奪う者たち
第十一話
《結婚相談所運営会社社長 死亡》
「は?」
日野美幸はスマホの画面を見つめた。
数秒の沈黙。
「最悪なんだけど」
最初に浮かんだのは、金。
今月分、まだ振り込まれていない。
口座アプリを開く。
未入金。
舌打ち。
あの社長は回転が良かった。
焦らせて、延ばして、引っ張る。
頃合いで切る。
“今回はご縁がなかったということで”
あの定型文は便利だった。
男は勝手に傷つき、勝手に諦める。
こっちは次へ行くだけ。
紹介された客の顔が、ぼんやり浮かぶ。
緊張した笑顔。
無理をした背伸び。
高級店のレシート。
必死だった。
でも、こっちも仕事だ。
時間を使った。
演じた。
だから対価をもらう。
それだけ。
「ほんと迷惑」
社長が死ぬとか想定外。
未払いはどうなる?
会社は潰れる?
この条件のバイト、他にないのに。
スマホを握り直す。
まずは事務所に連絡か。
引き継ぎはあるはず。
金だけは回収しないと。
それが一番大事だ。
夜は、静かに更けていく。
美幸は、自分の口座残高をもう一度確認した
——————————-
結局ロードバイクは家に置いてきた。
2人で動くなら車のほうが都合が良い。
(あんまり遅くなると、委員長心配するかな…)
古いワンルームマンション。
三階建て、外階段。
「ここで間違いないのか?」
「住民票情報と照合済み」
「さすが、お巡りさん」
階段を上がる。
三〇五号室。
ノック。
反応なし。
大河が耳を澄ます。
「……いないな。気配が無い」
「分かるの?」
「なんとなく」
「雑」
ノアはドアノブを見つめる。
「争った痕跡はない」
「普通に外出、か」
大河は息を吐く。
「能力の詳細、まだ不明」
「精神に干渉している可能性は高い」
「直接攻撃型じゃない、と」
「断定はできない」
「厄介だな」
沈黙。
大河が壁にもたれる。
「次に狙われる可能性があるヤツは?」
「結婚相談所の関係者」
「よく無い噂が多数」
「資金の流れが不自然。苦情も複数」
「釣り役がいるって話?」
「推測の域」
「でも可能性は高い」
(前世のマッチングアプリ思い出してきた)
大河が顔を上げる。
「断られた側だろ、田島」
「相談所経由で」
「だったら」
言葉を飲み込む。
「逆恨み」
「あり得る」
ノアがスマホを見る。
「位置情報は掴めない。現世の制限がある」
「じゃあ勘か」
「論理的推測」
「ほぼ勘だろ」
「否定はしない」
「でも、目星はつけてる」
大河は階段を駆け下りる。
「急ぐぞ」
「保証はない」
「間違ってたら?」
「無駄足」
「それでも行くのか?」
ノアが小さくため息をつく。
「強制労働」
「…..承知した」
車が夜へ滑り出す。
確証はない。
ただ、嫌な予感だけがあった。
——————————-
夜七時。
日野美幸はマンションを出た。
「最悪なニュース見ちゃったし、気晴らし」
社長の死亡。未払い。腹は立つが、落ち込む理由にはならない。
友人と食事。
少し洒落た店で、軽い愚痴と笑い声。
「例の男とか大丈夫なの?」
「誰だっけ」
本当に覚えていない。
終わった案件は、終わりだ。
九時半過ぎ。
1人でお気に入りのバーへ。
カウンターの向こうには、若いイケメンのバーテンダー。最近の“推し”。
「こんばんは」
「今日もお綺麗いですね」
「お上手」
指先をわざと触れさせる。
匂わせるだけ。
踏み込ませない。
選ぶのは、いつも自分。
十時半を過ぎ、店を出る。
軽く酔い、気分は悪くない。
夜風が心地いい。
スマホを見ながら歩いていると、背後に気配。
足音。
振り返る。
街灯の下に立つ男。
「……あ」
思い出すのに、少し時間がかかる。
「えっと…田島さん?」
田島。
「久しぶり」
穏やかな声。
穏やかな顔。
