犬は家族に含まれますか?
第十四話
昼休みの学食は、戦場だ。
トレーを持った生徒たちが右往左往し、うどんの湯気と揚げ物の匂いが渦を巻く。
俺は普通のカレーを確保して、空いた席に腰を下ろした。
その三秒後、霧島が当然のように向かいに座る。
「なあ大河」
「なんだ」
「お前ん家さ、あれなんだろ。ペンタゴン」
スプーンを止める。
「国防総省に住んだことはない」
「違ぇよ、ほら。金持ちが住むマンションのヤツ」
「ペントハウスな。五角形じゃ無いし」
「同じだろ」
「どこがだ」
霧島はうどんをすすりながら首をかしげる。
「だって響きが強そうじゃん。ペン!って」
「強さで分類するな」
「最上階なんだろ?やっぱすげぇな」
「家が持ってるだけだ。俺の実力じゃない」
カレーを一口。
味はまさに普通だ。
「へー。じゃあお前、金とか興味ないタイプ?」
「自分で稼いだら考える」
「なんかお前、たまにオッサンみたいなこと言うよな」
「気のせいだ」
霧島は納得していない顔でうなずいた。
学食は今日も騒がしい。
俺はカレーをもう一口食べた
———————-
霧島がまだ「ペンは強い響きなんだよ」とか言っていると、
「ペンタゴン行ってみたい!」
横から元気な声が飛んできた。
小春だ。
トレーを抱え、なぜか目を輝かせている。
「澪ちゃんも行きたいよね?」
隣の澪が、少しだけ笑う。
「アメリカでしょ、それ」
「そうそう!なんか秘密の会議してるやつ!」
「観光地じゃない」
俺はカレーをすくう。
「白川くん、アメリカから?」
澪が笑いながら言う。
「んなわけあるかい」
霧島が得意げに言う。
「ペントハウスだってよ。五角形じゃないらしい」
「五角形ではない」
小春が身を乗り出す。
「じゃあ普通の四角なの?」
「普通の四角だ」
「なんだぁ」
澪がくすっと笑う。
「でも最上階って、景色いいんでしょ」
「まあ、夜景は見える」
「ほらやっぱり!ずるい!」
小春が指差す。
「今度お邪魔していい?」
「親に言え」
「かたーい!」
「じゃあさ!勝った人がタイガーんち行けるってことで!」
小春が勝手に宣言する。
「俺の家を景品にするな」
霧島がニヤつく。
「三本勝負な!」
「拒否権は」
「ない!」
じゃんけん。
一回目。負け。
二回目。負け。
三回目――また負け。
霧島がガッツポーズ。
「うおっしゃ!」
小春
「タイガー弱っ!」
澪が少しだけ目を丸くする。
「意外と負けるんだね、白川くん」
「たまたまだ」
水を飲む。終わり。
霧島が身を乗り出す。
「よし、決まりな。ペンタゴン招待」
「ペントハウスだ。五角形じゃないからな」
「最上階ってやつだろ?やっぱ強ぇな」
小春がキラキラする。
「夜景見るー!」
霧島がにやっと笑う。
「俺、ちょっと楽しみなんだよな」
「夜景か」
「ちげぇよ。美魔女医師に会えるぜー」
俺はスプーンを止める。
「……誰のことだ」
「お前の母ちゃんだよ。うちの母ちゃん言ってた。
“白川先生は昔から変わらずキレイ”って」
「余計な情報を共有するな」
小春が食いつく。
「え、タイガーのお母さんキレイなの!?」
澪が少しだけ笑う。
「有名だよ。白川総合病院の美人外科医」
そうなのか?知らんかった。
霧島が肩をすくめる。
「俺ん家、外科の看護師長だからな。
母ちゃん、たまにお前の母ちゃんの話するぞ」
「やめろ」
「なんかオーラあるらしいぞー」
「やめろ」
小春
「タイガー顔赤いー!」
「赤くない」
昼休みは、いつも通りだ。
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夜。駅前。
木下彰、24歳。
今日もバイトは落ちた。
コンビニ前で缶コーヒーを握りながら、通りを眺める。
目に入ったのは、楽しそうなカップル。
紙袋を抱えて、笑いながら肩を寄せている。
「……いいよなぁ」
胸の奥が、じわっと熱くなる。
その瞬間だった。
ドクン。
心臓が一拍、強く鳴る。
視界が、やけに鮮明になる。
街の音が遠のき、空気が軽い。
――何だ、これ。
次の瞬間。
