第18節:責任の重み
後ろ手に襖を閉めたおやっさんがアヤを見下ろすと、身を縮めた彼女は俯いて自分の手元を見つめた。
おやっさんは、アヤのその様子に内心溜め息を吐く。
―――強ぇ奴ってのは、何でこう、デリカシーってもんがねーんだろうねぇ。
すっかり萎縮した様子のアヤの横に、おやっさんは腰を下ろした。
畳の部屋などというものは随分久しぶりだ。
人工半島であるフラスコル・シティでは、金のない人間は基本、マンション住まい。
フローリング以外の床敷きは高級品の部類なのだ。
木造の天井に、中古らしい窓の汚れにも味を感じる気がする。
朝の日差しが射し込む明るい部屋で静けさを感じながら、おやっさんは口を開いた。
「君は、私などと話をしたくはないだろうが」
顔を上げないアヤに目を向けながら、おやっさんはその様子を不憫に感じる。
アヤは、まだ二十歳にもならない子どもだ。
「少しだけ、話をさせて欲しいんだがね」
法律により成人年齢が下がって久しいが、それでもおやっさんから見れば若い。
重責を押し付け、フォローもないまま尻を蹴るだけで働けば、パンクするのは当然だと思った。
「俺ぁ、司法局の捜査員だ。責任もなんも、最後にゃ上に押し付けられる立場にいる」
それは、おやっさん自身の望んだ立ち位置だった。
大坂隕石襲来体事件と呼ばれる参式と肆号が誕生した事件で、おやっさんは前線部隊【黒の兵士】の参謀を務めた。
あの事件は凄惨だった。
今度起こるであろう事件の前哨戦。
「アヤさんはそうじゃねぇ。……さぞ、重かっただろう?」
アヤは、おやっさんの言葉に初めて顔を上げた。
その目尻から涙が一筋こぼれる。
おやっさんは、彼とハジメにとっての『おやっさん』、花立キヘイと、花立トウガの恋人だった幹スミレの殉職を受けて重くなっていった責任に。
こりゃ向かねぇわ、とつくづく思ったのだ。
あの頃は装殻もなく、《黒の装殻》以外は皆生身で戦っていた。
死を命じるも同義の指示を出した事も、ある。
だが、お互いの存亡をかけた闘争は、人の命を紙切れのように消費しなければ終わらなかったのだ。 人を助けるために人を殺す、あの事件を終えてそれが嫌になったおやっさんは、人の顔が見える場所で、誰かを助ける仕事がしたかった。
だから、司法局の下っ端になったのだ。
アヤは呆けたような顔のまま、声もあげずに涙を流し続けながら、言った。
「私には無理。行き詰まって、どれだけ考えても上手くいかない。皆は結果を出していくのに」
彼女は、普通の人間だ。
少し賢いかもしれないが、ただそれだけの。
「お兄ちゃんもケイカさんも青蜂を完成させた。ミツキさんたちもユナを救い出して。他の皆も、何かの役に立ってるのに、私だけが、何もない。失敗ばかり」
何かが起こった時に、戦えない彼女に出番はなく、情報もすぐに回っては来ない。
まして今回は、身内から裏切り者が出たらしい。
森宮カオリは、彼女たちと共に暮らしていたという話だ。
その心労の重さを、誰も彼も手一杯でケアしてはやらなかったのだろう。
アヤは、限界だったのだ。
彼女が千切れる、そのギリギリ手前に、間に合って良かった。
おやっさんはそう思った。
「EX.gのことだって、私が馬鹿だったって分かってる。でも、どうにかしてあげたかった。お兄ちゃんを見てて、装殻を使えないのは、どれだけ辛いことか知ってたから……」
彼女は、膝に顔を埋めた。
震えるその背中を撫でながら、おやっさんは口を開く。
「そのままで良いから、おっさんの昔話を少し聞いてくれ。装殻なんてモンはね、アヤさん。この世にない方がいいに決まってる」
人の領域を超えたその力をハジメが世に出すと言い出した時に、おやっさんは反対した。
決して良い方向には転がらない。
そう、直感したからだ。
「でもね、実際、装殻がなけりゃ、日本はもっと酷い事になってたかも知れねぇ。初めにラボが出て、その後に襲来体が来た。日本はただでさえボロボロだったのに、その後に北海道や沖縄の独立や統合騒ぎだ。俺がもっと若ぇ頃は、餓死する人もいたくらいでな」
政府も疲弊していて、手が回らない。
しかし日本が力を失ったままでは、あの頃、協力者の数が襲来体によって極度に減っていたハジメたちは戦う力を蓄えるどころではなかったのだ。
そんな状況をなんとかするには、力業が必要だった。
だからハジメは装殻を作った。
「『俺のやる事が、決して人にとって良いことではないと分かっている。それでも、やらなければならない』……ハジメは、そう言っていた」
日本に撒かれた装殻の有用性を目の当たりにして焦った米国は。
その頃、力をつけ始めていた『トリプルクローバー』を巻き込んで、日本への介入を強引に行った。
結果が、日米装殻騒乱だ。
「米国は表向き、日本の復興支援と技術提携を謳い、日本政府がそれを拒否すると、今度は日本政府が餓死者を見捨てる選択をした、と難癖を付けた。……実際は、装殻開発の技術が欲しかっただけだ」
結果、四国は奪われ、装殻技術も流出した。
米国の粗悪な装殻によって、不良装殻者も爆発的に増えた。