目だけが、静かすぎた。
「どうしたの?偶然?」
まだ笑っている。
まだ、余裕がある。
田島が一歩、近づく。
「話がある」
距離が詰まる。
手首を掴まれた瞬間、ようやく違和感が形になる。
「ちょ、なに――」
逃げようとする。
力が強い。
夜の路地へ引きずられる。
その時、田島の目が、わずかに歪んだ。
空気が、重くなる。
何かが削られるような感覚。
自分の“当たり前”が、崩れ始めた。
————————————
路地裏に押し倒される。
「やめて、ちょっと待って……!」
声が裏返る。
さっきまでの余裕は消えていた。
田島の目が揺らぐ。
視界が歪む。
胸の奥が、ざらりと削られる感覚。
「な、なにこれ……」
立ち上がろうとして、膝をつく。
ヒールが転がる。
ストッキングが破れる。
「ごめん、ごめんなさい……!」
何に対してか分からないまま、謝る。
「悪かったってば……!」
地面に手をつき、必死に距離を取ろうとする。
「お金も、もらった物も返すから! お願いだから、もう関わらないで!」
涙がぼろぼろ落ちる。
鼻水を袖で拭う。
田島は刃物をとり出す。
「お願い……やだ、死にたくない……!」
声が掠れる。
さっきバーで笑っていた女と同じ人間とは思えない。
「私、何もしてないでしょ……?」
その一言に、田島の表情が変わる。
震える声で続ける。
「ただ、仕事だっただけ……」
自分を守る言葉しか出てこない。
謝罪は、命のため。
反省ではない。
地面に這いつくばり、指先で田島のズボンを掴む。
「お願い……助けて……お願い……なんでもするから…….」
みっともなく。
汚らしく。
必死に。
———————————
田島は刃物を美幸に突きつける。
街灯の光を鈍く反射する。
「……やめて」
美幸は地面にへたり込んだまま動けない。
腰が抜けている。
足が震えて、立ち上がれない。
刃先が喉元へ近づく。
「選ぶ側だったよな」
田島の声は、やけに穏やかだ。
「俺は、選ばれなかった」
美幸は首を横に振る。
「違う、違うの……相談所が……」
言い訳にならない。
恐怖で呼吸が乱れる。
そのとき。
じわ、と温かい感触が広がる。
自分でも分かる。
失禁。
「……あ」
田島が視線を落とす。
数秒の沈黙。
そして、吹き出す。
「はは……はははは……」
乾いた笑い。
「汚ねぇな」
さっきまで“高い場所”にいた女が、
地面で震え、汚れている。
「それがお前の本当の姿だ」
刃物が持ち上がる。
「やだ、やだやだやだ!」
美幸は顔を覆う。
その瞬間――
「オラァ」
ガンッ!
鈍い衝撃音。
田島の体が横に吹き飛ぶ。
壁に叩きつけられる。
「田島ぁ」
夜気を裂く声。
路地の入り口に立つ、大河。
その隣で、ノアが静かに状況を観察している。
「正義の味方、到着」
「強制」
田島がゆっくりと顔を上げる。
目の奥が、さっきまでとは違う。
歪み始める。
空気が重くなる。
刃物を握る手が震え、次の瞬間――
何かが、内側から弾けた。
—————————
壁に叩きつけられた田島が、ゆっくりと起き上がる。
「おい、ノア」
大河が眉をひそめる。
「あれ、普通のあんちゃんじゃね?」
「思いっきり殴っちゃったゾ」
「よく見て」
ノアの声は静か。
壁にもたれたまま、田島がこちらを見ている。
刃物はまだ握られている。
だが、視線は大河に固定されていた。
「……お前も」
低い声。
「俺から奪いにきたのか」
その瞬間。
田島の胸元から、じわ、と黒いものが滲み出す。
煙のような、霧のような。
だが風に流れない。
生き物のように、蠢く。
「おい、ノア」
「今度はなに?」
「あれは」
黒い霧が田島の体を包み込む。
腕に絡みつき、脚を覆い、背中へ集まる。
筋肉が膨張する。
血管が浮き上がる。
