リュックの中にグローブと警棒は入ってる」
シートに深く腰を沈めたまま、大河は軽く叩く。
「制服着替える時、あの上下セットアップもって思ったけど、暑いじゃん今」
窓の外に目をやる。
まだ夜気はぬるい。
「このタイミングで呼び出しあるとも思ってねーし」
ノアは一瞬だけ視線を向けて――すぐに前へ戻す。
「あのウェアは暑さ感じない」
さらっと言い切る。
「……まぁいいわ。武器だけでも上出来よ」
それだけ言って、再び沈黙。
エンジン音が静かに響く。
準備は万全とは言えない。
だが――
それでも行く。
そんな空気が、車内にはあった。
————————-
路地裏のパーキングに車を滑り込ませる。
ノアからの指示だ。
佐藤はすぐにドアを開け、外へ出る。
「ノアさん――」
声をかけかけて、止まる。
その隣。
見覚えのある顔。
(このガキ、この間の……)
しかも。
当然のように、助手席から降りてくる。
(まさか、ノアさんの車で一緒に?)
一瞬、思考が止まる。
(異形に対抗出来る少年とは聞いてたけど……)
視線が細くなる。
(なんか気に入らねー)
ノアはそんな空気など気にせず、歩き出す。
「佐藤。中、何人いる?」
仕事の声。
佐藤はすぐに切り替える。
「入って行ったのは三人です。ただ、中の正確な人数までは……」
言い終える前に。
横から声が入る。
「んだよー佐藤。使えねーな」
わざとらしい口調。
佐藤のこめかみが、ぴくっと動く。
(このガキ……ぶっ飛ばしてやろうか)
もちろん、顔には出さない。
ノアが短く言う。
「いいわ。店のサイズ考えても、多くてもしれてる」
それだけで判断は済んだ。
「大河、行くよ」
自然に呼ばれた名前。
「おっ、待てノア。装備、装備」
佐藤の思考が一瞬フリーズする。
(ファーストネームで呼び合う!?)
一歩遅れて、声を出す。
「自分も行きます」
だが、ノアは振り返らない。
「佐藤は周りを警戒。なんかあったら連絡する」
即答。
余地はない。
「……了解」
わずかに間を置いて返す。
その横を通り過ぎながら。
大河が肩をすくめる。
「まっ、そういう事で」
軽い一言。
それが、妙に引っかかる。
佐藤はその背中を睨みつけた。
(……覚えとけよ、こんガキャぁ)
ノアの車のロックが掛かる電子音が夜の駐車場に響く。
———————-
扉は、蹴り開けた。
鈍い音と同時に、室内の空気が一気に流れ出る。
埃と、酒と、安い香水の混ざった匂い。
薄暗い店内。
カウンターの奥、テーブル席。
三人。
こちらを見た瞬間――動いた。
「早いな」
大河が一歩踏み込む。
人間のそれじゃない加速。
黒い霧が、身体にまとわりつく。
(……やっぱりか)
考える暇はない。
一人目が一直線に突っ込んでくる。
手にはナイフ。
振り下ろし。
――カンッ!
大河は警棒で受ける。
衝撃を流す。
そのまま半歩ずらし、懐へ。
肘。
喉元へ。
――ドッ!
一瞬、動きが止まる。
間髪入れず、膝。
腹にめり込ませる。
空気が抜ける音。
だが、倒れない。
(タフだな)
横から気配。
二人目。
大河は身体を捻る。
大振りの拳を、ギリギリで外す。
頬をかすめる風。
(いい速度してやがる)
警棒を逆手に持ち替える。
床を蹴る。
一歩で距離を詰める。
左ジャブ。
右ストレート。
連撃。
グローブ越しに、確かな手応え。
黒い霧が、わずかに剥がれる。
(効いてる)
⸻
その横。
ノアはすでに二本の警棒を展開していた。
しなやかに、低く構える。
「でた」
大河が横目で見る。
「ブラックウィドウスタイル」
「集中しなさい」
即答。
一人がノアに飛び込む。
踏み込み。
速い。
だが――
ノアは一歩も下がらない。
右の警棒で受け流し、左で打つ。
手首。
肘。
関節を正確に潰す。
――バキッ。
鈍い音。
それでも止まらない相手に、間を与えない。
回転。
二刀が交差する。
脇腹。
顎。
連続で叩き込む。
無駄がない。
完全な制圧。
⸻
三人目が、後ろから大河に襲いかかる。
気配。
遅い。
振り向きざまに、ロー。
膝を刈る。
体勢が崩れたところに、追撃。
拳。
肘。
最後に、警棒で肩口を打ち抜く。
――ドンッ!
床に叩きつけられる。
だが、すぐに起き上がろうとする。
「しつこいな……!」
舌打ち。
もう一度、踏み込む。
連撃。
打つたびに、黒い霧が削れていく。
霧が、散る。
薄くなる。
(本体じゃねぇな)
確信。
一撃、二撃、三撃。
最後に、全体重を乗せたストレート。
――バンッ!
霧が、弾けた。
男の身体が崩れ落ちる。
同時に。
ノア側も決着がついていた。
二人、床に転がっている。
わずかに息はある。
黒い霧が、入り口の隙間に消えていく。
静寂。
大河は肩で息をする。
「……なんだこれ」
警棒を軽く振る。
感触を確かめるように。
「核、やっぱり出てこねぇぞ」
ノアは倒れた男を見下ろしながら、短く言う。
「本体じゃない」
その一言で、全部繋がる。
「力だけ、分け与えられてる……ってことか」
「えぇ」
ノアが視線を上げる。
「厄介ね」
大河は小さく笑う。
「数増やしてくるタイプかよ」
大河は警棒を握り直した。
「……で、本命はどこだよ」
「追うわよ。霧が逃げた方」
「よくある展開だな」




