みんなと作ろう2
一週間後の朝。
山口愛菜は、必要な道具を確認してから本邸の厨房へ向かった。
今日は、あのとき仕込んだドライフルーツのラム酒漬けを使って、いよいよパウンドケーキを焼く日だ。
厨房へ入ると、すでに料理人たちが準備を整えて待っていた。
作業台の上には、量った材料と焼き型、そして蓋をした容器がきれいに並べられている。
「おはようございます」 「おはようございます。お待ちしておりました」 「今日はよろしくお願いします」 「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
前回と同じ年長の料理人が答える。
その声には、わずかに弾んだものが混じっていた。
料理人たちも今日を楽しみにしていたのだろう。
愛菜はまず、作業台の上の容器へ目を向けた。
「では、最初に様子を見てみましょうか」
蓋を開けると、ふわりと甘く濃い香りが立ちのぼる。
ドライフルーツはしっかりとラム酒を含み、最初のころよりもつややかで、やわらかそうに見えた。
「わあ……」 と、若い料理人のひとりが小さく声を漏らす。
愛菜は笑ってうなずいた。
「いい感じです。ちゃんと漬かっています」 「香りが全然違いますね」 「はい。これを使うと、生地に入れたときの風味がぐっと良くなります」
料理人たちも順番にのぞき込み、真剣な顔で状態を確かめていた。
「では、生地を作っていきます」
愛菜は材料を前にして、順番に説明を始めた。
「今日は、混ぜる順番と生地の状態をよく見てください。分量も大事ですけど、それ以上に途中の混ざり方が大切なので」
料理人たちはうなずき、それぞれ持ち場につく。
愛菜がまず手本を見せ、そのあと同じようにやってもらう形にした。
卵を溶き、砂糖と合わせ、なめらかになるまで混ぜる。
油脂を加えるときも、一度に雑に入れるのではなく、生地のなじみを見ながら進めていく。
「ここは急がなくて大丈夫です」 「こうでしょうか」 「はい、そのくらいならいいです。分離しないようにだけ気をつけてください」
料理人たちはさすがに手つきがいい。
慣れた動きの中に、初めて扱う菓子への慎重さが混ざっていた。
生地がまとまったところで、いよいよラム酒漬けのドライフルーツを加える。
「これを入れすぎると重くなりすぎますし、少なすぎると物足りなくなります」 「なるほど」 「全体に偏らないよう、やさしく混ぜてください」
艶のある果実が生地に混ざっていくと、厨房の空気まで甘く豊かになったようだった。
愛菜はひとつひとつの動きを見ながら、必要なところだけ声をかけていく。
「そこは底から返すように」 「はい」 「そうです、そのくらいなら大丈夫です」
教えるというより、一緒に作っている感覚に近い。
料理人たちが真面目に取り組んでくれるので、愛菜の声にも自然と落ち着きが出ていた。
生地ができあがると、今度は焼き型へ流していく。
「表面は軽く整えておくと、焼き上がりがきれいです」 「細かいところで差が出るのですね」 「はい。見た目もけっこう大事なので」
ひとつずつ丁寧に型へ入れ、準備が整ったところで焼きに入る。
大きな厨房の窯へ運ばれていく焼き型を見ながら、愛菜は少しだけ胸が高鳴った。
ここまで来れば、あとは待つ時間だ。
「焼いている間は、香りでもだいたい様子がわかります」 「香りで、ですか」 「はい。もちろん最後は見て確認しますけど」
料理人たちは感心したようにうなずいていた。
しばらくすると、厨房の中に甘く香ばしい匂いが広がり始めた。
小麦と砂糖の焼ける匂いに、ラム酒とドライフルーツの深い香りが混ざる。
それだけで、今日の出来が悪くないことがわかる。
「いい匂いですね」 「本当に」 「この香りだけでもおいしそうだ」
誰かのそんな声に、愛菜も少し笑った。
「焼き菓子って、この時間も楽しいんですよね」
やがて窯から取り出された型は、きれいな焼き色に仕上がっていた。
ふくらみ方も悪くない。
表面もこんもりとしていて、見た目にもおいしそうだった。
「わあ……」 今度は、何人かが同時に声を漏らした。
愛菜は焼き上がったひとつを前にして、静かにうなずいた。
「うん、成功です」 「本当にきれいに焼けていますね」 「はい。しばらく落ち着かせたら、切ってみましょう」
粗熱が取れるのを待つあいだも、料理人たちはどこか落ち着かない様子だった。
早く中を見たいのが伝わってくる。
やがて切り分けてみると、生地の中にはドライフルーツがほどよく散っていた。
「きれい……」 「ちゃんと均一に入っていますね」 「香りもすごくいいです」
愛菜は断面を見て、ほっと胸をなで下ろす。
「これなら大丈夫そうです」
切り分けたパウンドケーキを少しずつ口にすると、料理人たちの表情が変わった。
「おいしいですね」 「しっとりしています」 「前にいただいたものより、香りが深い気がします」
その言葉に、愛菜は嬉しそうに笑った。
「一週間漬けたぶん、ちゃんとなじんでるんだと思います」 「確かに、これは違いますね」
年長の料理人も感心したように何度もうなずいていた。
「大変勉強になりました。ありがとうございます」 「こちらこそです。皆さんが丁寧に作ってくれたから、きれいに焼けたんだと思います」
本邸の厨房に広がる、焼きたての甘い香り。
真剣だった料理人たちの顔が、味見のあとは少しやわらいで見えた。
愛菜はその様子を見ながら、なんだか不思議な気持ちになる。
最初はただ、お礼として贈ったパウンドケーキだった。
それがこうして、本邸の料理人たちと一緒に作る時間につながっている。
「また作りたくなりますね」 と、誰かがぽつりと言った。
愛菜はふふっと笑った。
「じゃあ、次はもっと慣れてから応用もできますよ」 「応用、ですか」 「入れるものを少し変えたり、香りを変えたり」 「それは面白そうですね」
料理人たちの目がまた輝く。
本邸の厨房で生まれた新しい楽しみを感じながら、愛菜は甘い香りの残る空気の中で、静かに微笑んだ。