カップルの女が足を止める。
「え? うそ……」
男のスマホ画面。
何かの通知。
顔色が変わる。
空気が、冷えた。
言い争い。
沈黙。
女が背を向ける。
男は立ち尽くす。
木下は、瞬きをした。
胸の奥が、妙に満ちている。
身体が軽い。
妙に、気分がいい。
「……偶然、だよな?」
口元が、わずかに上がる。
ドクン。
もう一度、心臓が鳴った。
――ああ。
これ。
これ、かもしれない。
—————————-
午後七時。
ジョギング終わりの大河は、イヤホンを外した。
夜風がちょうどいい。
と、そのとき。
背中に、視線。
「……つけられてるな」
物騒なセリフとは裏腹に、足音はやけに軽い。
振り返る。
――ちっさ。
黒とグレーのまだら模様。
虎柄っぽい。
しかも頭の毛だけ妙に立ってる。
モヒカン気味。
子犬。
目が合う。
逸らさない。
大河は無言で前を向き、歩き出す。
三歩。
……ちょこちょこちょこ。
ついてくる。
もう一度振り返る。
また、目が合う。
じーーー。
「そんな目で見つめないでくれ」
子犬は、じっと大河を見上げている。
モヒカンが気になる。
目が合う。
逸らさない。
「……その目やめろ」
既視感。
放課後の裏門。
段ボール箱。
震える柴犬の子犬。
あのときも、こんな目だった。
結果?
連れて帰った。
当然、怒られた。
「誰が世話するの!」
「責任持てるの!」
でも最終的に一番甘やかしてたの、死んだ親父だった。
名前はコタロウ。
布団の足元を定位置にする、あったかい生き物。
大河は現実に戻る。
目の前のモヒカン子犬。
じーーー。
「……デジャヴが過ぎる」
「かわいいでしょ」
背後から声。
大河、ため息。
「出たな」
ノアは当然のように隣に立つ。
子犬の頭を撫でる。
「天界で飼ってるウチの狼の子供。現世仕様にして転送した」
「言い方が家電」
「呪いを追えるわ。深くて濃いほど精度が上がる」
子犬、くん、と空気を嗅ぐ。
一瞬だけ目が鋭くなる…様な気がしただけだった。
すぐ戻る。
「成長は普通より早い。任務向き」
「……で?」
「あなたのサポート」
大河、子犬を見る。
子犬、きりっと座る。
「飼うのか?」
ノア、首をかしげる。
「は?」
「独り身で寂しくなったか」
一拍。
ノア、少しのる。
「現世で一人、仕事から帰っても一人、温もりが欲しいのかも」
大河、にやり。
「アラサー女子がペット飼うと婚期逃すらしいゾ」
沈黙。
ノア、無表情。
「………」
そして即答。
「あんたが飼うのよ!」
子犬、全力でしっぽ。
大河、空を見上げる。
「またか……」
ノア、にやり。
「今回は怒る親も多分いないわよ?」
大河、子犬と目が合う。
じーーー。
「……名前、どうする」
—————————
木下は、自分の手のひらを見つめていた。
何も変わらない。
……はずなのに。
胸の奥が、妙に熱い。
黒スーツの男が言っていた言葉がよぎる。
「力が必要か」
力ってなんだよ、どうやんだよ。
木下はコンビニ前のベンチに座り、通りを眺める。
ちょうど、スーツ姿の男が電話をしながら歩いてくる。
焦ってる様子。
「すみません、すぐ向かいます!」
必死だな。
木下は、なんとなくその男を見つめる。
――奪う。
頭に浮かんだ瞬間。
胸が、ぎゅっと縮む感覚。
次の瞬間。
ふっと、何かが流れ込んできた。
温かい。
甘い。
炭酸みたいに弾ける感覚。
通りの男が、足を止めた。
「あれ……?」
スマホを落とす。
画面、ひび。
「嘘だろ……」
顔が青ざめる。
木下の呼吸が、深くなる。
ドクン。
体が軽い。
さっきまで感じていた焦りや不安が、すっと消える。
代わりに。
根拠のない自信。
「……マジか」
立ち上がる。
世界がくっきり見える。
音がクリア。
空気が甘い。
向こうで男が頭を抱えている。
木下は無意識に笑った。
「これ……俺のせい?」
胸の奥が、さらに熱くなる。
答えは分かっている。
さっきよりも、はっきり。
「すげぇじゃん」
もう一度、視線を別の人間に向ける。
今度は、笑いながら歩くカップル。
試すか?