「ハジメは頑張ったが、それでも全員は救えねぇ。奴には奴の目的もあったしな……そこでようやく手にしたのが、お前さんだよ」
「私?」
アヤは、少し泣き止んでいた。
おやっさんがハンカチを差し出すと、恥ずかしそうに受け取って顔を拭う。
張り詰めていた気持ちを発散して、少し冷静になったのだろう。
「捜査の過程でアヤさんの色んな情報を調べたが、その才能は素晴らしいと思った。俺も情報系だが、あそこまで装殻は使いこなせねぇし、鋭い発想もねぇ」
それは、おやっさんの偽りない気持ちだった。
「実際な、ハジメが手をこまねいている事を任せれるような人材は、そうは居ねぇ。奴は突っ走ると周りが見えなくなる馬鹿だが、頭だけは賢いからな」
おどけておやっさんがこめかみを突つくと、アヤがくすりと笑う。
「奴が見ている、考えている事についていける奴はそもそも少ねぇんだ。だからハジメは、君に期待してる」
その言葉に、またアヤの表情が少し暗くなった。
おやっさんは、首を静かに横に振る。
「……人間ってのは、そもそも間違うもんさ。間違わない奴なんかいねぇ。ハジメだって、話に聞いてたゴウキさんだって、間違ったから今の状況があるし、間違いを呑んで先に進んだからこそ、今がある」
ハジメが黒の一号となり。
新たな襲来体に対応出来る力が集いつつある、今が。
「なぁ、アヤさん。俺にゃ襲来体を倒す手助けや、人に迷惑を掛ける奴を逮捕して説教する事くらいしか出来ねぇが、君は、もっと大きなものを救える力を持ってるんだ」
おやっさんの真剣な口調に、アヤが肩を軽く震わせる。
「だから、過去の間違いに縛られる必要はねぇ。大事なのは、今、何をするか、何をしたいと思うか、なんだ」
「今……?」
「そう」
恐る恐る言うアヤに、おやっさんはうなずく。
良い傾向だった。
彼女は答えを欲している。
それは、彼女が前を向き始めた、という事だ。
「状況は差し迫ってる。それはゴウキさんの言う通りだ。襲来体が来る。その対策に【黒殻】は追われてる。俺にゃ小せぇ事しか出来ねぇが、それが手助けになると、ハジメやトウガは言った。なら、やらなきゃならん。と、俺はそう思うのさ」
「鯉幟さんは、何をするんですか?」
おやっさんは肩を竦めた。
「俺に出来るのは、情報収集だけさ。捜査だよ」
よく分かってなさそうなアヤに、おやっさんは続ける。
「捜査内容は、坊……正戸アイリを見つけ出す事、だ」
「あ……」
「こんなのは、地道にやりゃ誰でも出来るようなこった。それでも、その誰でも出来る事を誰に任せるか、ってなった時に」
おやっさんはアヤを見つめたまま、自分の胸に手を当てる。
「それを俺に任せたいと言われて……俺は嬉しかったよ。俺なんかでも、まだ役に立てる、と言われた気がしてな」
おやっさんは、激動の日々を越えて、引退したような気持ちだった。
前線に戻る気もなく、だからといってハジメらにしてやれる事もない、と。
精々、哀れな境遇の跳ねっ返りの小娘を預かる程度が、自分の出来る限界だと、そう思っていた。
だが。
「必要だと言われりゃ、やるべき事にも張りが出るってもんだ。そうは、思えないかい?」
「……私が、役に立つんですか? 失敗ばかりなのに?」
すがるようなその目に、おやっさんはしっかりとうなずいて見せた。
「俺と違って、君は誰もやったことがない事をやってるんだ。ハジメですら、完成させた事がないものを作ろうとしてるんだろう?」
おやっさんは、可能性の芽が潰れずに立ち上がろうとしてる事に。
安堵と共に、笑みを浮かべる。
「失敗ばかりで当たり前だ。ケイカだってな、最初から上手い事いってた訳じゃない。それこそ君が幼い頃から、ずっと頑張ってたんだ。時間がない、それが分かってるから君も自分を責めているんだろう」
おやっさんは、アヤが何かを言う前に続ける。
「でも……今君がやっている事は、多分、君にしか出来ない事なんだ。独学で、適合率を上げたり下げたりする理論を立てて、その上、装殻と人体を分離する薬品なんてものを作ろうとしてる。そんな事、どうやったら出来るのか、俺にゃ皆目分からねぇ」
おやっさんはアヤの目を指差した。
光と涙の名残に輝く瞳は、こちらを見たまま、もう逸れない。
「……でも、君には見えてる。見えてるから、ハジメは君に期待してるんだ。期待してるから、皆が君を気に掛ける。今まで誰かに、失敗を責められた事なんか、なかっただろう?」
「……うん」
「君のやっている事の難しさを、皆が理解してるからだ。だから、出来ない事を気に病む必要はねぇ。やれる事を、精一杯やろう。俺も君も戦闘が始まりゃ役にゃ立たないが……それでも、出来る事があるんだと、思おう」
「……うん」
アヤは、しっかりと一つ、うなずいた。
彼女はもう大丈夫だろう。
「さ、着替えて、ハジメんトコへ行こうか」
「はい」
アヤの返事を受けて、おやっさんは立ち上がった。
そして出ていく前に、最後に声を掛ける。
「アヤさん。襲来体の事は、誰もが無関係でいられねぇ。それを皆に理解して貰って、少しでも力を集める為の糸口に……君の作り出すモノがなる、と、俺ぁ、思ってるよ」