骨が軋む。
霧が肉に溶け込むたび、身体が一回り大きくなる。
「呪いがかなり侵蝕してる」
ノアが静かに言う。
田島の目の奥が、真っ黒に沈む。
瞳孔が拡張し、白目が濁る。
黒い霧が背後で渦を巻き、獣の様な輪郭を作る。
「奪われる側は」
声が重なる。
「もう、嫌なんだよ」
刃物を投げ捨てる。
地面を踏み込む。
アスファルトが弾ける。
一瞬で間合いが消える。
大河が腕を交差させて受ける。
衝撃。
体が後方へ弾かれる。
「ぐっ……!」
電柱に叩きつけられる。
霧が尾を引く。
田島の動きは、人間のそれではない。
「精神干渉じゃなかったのかよ!」
「内部増幅型」
「説明短ぇ!」
田島が笑う。
黒い霧が口元から漏れ出す。
「全部、奪われた」
拳が振り下ろされる。
地面が陥没する。
衝撃波が路地を揺らす。
「奪い返しただけだ」
大河が転がり、立ち上がる。
目が変わる。
「……上等だ」
—————————-
田島の体を包む黒い霧が、さらに濃くなる。
渦を巻き、脈打つ。
「俺は……奪われ続けた」
霧が腕へ集まり、筋肉が膨れ上がる。
「選ばれない。認められない」
地面を蹴る。
衝撃でアスファルトが砕ける。
大河が受け止めるが、押し切られる。
腕が軋む。
「力の源は」
ノアが冷静に告げる。
「呪い本体。奪った自尊心の蓄積」
「燃費悪そうだな……!」
次の一撃で、大河が壁に叩きつけられる。
肺の空気が抜ける。
霧が吠えるように膨張する。
「備えて」
ノアの声が低くなる。
「リミッター解除」
一瞬、空気が変わる。
大河の視界が研ぎ澄まされる。
心臓の鼓動が静まる。
「3分よ」
「短ぇな」
実際には3分間殴り合うのはかなりしんどい…
ルールがあっても。
「秒でキメる」
田島が突進する。
黒い霧が獣の形を取り、牙を剥く。
大河が踏み込む。
真正面からぶつかる。
拳と拳が衝突。
衝撃波。
霧が揺らぐ。
「お前のそれは」
大河が歯を食いしばる。
「借り物だろ」
さらに踏み込む。
霧の中心。
胸の奥で、黒い塊が脈打っているのが見える。
「ノア!」
「核。胸部中央」
「オッケー、見えてる!」
大河が霧を振り払う。
拳を引く。
「――破壊」
全力。
一直線。
黒い塊へ叩き込む。
亀裂。
音のない悲鳴。
核が砕け散る。
黒い霧が爆ぜ、夜空へ霧散する。
田島の体から力が抜ける。
崩れ落ちる。
…………静寂。
—————————
黒い霧が夜に溶ける。
田島は地面に崩れ落ち、動かない。
荒い呼吸だけが残る。
数秒の静寂。
美幸が、震える足で立ち上がる。
スカートは濡れ、メイクは崩れ、顔はぐしゃぐしゃだ。
だが――
視線が変わる。
倒れている田島を見下ろす。
「……は?」
鼻をすすりながら、吐き捨てる。
「だから、彼女も出来ないのよ」
蹴る。
弱々しいが、確実に。
「選ばれなかった? 当たり前でしょ」
声が徐々に戻る。
「キモいし、陰キャだし、逆恨みとかほんと無理」
さっきまで命乞いしていた口で。
「人のせいにしてるからダメなの」
完全に上から。
自分が地面に這いつくばっていたことなど、もう忘れている。
そして、くるりと振り向く。
大河を見る。
少し潤んだ目を作る。
「あの……助けてくれて、ありがと」
声色が変わる。
甘い。
「ほんと怖かったぁ……」
一歩、距離を詰める。
「お礼しなきゃだよね?」
袖をそっと掴む。
「おねぇさんのLINE、教えてあげよっか?」
笑う。
さっき失禁までしていた女とは思えない顔で。
ノアが無言で横を見る。
大河は数秒、黙る。
視線を外さない。
そして。
「あんた、クズだな。クセェから離れろ」
感情を乗せない声。
ただの評価。
美幸の笑顔が、固まる。
夜風が吹く。
何もかもが、静かだった。