少しだけ。
ほんの少し。
――奪う。
ドクン。
また流れ込む。
向こうで女性がつまずく。
男性が財布を落とす。
小さな不運。
でも確実に。
木下の背筋が伸びる。
「俺のせいか?」
体の奥から力が湧いてくる。
さっきまでの自分が、馬鹿みたいに小さく思える。
「なんだよ……」
笑いが止まらない。
「最強じゃん」
胸を張る。
足取りが軽い。
初めて、自分が世界より上に立った気がした。
——————————
回想。
ノアは子犬を抱えながら言った。
「名前はトラ」
「!?」
「あんたタイガでしょ」
「だから?」
「タイガーだからトラ」
こいつも小春と同じレベルか。
トラは「それでいいです」みたいな顔でしっぽを振っていた。
大河はため息をつく。
(……小春のときと同じだ)
勝手に向こうが決めて、
勝手に定着して、
気づけばそれが“当たり前”になる感じ。
ああ、また流れに乗せられてる。
⸻
夜十時過ぎ。
玄関の音。
「ただいま」
静香がリビングに入ってきて、止まった。
三秒。
視線の先。
モヒカン子犬。
「……タイガくん」
「はい」
「この小さな生命体は何?」
「犬……かな」
「うん。犬はわかる」
即答。
「何故ここに?」
トラ、てしてしと床を歩く。
大河、目を逸らす。
「帰り道で……その……目が合って」
「目が合ったら連れて帰るの?」
痛いところ。
「……放っておけなかった」
静香はしゃがむ。
トラ、即なつく。
早い。
静香の口元が、わずかに緩む。
だがすぐ戻す。
「タイガくん」
医師モード。
「動物を飼うというのは、命を預かるということよ。毎日の世話。病気。責任」
真面目。
ただし、撫でる手はめちゃくちゃ優しい。
「責任、取れる?」
大河は一瞬だけ迷って、でも頷く。
「……取る」
ちょっとムキになる。
ちょっと子供。
静香はその表情を見て、ほんの少しだけ安堵する。
大河は、妙に落ち着いている。
やけに冷静で。大人。
それが、少し怖かった。
でも今は。
ちゃんと、年相応に見える。
「名前は?」
「トラ」
「……安直ね」
「そう思う」
トラ、くしゃみ。
静香、負ける。
「……今日だけよ。仮だからね」
トラ、しっぽ暴走。
静香は抱き上げる。
その手つきは、明らかに慣れている。
「ワクチンどうしようかしら」
もう前向き。
大河、ぼそっと。
「好きなんだろ」
「医師として知識があるだけよ」
言い訳が早い。
トラがぺろっと頬を舐める。
静香、笑う。
完全に。
大河はそれを見て、小さく息を吐いた。
(……怒られなかったな)
トラが足元に座る。
新しい家族みたいに。




